ちゅーりっぷの







 すっかり日差しも春めいて、江戸の街も一年で一番過ごしやすい季節になってきたある日のこと。
 土方は沖田と肩を並べ、市街地を歩いていた。かっちりと着込んだ隊服にうららかな陽光は少し暑いくらいだったが、爽やかな風が吹いているため体感気温はそう高くない。むしろ外を歩くのが気持ちいいくらいの、絶好の散歩日和だった。
 だが、土方は決して散歩をしているわけでもなければ、無為に江戸の街を歩いているわけではない。これには歴とした目的が存在していた。その目的もかねて市中見回りもしているのだ。


 男所帯の真選組では、花を愛でる風流な人間など一人もいやしない。毎年恒例の花見は――あれは花を楽しむというよりもむしろ宴会の方が重要だ――別として、殺風景な屯所に花を飾ってやろうと考えるような、気の効いた奴は誰一人として存在しなかった。
 だから、沖田がふと口にした提案に土方は驚きを隠せなかった。それだけでは足らず、「何?」と聞き返していた。
 姿こそ爽やかに成長したものだが、沖田総悟という男は花より団子、団子より酒といった性格の持ち主である。土方自身、沖田のそうした性格をよく知っていたから、彼が花の話など持ち出したことがとても意外だったのだ。
 きょとんと質問を返した土方に、「知らねェんですかィ?」などと舐めきった顔をした部下の対応が癪に障り、思わず「それくらい知ってらァ」と反射的に返した。

 ちゅーりっぷ、である。

 元々本邦には存在しなかった花の名前だ。春に鮮やかな色をした大きな花を咲かせているのを土方も見かけたことがある。世話に手間がかからないので、寺子屋に通う子供らが育てるのだといった話も聞いた。
 土方の脳裏に赤白黄色の花の群が浮かぶ。
 ――屯所に飾るには些か子供っぽいのではないだろうか。
 けれど、脳天気な沖田にその花は妙にマッチしているようにも思えた。体格はそれなりに成長したといっても、土方にとっては沖田はまだまだ糞餓鬼なのだ。

 かくして、土方は沖田と二人ちゅーりっぷとやらを取りに行くことになった。本来ならそんなものにつき合う必要はないのだが、沖田が「買いに行く」のではなく「取りに行く」と言ったことに引っかかったのだ。
 真選組の隊士、ましてや隊長クラスの人間がよもや他人様の庭先から花を盗むなど、到底あるわけない。ないだろう――。ない、はずだ。
 そう追求するものの、明確な返事を寄越してこなかった沖田に焦れ、自分も一緒に行くとお目付役を買って出たのだった。
「でねーとこいつァ何やらかすか解ったもんじゃねェからな」
「何か言いましたかィ?」
 独り言に返事した沖田に「いいや」と答えてから土方は煙草に火を点けた。その時、「あ、」と声を上げた沖田が立ち止まった土方の腕を引いた。煙草に気を取られていたせいで土方は引っ張られた方向へと足を踏み出す。ちゅーりっぷを見つけたのだろうか。いや、土方の記憶では花屋はこの通りのもっとずっと先だ。
 では一体なんだ?
 顔をあげた土方の眉間に深い皺が刻まれた。それまで知覚しなかった、耳に飛び込んでくる騒々しい音楽と、スピーカーから流れていると思われる脳天気な女の声。
 ――ゲームセンターと呼ばれる遊技場である。
「オイ、遊びに来たんじゃねェんだぞ」
 そう言ってたしなめても、あっさりと無視されてしまう。沖田は土方の腕を掴んだまま離そうとしないで、建ち並ぶ機械へと近づいた。何がそんなに沖田の興味を惹いたのかと思えば、そこにあったのは単なるゲームではなかった。人が何人か入れるような大きな箱形の個室で写真を撮影し、撮った写真が後でシールになって出てくるという機械だ。土方自身はそれに興味を惹かれたことは無いのだが、小娘達がきゃあきゃあと騒ぎながらそこへ入っていくのを見たことがある。
 そんな機械がいくつもある一角へ、沖田に引かれるまま足を踏み入れようとした土方の目に、一枚の張り紙が映った。
 ――男性同士のお客様はご遠慮下さい。
 女同士かカップルでないとこのスペースに入ってはいけないと示してあるではないか。それを沖田に伝えようとした時、中から店員らしい男が慌てて出てきた。
「ちょっとお客さん、困りますよ〜……ってゲッ、真選組!」
 サングラスをかけた顎髭の店員は二人を見るなり背を仰け反らせた。武装警察真選組に対してそのような態度を取るのは大抵後ろ暗いところがある奴だ。けれどこの場合、後ろ暗いのは土方の方である。こんな女子供やカップルしか寄りつかないようなところへ真選組の制服を着た男が二人、連れだって入ろうとしていたのだから、店員が引くのも無理はない。だが、それ以前に、サングラスの店員は見覚えがあるような気がするのだが――気のせいだろうか。
 ともあれ、これ以上恥さらしな真似はできない。土方はポーカーフェイスを装いながら沖田を連れてその場所から離れようとしたのだが。
「真選組でィ。ここの機械に爆弾が仕掛けられたって情報が入ったから調べさせてもらうぜ」
 土方が通りに戻ろうとするのに応じなかった部下が、緊張感の欠片もないいつも通りの無表情でそんなことを言い放ったので。
『えええええええええ!! 嘘ォォォォォォォ!!』
 サングラスをかけた店員と土方は同時に驚きの声を上げなければいけなかった。




