長知ませ







「おい、いたか?」
「いや、駄目だ」
 密やかに声を沈める黒い制服を着た男達の顔は真剣そのものだった。彼らは一様に、独特の緊張感を漂わせている。気をつけて町中を見渡せば、いつもより市中見回りをしている武装警察の数が多いことに気づくかもしれない。それは潜伏するテロリストを捜索している時のようで、勘の良い者などは息をひそめて武装警察の行方を見守っていた。
 そんな町人の緊張など露知らず、若い真選組隊士はぐるりと辺りを見渡して、
「ほんと、どこ行ったんだろうな副長……」
 と呟いた。




 その頃、土方は自動販売機の前に居た。
 ガコン、と鈍い音を立ててコーヒーの缶が落ちてくる。取り出し口からそれを拾い上げ、プルタブを引いた。一口飲んで、ほっと息をつく。結構なことに世の中は平和であるらしい。その上、今日は悉く土方の手を煩わせる沖田が同行していない。束の間の平和を噛みしめながら、再び缶コーヒーを傾けたその時。
「ひーじーかーたーさーん」
 聞き慣れた声に、土方の喉が詰まる。ちらりと声のした方へ目を向ければ、淡い色をした髪が目に入った。見慣れたそれを見なかったことにして、土方はその存在を忘れようとする。
「ひじかたさーん」
 無視だ無視。だんだん近づいてくる声に土方は答えないでいた。しかし、何をされるか解ったものではないので、警戒は怠らない。なぜなら相手は「悪戯」と称してあらゆる嫌がらせをしてくる鬼ッ子だからだ。
 だが緊張する土方の隣を、沖田はすいっと素通りしていった。
 ――あ?
 淡い色の髪をした後頭部。大分男らしくなったものの、まだ華奢な背中。見慣れた黒い制服の後ろ姿を呆然と見送る。すると再び
「ひじかたさーん」
 と声が響いた。
「オイ」
 思わず追いかけてしまったが、目の前の背中は振り返らない。
「土方さんどこ行っちまったんだィ」
「オイって」
「出てこないと飯抜きだぜ」
「待てやコラ」
 総悟! とついつい呼び止めれば、そこではじめて沖田は振り返り、土方をまともに見た。
「なんだィ、アンタいたのかい」
「さっきからいたわ! てめー解ってて無視したんだろーが」
 自分から無視したことは棚に上げ土方が苦々しく吐き捨てると、沖田は少しだけ首を傾げ、
「なんだィ寂しかったのかィ? なら素直にそう言や可愛がってやるのに」
 そう言ってスケベオヤジよろしく腰に手を伸ばしてきたので、
「いらんわおぞましい!!」
 と素早くその手を払いのける。
「構って欲しいんじゃねーなら何の用ですかィ。言っとくが俺は忙しいんですから手短に頼みまさァ」
「ほーぉ。いっつも仕事サボってるてめーが忙しいだァ? 何してるってんだよ」
「土方さん探さねーとならねーんでさァ」
「ちょっと待て。お前の目の前にいる俺誰?」
「土方さんでしょ」
 と沖田は当たり前のように即答し、後に「人間の」と付け加えた。聞き覚えのある台詞に土方は渋面を作る。
「てめーはまた性懲りもなく……」
 脳裏に浮かんだのは沖田の足下にうずくまる小さな黒い塊。以前沖田が拾って、屯所の物置で飼っていた黒猫だった。その猫に、よりによって土方の名をつけて呼んでいたのだ、目の前の鬼ッ子は。
 だがその猫なら、どこかの子供に貰われていったはずだ。そう指摘すると、
「逃げたんでさァ、土方さん」
 という答が返ってきた。




「姫探しの次は猫探しかよ。勘弁しろって」
「イイじゃねーですかィ。どうせ暇なんだし」
 それに、と沖田は続ける。
「姫様の気持ちは解らなくても、土方さんの気持ちなら『人間の』土方さんだって解るでしょ」
「何言ってんだてめーは。猫の気持ちなんぞ解ってたまるか」
「そうですかィ?」
 件の猫が逃げたのは、娘が獣医の処へ予防接種を受けさせに行く途中でのことだったそうだ。移動用のケージに入れたはいいが、蓋が緩んでいたのか運んでいる最中に開いてしまい、もともと狭い檻の中に入るのを嫌がっていた猫は、晴れて自由の身になったとばかりに一目散に走り去ってしまったらしい。空っぽのケージを持って途方に暮れていた娘を見つけたのは山崎だ。以前、猫を引き渡す際に近藤や沖田に同行していた山崎は、娘の顔を覚えていた。それで声をかけ、今に至るというわけだ。
 『注射が恐かったんだろうって近藤さんが言ってましたぜ』と沖田は言うが、実際の処はどうだか。
「そーだよ」
 土方は軽く応じて、飲み終えた空き缶をゴミ箱へ捨てた。カコン、と空き缶同士がぶつかる音に混じって、沖田が「なら」と言葉を発する。
「そんなアンタに猫の気持ちが解るとっておきのアイテムを差し上げますぜ」
「何だそりゃ」
 そんなもの、ある筈もない。胡散臭げに沖田を見やれば、
「アンタだけに誂えた特別製でさァ」
 と懐から何か黒い塊を取りだした。沖田が何を手にしているのか解らず、その物体を凝視していた土方だったが、その顔が見る間に引きつっていく。
 そして無言でくるりと踵を返した。
「待ちなせェ」
 すかさず制服の裾を掴まれ、土方は振り返りざま叫んだ。
「待てるかこのアホんだら! てめーの変態趣味につき合う義理はねェ!」
 沖田が手にしたそれは、柔らかそうな毛並みをした猫の耳だった。勿論、本物ではなく、猫の耳を模した玩具だ。大きさも人間の頭に付けて丁度いいサイズである。
「てめェだけはホント救いようがねェよ」
 うんざりしたように呻くと、何言ってんだィと反論される。
「折角用意したんだから付けて下せェよ」
「付けるかボケェ! 大体、ンなもん付けたって猫の気持ちなんぞ解るわけねーだろ!」
「そんなの関係ねーや。アンタ副長なんだから部下の萌えを尊重しろィ」
「関係あるかァアア!!! ――ってか趣旨替わってんじゃねーか!」
 血管がぶち切れそうになる程絶叫した土方に、沖田はきょとんとした表情で、
「何でしたっけ?」
 と返事した。一気に襲ってきた脱力感に苛まれつつ、それでも土方は律儀に答えてやる。
「猫探しだろーが……」
「そうだったィ」
 沖田がポンと手を打った。



後編


041009


以前書いた003.副長いりませんかの続きです。
長くなったので前後編にしてしまいました。

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