想--





「うぉわァア!!!」
 気持ちの悪い浮遊感に土方は飛び起きた。心臓が激しく鼓動していて息苦しい。しばらく呼吸することだけに専念したら、感覚は徐々に戻ってきた。
 戦場ではない、見慣れない部屋。応接セットらしきソファの上に自分は居るようだ。ああそうだ。俺は夢を見ていたんだと思い出した。
 窓から夕日が差しているのか、部屋の中は橙色に染まっていた。傍にある机の上に置かれた玩具みたいな扇風機もオレンジ色のベールをかぶっている。その隣に水を張った洗面器が置いてある。何故こんなものがと思ったが、胸元に落ちたタオルに気付いて合点がいった。それをつまんで机の上に置いた時、部屋の戸がすっと開いた気配がして土方はそちらを向いた。
「あ、気付いたんですね。良かった」
 現れた顔には見覚えがあった。名は志村――新五、だか新七だとかいったか、とにかく万事屋と一緒にいる小僧だ。ということは考えたくないことだが、ここは万事屋か?
 お水持ってきますね、と少年――新八が部屋を出て行って後、土方は改めて部屋の中を見回した。何の変哲もない部屋かと思われたが、窓際に目をやった瞬間、顔が引きつる。
「てめェ……ッ、銀髪……」
 同じ部屋の中に居て、何故気付かなかったのか。それほどまでに自分は注意力を失っていたのか。
 開け放った窓の傍に佇み、ぼんやりと外を見ていたのは、紛れもなく坂田銀時だった。土方の声が聞こえただろうに全く反応を見せず、ただじっと窓の外を眺めている。髪の色のせいかいつも白っぽいイメージの男は、例に漏れずオレンジ色に染まっていた。
 土方は何故だか急に落ち着かなくなる。
「……オイ」
 呼びかければ、ようやく銀時は顔を向けた。
「お帰り、多串君。イイ夢見れたか?」
 ニタァっと笑った銀時の顔が、夢で見た最後のシーンとオーバーラップする。
「てめーこの野郎ォ……ッ」
 さっきはよくも! と立ち上がった瞬間、突然視界がぶれた。
「――っ!!」
 何とか転倒することは避けたが、ソファに逆戻りしてしまう。 
「病み上がりが無理しようとするから〜」
 動けない土方に変わって、銀時の方が近づいてくる。俯く土方の前髪をかき上げて額を露わにしたので「何しやがる」と抗議しようと顔をあげたら、目の前に銀時の顔がアップで迫ってきていて――息を呑んだ。



「銀さん? 何騒いでるんですかもう〜」
 盆の上に水の入ったコップを乗せて戻ってきた新八は、部屋に足を踏み入れた瞬間目に入った光景に顎が外れる程の衝撃を受けた。
「オイイイ!! アンタら何やってんだー!!」
 新八の絶叫に、銀時が「あ?」と顔を向ける。
「何ってお前……、熱みてただけじゃん」
 あっさりと答える銀時に、土方が「体温計はねェのか」と突っ込んでいる。体温計なんてもの、神楽ちゃんが壊したに決まってるじゃないか、と新八はさらに――心中で――突っ込んだ。


+
+




「――それならそうと早く言って下さいよ。僕はてっきり二人が接吻してるのかと思って焦ったじゃないですか」
「なんだとコラァ! てめェ叩ッ斬るぞ!」
「ス、スンマセン!」
 新八が持ってきた水を一息で飲み終えた土方が、聞き捨てならない台詞に声を荒げる。眠っているときは大人しかったのに、起きると恐ろしい真選組副長に怯えた新八は「お代わり持ってきます!」と台所に逃げ込んだ。
「オイオイ、うちの助手苛めないでくれますか」
「苛めた覚えはねェよ」
 誤解を正しただけだろうが、と土方は仏頂面で言い返す。正したというよりは脅したのだが、そこは勝手に目を瞑る。
「というか、しとけば良かったね」
 そうすれば誤解でもなくなるし、と淡々と呟く銀時に、
「よーし解った表へ出ろォオ!」
 先程立ちくらみを起こしたのも忘れているのか、土方は勢い良くそんな台詞を口にする。売られた喧嘩は買わずにはいられない質なのだろう。律儀というか、馬鹿というか。
「やだよ、暑ィもん」
「暑いのがどうした! 勝負だコラァ!」
「んじゃあどっちが長く息止めとけるか勝負」
「は?」
「いただきます」
「ちょっと待てェ! てめー何するつもりだァ!」
 肩を押さえつけられ銀時が迫ってきたところで土方は我に返る。銀時を押しのけようとしても、体に力が入らない。嘘だろ!? そういえば先程銀時が「病み上がり」だとか何とか言っていたが。あれ? 俺どうしたの。ていうかピンチ!? 冗談じゃねェ。
 土方が抵抗していたら、おずおずと部屋の扉が開く気配がした。
「あの……お代わり持ってきました……ッて、やっぱりデキてんのかお前らァアアア!!!」
 再び、新八の絶叫が響く。
「チ、だから思春期の子供が居る家庭はよォ……」
 厄介なんだよ、とぼやきつつも銀時が自分から退いたので、土方はほっとすると同時に己の修行不足を痛感させられたのだった。




