男と初めて会った時のことを、新八はよく覚えている。姉を助けるために飛び込んだ、空に浮かぶ船の中、男が口にした言葉のひとつひとつさえも。

『俺にはもうなんもねーがよォ せめて目の前で落ちるものがあるなら拾ってやりてェのさ』

 そう。確かに男はそう言っていた。しかし。
「だからってこんなの拾ってこないで下さいよ!」
 新八は叫んだ。叱られている時でさえ、銀時は相変わらずぼんやりとした様子で先程と同じ言葉を繰り返す。
「だって落ちてたんだもん」
「落ちてたんだもん、じゃないですよ! こんな厄介なもの拾ってきて! 元のところに置いてくるか、持ち主の処に返してくるかして下さいよ! 場所解ってんでしょ!」
「てめっ、厄介なものってなんだコノヤロー! ここまで運ぶのだって大変だったんだぞ! それなのにまたこの炎天下の中これ運べってのか! てめェはそれでも人間かァ!」
「じゃあ何でわざわざ拾って来たりするんですかアンタ!」
 玄関先での押し問答の末、銀時はもう何度目になるか解らない台詞を口にした。
「だって、落ちてたんだもん……多串君」
 新八は銀時の背中にぐったりと身を預けている真選組副長の姿に、大きなため息をついた。





「もういいですよ。とりあえず、その人寝かさないと。銀さんの布団出しますか?」
 結局、ここで議論していても埒があかないと悟った新八が折れた。どうせ銀時はやりたいことしかやらないし、やりたくないことは聞き入れてくれないのだ。
「ああ。犬の毛と胃拡張娘の涎にまみれた布団でよけりゃ、敷いてやってくれや」
「……そこのソファでいいでしょ、この際」
 さすがに不憫に思って、いつも銀時が昼寝をしているソファの埃を払ってやる。そこに土方を下ろした銀時は、ようやく背中が軽くなったと肩を回した。だったら連れて来るなよと思うが、言わない。
「暑気あたりですかね」
 こんな黒ずくめの制服を着ているなら無理もない。意識のない土方の額に浮かんだ汗に気付き、新八は少しこの男に同情しつつも、なぜもっと涼しい格好をしないのだろうかと思う。
「とりあえず僕はタオル濡らして来るんで、銀さんはその人の服楽にしてあげて下さいね」
 そう言い置いて新八はタオルと洗面器を取りに部屋へを出た。――その数分後。
「……何下まで脱がそうとしてんだアンタ」
「いや多串君ってどんなパンツ穿いてるのかなーって思って」
「銀さん。僕は寝ている人にセクハラするような上司は要らないです」
「あ、おめーそれは誤解よ? 俺はこの世の謎と真理を追求するという崇高な目的が……」
「イミフメイですから。止めて下さいよ、真選組に喧嘩売るの」
 水を張った洗面器を持ったまま、新八はその水よりも冷たい視線を銀時に送った。濡らしたタオルを搾る合間に「大体、服を楽にするのにズボンまで脱がす必要ないでしょう」やら「上着とベスト脱がしてスカーフ取って、シャツのボタンをいくつか外せば充分でしょう」と説教する。
「これだから思春期の子供のいる家は駄目なんだよ」
「何か言いましたか」
「べつに」
 反省の色がないことになど、もう慣れている。新八は土方の額の汗を軽く拭いてやってから、濡れタオルを乗せた。
「……ッ、」
 微かな吐息が、眠る土方の唇から漏れるが、閉じられた瞼は開かない。眉根を寄せていて、少し辛そうに見える。その様子を見守っていた新八は、少し逡巡した後「銀さん」と呼びかけた。
「何?」
「この人、実はすっごくタチ悪いでしょ」
「ウン」
 銀時があっさりと頷いたので、新八はかける言葉をなくした。そのまま机の上に置いてあったうちわを手に取り、銀時の胸に押しつける。
「じゃあ銀さん、その人扇いであげて下さいね」
「なんで俺がそんな面倒なことしなきゃならんの」
「拾ってきた人の責任でしょ」
「扇風機があるじゃねーか」
「昨日定春がブッ壊しました」
「あのクソ犬がァ……」
 銀時は顔を歪ませ不機嫌に唸る。
「じゃ、クーラ……」
「クーラーなんてうちの家計でつけられると思うなよ」
 新八が釘を差すと銀時は渋々といった様子で土方を扇ぎ始めた。しかしものの一分も経たぬうちにあくびをしたかと思ったら、次第に手が止まり、五分後にはソファにもたれ掛かって眠ってしまった。
「ホントにこの人は……」
 気持ちよさそうに眠る銀時に呆れた新八だったが、そういえば以前銀時がパチンコの景品で持って帰った卓上用の小さな扇風機があったことを思い出し、たとえ玩具でも無いよりはマシだろうと、探してやることにした。しばらくして、ソファの前の机に安っぽい小さな扇風機が置かれ、くるくる回って土方と銀時の髪を揺らした。


 


 

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040620
土方落ちてたらとりあえず拾います。
あまり銀土っぽくないですが、ちゃんと銀土になるんで!
続きますんで!

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