 カーテンを捲って入った中は壁前面が明るく内部を照らし出していて、その丁度真ん中辺りにカメラのレンズが埋め込まれている。レンズの下にはパネルがついていたが、土方には何をどうするものなのかさっぱり不明だった。操作説明らしき音声がスピーカーを震わせていたが、いかにも女子供向けといった媚びた声はまともに聞く気にもなれない。爆弾でもしかけられていなければ、こんなところに足を踏み入れるようなこともなかっただろう。
 というか――。
「爆弾なら処理班が要んだろーが」
 一通り中を見回した後、土方はうんざりと口を開いた。最初は素直に驚いてしまったが、考えてみれば沖田がそんな危険な行為に自ら手を染めるなんて事はありえないのだ。爆弾処理を盾に、邪魔な他の客を散らしてしまうのが目的だったのだろう。
「まァまァ、固いことは言いっこ無しですぜ」
 代金を徴収する箱に小銭を入れ終えた沖田は悪びれもせずそう言うと、今度はカメラの下のパネルを操作し始めた。
 馬鹿馬鹿しい、とんだ茶番じゃねーか。
 こんなところで道草食ってないで、さっさと花屋へ向かいたい。撮影に協力する気などない土方は、背後の壁にもたれ掛かった。途端、
「うォッ!」
 天井からするするとカーテンが降りてきたので驚いてそこを退いた。すかさず沖田が「土方さんはこっちですぜ」と身体を横向かせる。その時『カメラに向かってポーズをとってね』という音声が流れたことにも、沖田のペースに乗せられまんまと誘導させられたことにも、土方は気づかなかった。
 三、二――
 カウントダウンに乗せてスカーフを強く引っ張られた土方は、思わず頭を下げた。それを狙っていた沖田の目と目が合う。愉快そうに笑う目。
 こいつ――ッ!
 瞬時に沖田の魂胆を理解したがもう遅い。唇と唇が触れ合った瞬間、シャッター音がしてフラッシュが光る。
(なッ――!?)
 身を怯ませた土方の隙をついて、沖田が舌を侵入させてきた。
「ッ!?」
 ――お前ちょっと待てッって!
 制止の声を上げようとしたが、舌を吸われては当然叶うはずがない。続けて鳴ったシャッター音。謀られた――! そう思うと同時に土方は自分の迂闊さを呪った。



