長知ませ







「――で、お前らは何をしてるんだ?」
「張り込みでさァ」
 沖田の答えに近藤は「そうか」と素直に頷く。
「納得すんな!」
 ビシッと、土方が近藤に突っ込んだ。どうしたトシ何をそんなに怒ってるんだと言う近藤と、きっとアレでさァ多い日なんでしょうとふざけたことを抜かす沖田と、どちらが頭痛の種なのだろう。いや、どちらもに違いない。大体、張り込みも何も近藤の傍に控えているだけだ。土方はため息をつく。

『とにかくここにいても埒があかねーや。土方さんの行きそうな場所を当たってみましょう』
『当てがあんのか?』
『土方さんの考えくらいお見通しでさァ』
『なんかムカツクその言い方』

 そんなやり取りをした挙げ句の果てがこれか。近藤の近くに居ればあの猫が見つかるなんて、本気で思っているのかあの小僧は。ありえないだろう。
 土方は煙草を銜えて火を点けた。ニコチンを摂取すれば、少しは心が落ちつくだろうか。
 と、二人を差し置いて一服する土方の目が、視界の端で動くものを捉える。
 ――とんだ茶番じゃねェか。
 何も言う気になれず、ただ深く煙を吸い込んで吐き出す。それでも気分は落ちついたとはいえなかった。馬鹿じゃねーの、と思う。今更だったが。

 土方の視線が向かった先の塀の上。ナァ、と以前聞いたときよりも大人びた声で猫が鳴いた。


「おォ!? トシか!?」 
 猫に気づいた近藤が驚いた声を上げ、それに応えるように再び猫が鳴く。「トシだトシだ」と嬉しそうに近藤が猫に近づいていくのを見送っていると、隣に沖田が立った気配がした。
「やっぱり来たじゃねーですかィ」
 その台詞が少々得意げに聞こえるのは気のせいということにした。こんな都合良く沖田の思う通りになっていい筈がない。
「トシ、降りて来いよ」
 視線の先では近藤が、塀に渡った屋根に向かって呼びかけている。だが猫は近藤を見下ろしたまま、降りて来ようとしなかった。かといって逃げるわけでもなく、ただ呼びかけに応えて鳴くだけ。探していた猫が見つかり、あとは捕獲して連れて帰るだけだというのに。土方が訝しげに眉を寄せれば。
「駆け引き上手だなァ土方さん」
 沖田がそんなことを言うので思わずその顔を凝視してしまった。猫の話ですぜ、と見上げられ、解ってらァと答える。答えてから、駆け引きってなんだ猫の癖に生意気な、と正気に返ると、沖田が近藤の元に近寄っていくのが見えた。
「近藤さん」
 呼ばれて近藤が振り向く。総悟よォ、トシが降りて来ねェんだよどうしようか――などと言う声が聞こえてくるのを土方は黙って見守る。
(どーでもいいけど早くしてくれ)
 ニコチンを摂取しているにも関わらず、土方は少し苛ついていた。この間がどうしようもなく手に余る。と、土方の視線に気づいたかのように、黒猫が顔を上げた。真っ直ぐに見つめてきた金色の眼。もともと野良だった割に賢そうな顔をしていると思った。そういえば、まともにあの猫の顔を見た覚えがない。
「土方さん近藤さんに会いに来たんでさァ」
「だったらどうして降りて来ないんだ?」
「さァて……焼き餅かな」
「焼き餅?」
「土方さんが土方さんに」
 沖田の言に土方は頬を引きつらせ、近藤は混乱した。どっちがどっちだ?と尋ねる近藤を無視して、沖田は塀の上の猫に呼びかける。
「なァ土方さん。意地張らずに近藤さんの広ーい胸に飛び込んで来なせェ。ちゃあんと受け止めてくれやすぜ」
 あの馬鹿は真面目な顔してろくなこと言わねェ。思わず刀に手をかけようとして踏みとどまった。あんな挑発に乗ったら負けだ。吹き出した煙草を足で踏みにじり、踵を返す。こんな茶番につき合っていられるか。
 だが。
「――トシ」
 静かに名を呼ばれて、土方はぎくりと身体を強張らせた。解っている。あれは、塀の上の猫を呼んでいるのだと。
「トシ、抱いてやるから。こっち来いって」

