一夜



 土方さんはあまり酒に強い方じゃない。
 けれども根が負けず嫌いだから、飲み比べの勝負を挑まれれば受けて立つし、乗せちまえば案外簡単に杯を空ける処がある。
 だから気をつけろって言ってたのに、と言えばきっと土方さんは「んな事言われた覚えはねェ!」と怒るだろう。実際、言ったことは無ェし。


「ホラ、土方さん。俺ァいつも言ってるでしょうに。酒あんま強くねぇんだから、気をつけなって」
 白々しいまでの棒読みで声をかけても、返ってくるのはいつものツッコミではなく、意味を為さないうめき声。それは仕方ない。だってこの人、文句も言えねェくらいへべれけだから。
「土方さーん、そんなこっちゃ無事に家まで辿りつけませんぜ」
 ホラここに良からぬことを考えるのが一人。
 ――だからいつも気をつけろって……言ってねェけど。

 

*
*




「何で解らねェんだコノヤロー!」
「何イキナリ切れてんですかィ」
 結構な量の酒が回っているせいか、目が完全に据わってしまっている。凶暴さもかくやといった様子の土方さんのコップに日本酒を注ぎながら聞けば、一気に煽った杯を机に叩きつけるように振り下ろし一言。
「近藤さんの良さだよチクショー」
「……ああ」
 その台詞にピンときた。先日の一件だ。

 俺達はつい先日、真選組恒例の花見の席で、例の銀髪の侍――坂田銀時ご一行と鉢合わせた。別にこちらもあちらも示し合わせていたわけじゃねェ。たまたま、偶然ってヤツに違いなかった。が、そこに居たのだ。
 近藤局長が現在想いを寄せている「お妙さん」が。
「って言ったって、あの人が女にフラれるなんざいつものことでしょーに」
 コップに並々とお代わりを注いでやる。これ以上呑むと拙い、という自制心がブッ壊れた土方さんは簡単に杯を空ける。空けた瞬間、ベタッと机に突っ伏した。
「土方さァん?」
「……から、……んで解んねェんだっつってんだよ」
「まァ、女にはウケやせんねぇ、うちの局長」
 花見の席で色々あって、その「お妙さん」とやらにも危うく殺されるところだった。無駄に頑丈に出来ているから平気だったようで、翌日元気に動き回っていやしたけどねぇ、あの人。
「女……にゃ、わかんねェんだよ……あの人の、良さ、が」
 そっから先は「近藤さん」しか言わねェんだこの人。ま、女のこともそうなんだろうが、坂田銀時との飲み比べ勝負の決着が着かなかったこともあり、どうやら相当鬱憤がたまっていたらしい。
「まァ土方さん、そんな時は飲むに限らァ。飲めばヤなこともみんな忘れられますぜィ」
 そして、冒頭に戻るのである。


「あ〜、勘定は真選組・土方でツケといてくれィ」
 勝手に支払いを土方さんに押しつけて、店を出る。春だというのにひんやりとした風が吹いていたが、それでも寒いとは思わなかった。背中に温けぇ塊が乗っかっていたから。
 まともな応答もできないくらいに潰れてしまった土方さんと、素面の俺を見て、店の主人は車を呼ぼうかと言ったがそれを断り、代わりにこの人を背負うのを手伝ってもらった。背の小さい俺がちゃんと土方さんを担いで行けるのかと随分心配されたが、別にこれくらい平気ですぜ、と告げる。
 ――別に、姫抱っこでも良かったんですがねィ。
 女のように横抱きにしたらきっとこの人は怒り狂うだろう。だったら、こんな風に意識を無くした状態ではなく、起きている時にこそしてやりたい。その方がきっと面白いから。
 ぬくぬくしている土方さんを背に歩いていたら、目の前に白い物が降ってきた。お、と思って顔を上げれば、塀の内側に一本の桜の木が花をつけているのが見えた。先ほど落ちてきたのはその花弁だ。人の庭に咲いている桜だから、花見の客もおらず、深夜な上に繁華街からは既に外れていたため、俺達の他に歩く人影もない。不思議と静かな夜に、その桜はひっそりと息づいていた。
「桜、咲いてますぜ、土方さん」
 自分は花を見て喜ぶ情緒など持ち合わせてはいないが、背中に背負った男は違うだろう。
「土方さん」
 呼びかけても応答が無いのは仕方ない話だが、勿体ないなと思った。花見の時は皆の手前もあって『桜なんざどーでもいい』とかほざいていたが、この人がこういったものに風情だとかワビだとかサビだとか感じるんだということを俺は知っているから。
 ――だってあの人も、そういったものを好きなんだから、この人がそれを嫌いな筈はねェ。
「土方さん、桜、見ねぇんですかィ?」
 ごそりと、背中で暖かい塊が動く気配がした。うう、ともああ、ともこぼれ落ちる掠れた声。飲んだ後はいっつもこんな声だなぁと思いながら、きっと寝起きで呆けているだろう土方さんを待った。ホラ、見なせぇよ。アンタ、桜好きだろう?
「ん、あ……桜……」
 まともに発した台詞らしい台詞は、これまた随分と眠そうな声だった。だがそのすぐ後、
「綺麗だなあ……、近藤さ……ん」
 そう言い残して、背中のお人は再び眠りの世界へ帰ってしまったのだ。
「……そりゃあ薄情ってもんでねぇですかィ?」
 アンタよりちっちゃい俺がおんぶして家まで送って行ってる最中だというのに。やっぱり顔が見えるように姫抱っこにしておけば良かったか。意識が無くとも、後でいくらでもからかう材料になっただろうし。
 ま、駄賃はきっかり払ってもらいやすからねィ。
 うんしょ、と背中の荷物を背負い直し、俺は土方さんの家へと向かった。



