想--





 ――血の匂いがする。



 仕事柄、血の匂いには慣れている。だから匂いよりも、肌に張り付く生温い湿った空気の方が不快感を煽った。しかも、ただの湿気ではない。これは――
(死臭、だ)
 周囲一帯死の匂いが充満している。土方は目を開けた。
「何処だ、ここは……」
 目に入った光景に、著しく混乱した。
 辺りは一面の荒野だった。そしてただの荒野ではなかった。足下に転がる白骨。鎧を着ているところを見ると民間人というわけでもなさそうだ。
 侍、か?
 夥しい数の、鎧を身につけた白骨と、刀の残骸。骨というからには古いものであるはずなのに、今し方戦でもあったかのような、硝煙と、血の匂い。戦でもあったかのような――ではない。これは紛れもなく戦場だ。見たことがあるようでいて、しかし見慣れない風景。なんだここは。何処だ。俺はどうしてこんなところに居る。
 じり、と焦りが生まれる。自然と手が、腰に下げた刀に触れていた。これがあれば俺は戦える。そう気付いて、少し落ちつく。
 しかし、だからといって状況が好転したわけではない。土方は周囲を見渡した。目印になりそうなものは何もない。どこまでいっても、土埃と噴煙の舞う荒野にびっしりと骨が転がっていて眩暈がした。あり得ない。足が縺れる。二三歩たたらを踏んだ途端、何かが足首を掴んだ。足がその場に縫い止められる。土方は驚愕して足元を見た。白い骨の手が伸びている。自分の左足首を掴んでいる。その手の持ち主と思われる髑髏が、土方を見上げて――何もない筈の眼窩の闇、青白い炎が灯って――嗤ったように見えた。
 この世ならぬ光景にゾッとして、反応が遅れた。自分を引きずり倒そうとする力がかかる。
 ――野郎ォ!
 応戦しようとして刀を抜こうとする――が、予想以上の負荷に体のバランスが崩れた。
 ――間に合わねェ……ッ



 ――斬、と。
 一本の白刃が、垂直に髑髏の眉間に突き刺さる。



「あれ〜、多串君じゃん。何してるのこんな処で」
 戦場には似つかわしくない、呑気な声が降って湧いたのはそんな時だった。
 聞き覚えのあるこの声の主は――万事屋、坂田銀時。
 お前こそ、何故こんな処に居る?だが見慣れない景色の中で、見知った男が立っている。それだけで浮ついた心が落ちつくのを感じた。
 銀時はひょい、と突き立てた刀を抜いて放り捨てると、その場に膝を着き自分が貫いた髑髏の眉間を掌で覆った。それは、祈りを捧げているように見える不思議な光景だった。
 土方の足を掴んでいた手は消えていた。この男に助けられたと思うと礼を言うのも癪で黙っていたが、銀時は気にした様子もなく土方の顔を覗き込んだ。一瞬怯む。
「迷子? 俺が出口まで案内してやろうか」
「誰が、てめェの――」
 ――世話になんてなるか!
 そう言いかけたが、言い終えるより先に銀時は土方の手を取ると「さっさと行こう。こっちこっち」と引っ張り上げた。
「人の話聞けや!」
 銀時に手を引かれながら、土方は怒鳴った。