 ナァ、と返事した猫が近藤目がけて飛び降りるのと、ゴン、と鈍い音がその場に響き渡ったのはほぼ同時だった。猫を受け止めた近藤が音のした方向に顔を向ければ、額を押さえて蹲る土方の姿が目に入る。
「トシ? どうした」
「いや、なんでもねェから来んな」
 痛みやら何やらで立ち上がれない土方は、無様な顔を近藤に向けることもできなくて、彼に背を向けたまま片手で返事した。
 ああもう何やってんだ俺は!
 自分の馬鹿さ加減に呆れるとはこのことだ。解っている。解ってんだよンなこたァ。
 自己嫌悪する土方の視界に、誰かの足が入ってくる。見上げれば、猫用ケージを手にした山崎の姿。土方と目が合えば、緊張するのが解る。
「あ。ね、猫見つかったんですね良かった俺これ持ってきましたから入れて帰りましょ――」
「……山崎」
 重く静かな声が山崎を呼んだ。ビクリと山崎の肩が震える。喉は引きつって声も出ない。
「てめぇ、いつから見てやがった?」
「ヒッ」
「山崎」
「み、見てません見てません俺そんな副長が自分から電柱に頭突きかましたとこなんて見てませんっ」
「そーか」
 土方はゆっくりと立ち上がる。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
 恐る恐る山崎は土方の額を窺った。あれだけ強く打ったら瘤になってしまうのではないかと危惧したのだ。髪に隠れて見えないけれど、きっと赤く腫れているはず。気になって延ばした腕は、額に届く前に土方の手に捕らえられた。
「……あれ?」
「山崎」
 ギリ、と力を込められ、山崎はここへ来て自分が抜き差しならぬ状況にいることを悟った。さあっと血の気が引く。逃げようにももう遅い。
「ふ、ふくちょっ」
「死んどけ」
 底冷えのする声とともに、拳が山崎の鳩尾にめり込んだ。いつものような悲鳴なんて上がらなかった。ただくぐもったうめき声だけ喉から漏れて、山崎は悶絶して倒れた。

 山崎が沈む寸前、落としそうになったケージをすくい上げていた土方は、ようやく後ろを振り返った。近藤の胸に抱かれた猫に沖田が手を伸ばし、引っ掻かれそうになって何かぼやいている。
「近藤さん」
 土方は呼びかけて、ケージを見せる。
「あァ、別に要らねェだろトシ。俺がちゃんと抱いとくからよ」
「そーかい」
「それより、山崎どーしたんだ?」
「さァね」
 ケージの扉を閉めつつ、いけしゃあしゃあと答えると「帰るぞ」と言って歩き始めた。おう、と答えた近藤に沖田も続く。
「オイ、山崎。行くぞ」
「……あい」
 どうにか返事した山崎は、うえっげほっと可哀相な声をあげた。


+
+



「トシィ、良かったなァ、これで病気にならねーぞ!」
 猫を屯所に連れて帰り、飼い主の娘に引き渡す際、礼と共についでに動物病院への同行を求められ快諾した近藤は豪快に笑いながら猫の頭を撫でつける。
「じゃ、帰りましょうかィ」
「お? 総悟、いいのか?」
「何がですかィ」
「トシだよ」
 今は余所様の家の子だが、もとはお前が拾ってきたんじゃないか。と近藤は言って、娘もそれに同意した。沖田は待合室の長椅子に伏せる黒猫を見る。近藤に気を取られている隙にまんまと注射を受けてしまったせいか、どうも機嫌が悪そうだ。そんなちょっと抜けたところも、ぱた、ぱた、と尻尾が椅子を叩いているところなども、まるでこの場にはいない人間の土方を見ているようで、沖田は自分が付けた名前はあながち外してもないなと感じる。あの人の名を付けたから余計に似たのかもしれない。
「また引っ掻かれるのは御免でさァ」
 俺ァ土方さんに嫌われてるみてーですからねィ。そう言って沖田はあっさりと背を向ける。
「オイ総悟」
 未練がないわけでもないだろう。でなければ、わざわざこんなところまで沖田が同行するわけはない。けれども沖田は振り向かず、片手をひらつかせて「先に帰ってまさァ」と言った。その時だった。
「あ!」
 と、娘と近藤が同時に声を上げた。
 沖田の足元になにかが駆け寄ってくる。思わず足を止めれば、行く道を塞ぐように、黒猫が。
 金色の瞳でじっと見上げて、一声鳴いた。
 驚いた沖田はまじまじとそれを見つめた。漆黒の毛並みにお月様のような金色。大きな目が沖田を見つめる。その姿は凛として、とても先程まで拗ねていた猫には到底見えない。
 決して懐いているわけではない。媚びも売らない。でも、無関心というわけではない。そんな距離感。
 まるで誰かさんのようではないか。
「参ったなァ」
 誰にも聞かれないよう、小声で。
 土方さんの名前なんてつけるんじゃなかったと、沖田はひっそりと苦笑した。





前編


041010


「ところで土方さん、デコは大丈夫ですかィ」
「あァ? 大丈夫にきまってんだろ、触んな!」
「随分激しくぶつけてやしたからねィ。こぶになってんじゃねェかな」
「!!!(見てたのか!)」

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 <おまけ?>
 その夜のお話。

「ところで土方さん」
「あァ? 何だよ」
「昼間の猫耳でにゃんにゃんプレイがしたいんでさァ。つき合って下せェ」
「てめーひとりでやりやがれ」
「そうですかィ。耳だけじゃ不服ですかィ。じゃあ今度までに尻尾と手袋も用意しときまさァ」
「用意せんでいいィィィ!!!」