「俺の話を聞いてくれ」本文サンプル

 



「白夜叉、ですか?」
 職員室で熱いコーヒーを啜りながら――といってもインスタントだが――土方十四郎は眼鏡の奥の瞳をわずかに瞬かせた。ホイップしたクリームのかわりにマヨネーズが浮かんだコーヒーは、その名も土方流ウインナーコーヒーならぬマヨンナーコーヒーという代物で、銀魂高校の教員達に『個性的な味』と評された一品だ。
 白夜叉というのは、数年前に名を馳せた伝説の不良の通り名らしい。名の由来はその男の髪が真っ白だったことと、人間離れした喧嘩の強さからきている。ただしトレードマークである白い髪はいつも、対立する不良グループの返り血に塗れ赤く染まっていたのだとか。思わず「ふはっ」と息が漏れた。うわさ話というのはとかく大げさに伝わりやすいが、いささか虚飾が過ぎると思ったのだ。
「笑い事じゃないですよ、土方先生」
「ああ、失礼」
 いかにも気も身体も弱そうな教師に嗜められ、土方は苦笑した。聞く人によっては、これは真面目に怖い話なのだろう。
 だが不良伝説自体は珍しいものではない。なぜなら高校生という年代がそういったものに憧れる年頃だからだ。土方の学生時代にもそういった伝説はあった。世代が違うので白夜叉の名前は初耳だったが。
 どんな奴なのか見てみたい、というと気弱そうな教師はとんでもないとかぶりを振った。
「物騒なことを言わないで下さい先生!」
 そういって少し青ざめた気弱教師は声のトーンを落とす。
「実はですね。近頃、その『白夜叉』がまた暴れ出したようなんです」
「ほぉ」
「しばらく大人しくしていたと思ったのに……物騒な世の中ですよまったく」
「ところで、白夜叉というのはどこの誰か解っているんですか」
 その答えはノーだった。『白夜叉』という通り名と、白い髪をした男という情報だけは出回っているが、その他の名前や学校は解らないらしい。目撃情報も様々で、大男かと思えばチビ。かと思えば普通だった、と意見が見事にバラバラで特定できない。おそらくその大半は偽情報なのだろう。噂の人物を見たといって気を惹きたいだけだ。真相が闇に包まれれば『白夜叉』というキャラクターは一人歩きを始める。そのため余計に真実が解りにくくなるのだろう。
「土方先生も注意して下さいよ、夜道とか」
「白夜叉は教師も襲うんですか?」
「いや、解りませんが……そういううわさも流れているんで」
「それは物騒な話ですね」
 しおらしい台詞で同意してみせる土方の口元がわずかに弧を描いたことに、気弱な教師は気づく余地もなかった。


「白夜叉……ねぇ。聞いた事ねェな」
 授業のため教室へ向かう道のりで土方はひとりごちた。数年前というと土方が大学生活で忙しかった頃だ。高校生の不良の話が耳に入るはずもない。中二病だか高二病だかを引き摺っていればそういう事情に詳しくいられるのかもしれないが、早く独立したかった土方には関係のない話だった。
 それはともかく、うわさの白夜叉とやらは頭髪が白いらしい。ヤンキーといえば茶髪金髪くらいなら今時珍しくないとはいえ、白とはまた思い切り色を抜いたものである。さぞかし目立つことだろう。実際、白い頭は目立つのだ。特に学生服の集団においては。
 三年Z組。土方が担任を受け持つ、問題児ばかりを集めたクラスである。問題児といっても別に暴力的だとか素行が悪いとか警察のお世話になっているという意味ではない。ひとことでいうと、バカの集団。そして少々エキセントリックだった。
「オイお前ら静かにしろ。授業始めるぞ」
 Z組の扉を開いた土方は、騒いでいる生徒達に向かい声を張り上げた。このクラスの生徒ときたら自分たちが受験生だという自覚がまるでないのである。それでも一応土方が教壇に立ち教科書を広げれば、皆ごそごそと数学の教科書を取り出すのだが――。
「オイ坂田起きろ」
 土方は丸めた教科書を最前列のど真ん中の席に腰掛けていた生徒の頭に振り下ろした。




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