「……オイ、てめェいい加減手ェ離せ」
 土方は、自分を引っ張りつつ勝手に歩く銀時に向かって抗議する。大体自分たちは、仲良く手を繋ぎましょう、という関係ではない。
「何。迷いたいの? 死ぬよ」
 最後の一言だけ、やけに冷ややかな声で返されて驚いた。
「どういう意味だ、そりゃ」
 ここは何処だ、てめェは何か知ってるのか。あの屍は何だ。
 土方の質問攻めに、銀時は適当な返事をしてはぐらかしてばかりだった。結局何も解らない。いや、土方も薄々勘づいてはいる――これは夢だろうと。
 だが夢なら、何故よりによってこの男に助けられたうえ、主導権を握られるような夢を見るのか。はっきりいって不愉快だった。
 不愉快な男は、珍しい銀色の髪をしている。その天然パーマの銀髪を見ながら、土方は山崎が仕入れてきた情報を思い出していた。
 ――攘夷戦争の折り、天人だけでなく味方からも恐れられたという武神――白夜叉。その男は銀色の髪をしていたという。
(コイツがその白夜叉……だと?)
「銀髪、お前年は幾つだ」
 土方の発した声に、前を歩いていた銀時の足が止まった。
「俺に興味あるの? 惚れた?」
「なっ、誰がッ」
「――ハタチだって言ったら驚くよなァ」
「んなわけあるかァア!」
 土方が速攻で突っ込むと、銀時は「バレたか」と無気力なリアクションを見せた。当たり前だ。いくらなんでもこの男が自分より若いわけがない。
「んじゃ、耳貸せ」
 やる気なさげにちょいちょいと手招きする男に「何で」と返したら、「恥ずかしィから」と答えが返ってきた。
「てめェの年が恥かよ」
 女じゃあるまいしくだらねェ。大体恥ずかしがるにしたって、周りは屍しかいねェってのに。そう思いつつも、やはり気になるので耳を貸してやる。銀時は土方の耳に顔を寄せ、内緒話の要領で口元を手で囲った。そして、何か名案を思いついたような顔をして――ペロリ、と耳たぶを舐めた。
「うぉあッ!」
 思いもかけない感触に、土方はその場から跳びすさった。舐められたと認識したのは、銀時が赤い舌を見せつけるように出しっぱなしにしていたからで。かあっと頭に血が昇る。
「て、めェ……ッ、叩ッ斬られてェか!」
 抜刀して斬りつけるまで数秒。なのに叩きつけた剣先は地面を抉る。
「悪ィ悪ィ、目の前に美味しそうな耳たぶがあったもんだから。いや甘そうだなと思って」
「死ねやコラァ!」
「多串君、ブレイクブレイク」
 なにがブレイクだこの野郎! 大体俺は多串じゃねェ!
「わかった! わかったって! ちゃんと教えるから!」
 今更だこの野郎ォ! 死ねェ!
 尚も刀を振り回す土方に辟易したのか、銀時はとある数字を叫んだ。
「ふざけやがってこの…………、嘘ォオ!!」
 聞かされた言葉に衝撃を受けて、土方はピタリと手を止めた。
「嘘じゃねーって、ホントホント」
「マジかよ……近藤さんより上って。見えねェ……」
 一気に殺る気が削がれてしまった土方が、不躾な視線を銀時に向ける。殺る気が削がれたのは結構だが、こういう反応が返ってくるから言うのが嫌だったんだと銀時は拗ねた。

 


++




 土方はいい加減うんざりしていた。
「何の茶番だ、こりゃァ」
「何が?」
 傍らに立つ男は相変わらず死んだ魚のような無感動な目をしている。こいつを少しでも信用した俺が馬鹿だったのか? 土方は思わず自己嫌悪に陥った。
 荒涼とした荒野を歩いて歩いて歩いて、屍の数は徐々に減っていき、血と火薬の匂いも薄れた頃、銀時はおもむろに立ち止まり、「ここ」と地面を示した。何も無いだろうと思われた地面はしかし、土を払いのけると何故か床下収納のような扉がついていた。ふざけている。それを不審もなく銀時が開ければ、中から階段が現れ、それを降りた果てに目に入ったのは――緑地に白の人型がドアを開けて屋外へ出ようとしている図案の誘導灯だった。しかも、電球が切れかかっているのか、チカチカと明滅している。その灯りの下、非常口と書かれた緑色の扉の前に二人は立っている。
(っていうか胡散臭ェ……)
 土方は不審に思っているのに、
「ハイハイ、ここが出口ね。だからこんな辛気臭ェとこにいねェで、早く行きな」
 銀時は涼しい顔をしてドアを示す。そうだこいつ自体がすでに胡散臭ェ、ということに気付いた。土方の白い眼差しに銀時は、んん?と小さく唸り、
「帰りたくねェ?」
 と聞いてきた。俺と一緒に居たいなら止めないけど、などと言ってご丁寧に薄笑いまで浮かべている。
「てめェと一緒になんぞ居られるか」
 土方は噛みつくように吐き捨てると、ドアノブに手をかける。

 勢い良く扉を開け一歩踏み出そうとして――踏みとどまったのは野生の勘だったかもしれない。土方は息を呑んだ。なぜなら、扉を出た先にある筈の地面は無く、深い奈落が存在していたからだ。
 どういうことだ、と銀時を振り返ろうとした時。
「なァにぐずぐずしてんだよ」
 トン、と軽く背中を押された。何が起こったのか理解できないままに、体だけが中空に放り出される。
 すでに半分振り返っていた土方の目に映ったのは、むかつくくらいにやけた顔の銀時で。
「今度はもっとイイところで会おうぜ」
 と言っているのまで聞こえた。
「くそったれてめェ覚えてろォォォォ!!」
 そう罵りたくて開いた口は、落下する衝撃でみっともない悲鳴に取って代わった。

 

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040623
土方さんの耳が目の前にあったら(以下略)
もいっちょ続きます。

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