 ――お代わりはよく冷えた麦茶だった。
「気分はどうですか?」
 そう聞いてくる新八が、少し身を固くしているのが解る。そんな警戒しなくたって別に取って喰いやしねェよ、と思いつつ、視界の端に入った銀時の顔に、土方は「最悪だ」と答えた。
「何で俺はこんな処に居る」
「覚えてないんですか?」
 全く覚えがない。新八は隣の銀時を見た。銀時は天然パーマの銀髪に手を突っ込んで頭を掻いている。「銀さん」と促され、ふああとあくびをした。
「落ちてたから」
「……あ?」
「パフェ食べようと思って歩いてたら多串君が落ちてたから拾ってきました」
「何だその理由! って、てめェ人をゴミかなんかみてェに言いやがって……」
「そうですよ銀さん。この人だって瞳孔開いてようがちゃんと生きてる人間なんですからそんな言い方しちゃ駄目ですよ」
「――オイ、てめェも切腹しとくか?」
 諫めているのか喧嘩を売っているのかどっちだ。矛先が自分に向いたので新八は慌てて「結構です!」と答える。ろくな大人とつき合わないと餓鬼までろくなこと言わねェ、と土方は思う。例えばうちの総悟とか総悟とか総悟とか……あれ、ろくでもない大人って俺か。ふざけんな。
 しかし。落ちてた――などと言われても全く記憶にない。というより、昼に屯所で食事をとってから外出したところで記憶が途切れている。その後、倒れたのか? それを万事屋に助けられたのか。よりにもよってこの男に。不覚だ。その上、おかしな夢まで見た。
(夢……)
「オイ銀髪、てめェ年は幾つだ」
 突然、土方が脈略のない質問をしたので新八は面食らった。聞かれた銀時は驚くでもなく「ん〜?」と気のない声を上げる。
「ハタチっていったら驚くよなァ」
「嘘つくなァア!」
 間髪入れずに突っ込んだのは土方ではなく新八だった。てっきり一緒に突っ込むだろうと思ったのだがどうしたのだろう、と新八が不思議に思って土方を見れば、何だか神妙な顔をして黙り込んでいる。
「多串君、どうしたの?」
 銀時が声をかけると、土方は黙ったまま視線を銀時に合わせた。そのまま睨むように銀時を見ていたが。
「帰る」
 と唐突に言って立ち上がった。ソファにかけてあった上着類を身につけ、服装を整える。剣を腰に差せば真選組一丁上がりだ。土方は新八に顔を向けた。
「世話んなったな」
「いやいや、俺と多串君の仲だし」
「てめェにゃ言ってねェ!! ……じゃあな」
「帰り道お気をつけて……、って銀さん?」
 身を翻した土方を玄関先まで見送ろうと思ったら、銀時が先に立ち上がった。出ていった黒い背中を追う銀時の後ろ姿を見て、新八は後を追うのは止め、三人分のコップを片づけ始めた。

 玄関の扉を開けると、夕焼けの赤さが際だっていた。大分薄れたとはいえ未だに残っている真昼の熱気の残骸が、土方を覆う。
「送っていこうか?」
「要らねェよ」
 土方は振り返らずに歩き始める。鉄階段は一歩進む毎にカン、カンと音を立てた。その音が二重になったことに気づいて、立ち止まる。土方よりも少し軽い音を立てて、少女が鉄階段を上がってくる。赤いチャイナ服を着た少女は、やはり万事屋の居候で。その後ろにバカでかい犬が居た。
 挑むように見上げてくる娘の横を通り抜ける際、土方の唇がかすかに動く。娘はすれ違った男の後を追うように振り返って後、背後のペットの名を呼んで、階段を上っていった。
 階段を降りきった処で、土方は煙草に火をつけた。
「多串くーん」
 頭上で呑気な声がする。あいつまだ居たのか、と思いつつ土方はそれを無視して歩き始める。すると銀時は先程より押さえた声音でこんなことを言った。
「もう、来るんじゃねーぞ」
 ――てめェで連れてきたくせに勝手なことを!
 その場に立ち止まった土方は、文句のひとつでも言ってやろうと振り返って銀時を見上げた。だが。
「――ッ」
 文句は声にならず、喉が引きつっただけに終わる。
 僅かな間に陽の位置が変わったため、手すりに頬杖ついて見下ろしている銀時の表情を分かり難くさせていた。そのせいかもしれない。何故か銀時が得体の知れないものに思えて、背筋が冷える。
「今度はもっとイイところで会おうぜ」
 らぶほてるとかいいんじゃない? と軽口を叩いて銀時は背を向けた。カラカラと乾いた音を立てて玄関の戸が閉まり、銀時の姿が見えなくなっても、土方はしばらくそこから動けなかった。
 ――偶然だ。
 あまり思いたくないことだが、自分は坂田銀時の口調を覚えてしまっているのだろう。忌々しいことだ。
 そう納得して、土方は何かを振り切るように、その場を後にした。
 
 


-終-

 
2


040626
分けないでアップしたら長かっ……た?
神楽ちゃんとひじきの会話はこちら
その後の土方はこちら

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