*
*




 
「邪魔しますぜィ」
 鍵のかかっていない扉をカラカラと開けて、勝手知ったる土方さん宅へ足を踏み入れる。玄関で一旦背中の荷物を下ろし、靴を脱がせてやった後、自分も靴を脱いで屋敷に上がりこむと、ぐったりと寝転がる土方さんを引きずって廊下を進んだ。奥の部屋がこの人の寝室なので、そこまで運んでやる。我ながら甲斐甲斐しいものだ。
 ――こうやって夜働いてるんだから、明日の昼間ちょーっと寝るくらい大目に見て下せぇよ?
 押入から適当に布団を出し、適当に敷いてやった上に土方さんを転がすと、くぐもった呻きが漏れた。また「近藤さん」かと思いきや、「みず」と苦しげな声。芋虫のようにもそもそ動く土方さんが面白くてちょっと放って置いたら、今度は目が開いた。
「お目覚めですかィ?」
「……あ?」
 おそらく今の状況を解ってはいないだろう土方さんは、もう一度「みず」と呻いた。




「あらら」
 水を汲みに行って戻ってきたら、土方さんは背中を丸めて寝ちまっていた。この人がこんな赤子のような寝相をするのは珍しい。
「水、いらねえんですかィ?」
 耳元で囁いたくらいじゃ起きやしない。真選組の副長の寝首を掻くのは案外簡単なものだ。だが餓鬼みてぇに眠る土方さんの首には手を出さず、代わりに髪に指を入れて梳いてやった。素面の時だとこうは大人しくしていないだろう。これはこれで乙なものだが、張り合いがないのも事実だ。
 ――と、寝ていた土方さんが身じろぎ、誰の夢を見ていたか一目瞭然な寝言が薄く空いた口から漏れた。
「……ほんとに薄情な人ですねィ」
 髪を梳いていた手を止め、土方さんに覆い被さってやった。
「なァ土方さん。ここまで運んだ駄賃、貰いますぜ?」
 前髪を持ち上げ、露わにした額に口づける。
 すると、思ったより眠りが浅かったのか、土方さんはうっすらと目を開けた。
 ゆるゆると振り返った瞳にいつもの鋭さはなく、どこか定まらない視線が俺を捕らえる。
「……総悟?」
「何ですかィ、土方さん」
 やっと俺に気付いたこの人にちゃんと答えてやり、寝返りをうとうとしたので避けてやった。天井を向いた土方さんは息をついて後「お前何やってんだぁ」と宣った。
「いやね、さっき結構働いたもんだから、これから駄賃を頂くとこでさァ」
「駄賃んー?」
 意識が戻ったなら好都合、と俺は土方さんの首筋に顔を埋めた。軽く甘噛みすれば、力の篭もっていない手が頭をはたく。抵抗にしては弱すぎるし、喚くでもなく暴れるでもないところを見ると、やっぱり状況が理解できていないのだろう。
「餓鬼の、使いか……お前は……」
「餓鬼ですぜ。土方さんに比べればピチピチしてらぁ」
 土方さんは答えず、腕を持ち上げてふらふらと振っていた。「あー?」と疑問系な声を発したかと思ったら
「金がねェ」
 と呟いた。何のことかと思えば、駄賃のことらしい。
 財布を捜していたのだと思い当たると、不意に髪を結った着物姿の土方さんが頭の中を過ぎった。昔、本当に俺が餓鬼だったころのこの人と、あの人と、俺。そうそう、金なんて無かったよなァ。
 ――でもね土方さん、俺が貰いたいのは小遣いなんかじゃねぇよ。
 酒の匂いが邪魔をして、土方さん本人の匂いが解らなくなっている。仕方ないからこっちの頭を擦りつけてやったら、また頭をはたかれた。
「痛ぇよ土方さん」
「総悟」
「はいよ」
「餓鬼は、寝ろ」
 そう言って土方さんは、俺の頭を撫でた。ゆっくりと、何度も。それから、ぽんぽん、と軽く叩く。宥めるみたいに。
 幼子を寝かしつけるかのような、優しい手つきで。
 剣を振るうことばかりのこの人のこんな仕草は、先ほどの台詞とも相まって、酷く懐かしい、古い記憶を思い起こさせた。
「アンタ、狡い人だなァ」
 土方さんの手で撫でられる心地よさに、瞼が重くなる。寝付きが良いのも考え物だ。密着した体のぬくもりも、どうしようもなく眠気を誘う。ああ、服も脱がしてねぇや、と思ったが、押し寄せる睡魔に俺はいつしか瞼を閉じていた。
 
 

 

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