「テメェェェェェ!!!」
 解放された途端逆上して叫ぶ土方である。だがしっかりたっぷりじっくりと、口づけを享受してしまった後では迫力に――説得力にも――欠けるのは致し方ない。そんな中でも、脳天気な――それはもう土方の怒りを煽るくらいの――女の声が『次はらくがきコーナーに移動してね』などと言っている。移動する気などさらさらない男の手が素早く腰の刀に伸びた。だがその動きを、いち早く沖田が察知する。
「……危ねェですぜ、こんな狭い処で」
「……ッテメーこそ」
 土方は抜刀しようとした形のまま沖田と睨み合った。筐体の中は刀を振り回すには狭すぎる。加えて沖田がそうさせないよう素早く間合いを詰めてきたのだ。眉間に深い皺が刻まれた。
「てめーコラなんで瞳孔開いてやがんだ」
「土方さんこそ開きまくりじゃねェですかィ」
「当たり前だボケェ!」
 腹を立てないわけがないだろう。沖田の策略に引っかかりまんまと恥ずかしげな写真を撮られたのだ。こうなったらそれが世に出回る前に機械ごとそいつを滅してやろうと考えても不思議はない。しかしそれを予想できない沖田ではなかった。だからこうして阻んでいる。
「退けコラ」
「嫌でさァ」
 沖田はいつになく不満そうな口振りで反抗した。そこに違和感を覚え、土方は眉を顰める。
 ――なんだよ。なんで俺の方がそんな目で睨まれなきゃならねーんだよ!
 第一、最初に土方を謀ったのは沖田の方ではないか。そもそもの目的は花屋のはずだ。それをこんなところに連れてきて、挙げ句の果てにあの写真だ。なのに何故土方の方が非難的な目を向けられなければならないのか。
「だって土方さんが良いって言ったんじゃねェですかィ」
 沖田の言葉に土方は耳を疑った。咄嗟に言い返すことも出来ずしばらく無言で自分より低い位置にある頭を見下ろした。
「自分の言動に責任持ちなせェ、男でしょーが」
 そこまで言われて土方の頬がひくりとひきつった。表情も酷く物騒な笑顔に変わる。
「ほぉぉぉ? それを言うならテメーの方じゃねえのかこの嘘吐き小僧が」
「俺ァ嘘なんかついてねーですぜ」
 堂々とした態度を崩さない沖田に堪忍袋の緒が切れた。
「てめー言ったじゃねーかよ花屋行くってよォ!」
「言ってませんぜ」
「……アァ?」
「言ってねェですぜ」
 この期に及んでまだ白を切る相手に、土方が怒鳴り返す。
「言ったろうが! ちゅーりっぷがどうとか!」
 鬼の副長に怒鳴られてもびくともしない男は、かわりにきょとんとした顔で鬼の顔を見つめる。だがその後急に合点がいったようにひとりでうんうん頷いて納得すると、今度は斜め下に顔を向けて大きなため息を吐き出した。
「これだから年寄りは耳が遠くて困らァ」
「んだとテメーこらそこに直れェェ!!」
 呆れ返ったような言いぐさの沖田に対し、益々逆上する土方である。喚き立てる上司を煩そうに見やった部下は、いいですかィ? と出来の悪い子供に言い聞かせるような口調でこんなことを言った。
「俺ァちゃんと『ちゅーぷりを撮りに行きやしょう』って言いましたぜ」
「ハッ、だから言ってるじゃねーかよちゅーりっぷがどうとか――」
「ちゅーりっぷじゃなくてちゅーぷりだって言ってんだろうがィこの呆け爺ィその耳は飾りかってんだスットコドッコイ」
「んだとテメーこら上等だァ!」
 表へ出ろォ!――と。未だに違いに気づかずいきり立つ土方に、わざわざ説明をしてやるほど親切ではない沖田である。
「あーあ、呆け爺ィの相手してたららくがき時間が無くなっちまったィ」
 冷めた顔をして一言。不満の意を表した。


 後に、出来上がったプリントシールを巡ってまた一波乱起こした二人に、サングラスの店員は酷く怯えていたらしい。





 それから数日後。


「オイ副長」
 屯所の廊下を歩いていた土方は隊士の一人に呼び止められた。
「何だ?」
「アンタももういい年なんだから、あんま恥ずかしい真似すんなよな」
「アァ!? 喧嘩売ってんのか」
「見たぜ、隊長の刀の柄ンとこ。いい年してちゅーぷりとか、撮ってんじゃねーよ」
「ッ、ちょ、ちょっと待て今なんつった!?」
「だから、ちゅーぷりとか……撮るのは自由だけどよォ、あんな貼って見せびらかすなっつう話だよ。恥ずかしいだろ」


 土方の身体を複数の衝撃が走り抜けた。


 なんだ? あの忌々しい単語は。そんなに皆知ってるような言葉なのか? 知らなかった俺が普通じゃねーのか?
 っていうかなんだ? 総悟の刀? 柄? 撮ってんじゃねーよってこたァ、あれを。あの、糞餓鬼はアレを――。



「――鬼の副長のイメージもぶち壊しだよ、下の連中にも示しがつかねーだろ、っつーか俺も副長と撮りてェなんつってる不届き者だって出てんだよ、アンタももうちょっと身持ちを固くしてもらわねーと隙だらけじゃ困るぜただでさえ局長や沖田さんにガードが甘ェんだから」
 そんな言葉は既に土方の耳に入っていない。怒りと羞恥に脳を沸騰させた土方が取る行動はただ一つ。
「総悟ォォォォォォ!!!」
 諸悪の根元の元に走り去っていった背中を見送り、鬼の副長に苦言を呈した隊士はやれやれというようにため息をついた。




050504

プリクラ副長ネタ。
そして実はちょっとだけ続きます。
続きはこちら(山土+沖編)

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