「銀ちゃんに双葉が生えました」本文サンプル

 


 ごく平和な、午後だった。
 万事屋という職業は、フリーランスの商売だ。ゆえに、決まった就業時間もなければ、定休日などというものもない。仕事が舞い込めば忙しくなるし、なければ何日も暇を持て余すこととなる。
 その日もそんな一日だった。つまり、暇を持て余した上でちょっと小遣いを増やそうと思って銀色の玉とランデブーしていたら、あっさりフラレてしまったのだ。空は憎らしいくらいに青く晴れ渡っているというのに、財布の中身はすっからかん。銀時が肩を落として歩くのも無理はなかった。
 どんより曇り空な銀時の心とは裏腹に、江戸はいい天気だった。冬の寒さも薄れ、そろそろ春の訪れを感じ始める頃だ。なのに、自分の財布に春は来ない。見上げればいつもの如く、青い空に白い雲。そして至る所に浮かぶ天人の船。あまりにものどかな光景で、まるで時が止まっているかのような印象を受ける。ところが、そののどかな日常に大事件が起きた。
 空に浮かんでいた一隻の宇宙船が、急にふらふらと蛇行運転をし始めたかと思うと、糸の切れた凧のように落下し始めたのである。そしてあっという間に、まるで地震でも起きたかのような地響きと共に地上へと落下した。「墜落だ!」
「船が落ちたぞ」
「こっちだ!」
 つい先程まで平和だったかぶき町が、俄に騒々しくなった。何せ宇宙船が墜落するなど、滅多とないレアケースである。
「オイオイ、マジかよ」
 物見高いかぶき町の住人が口々に何やら叫びながら宇宙船の落ちた現場へと走る中、銀時の足は動かない。野次馬達が向かっている方向に、墜落した時のものなのだろう白い煙が空へと立ち上っていた。その光景に嫌な予感が募る。あれは万事屋の――銀時のねぐらがある辺りではないだろうか。
 こういう予感というものはとかく当たるものだ。外れていてくれ、と願いつつ銀時は墜落現場へと足を向けた。
 宇宙船が墜落してから然程時が経ってないというのに、現場は人でごった返していた。
 野次馬達が、落ちた船を一目見ようと道端に連なっている。人の壁をかきわけ進んだ先にあった光景に銀時は絶句した。
 結論からいえば、万事屋は無事だった。忍者が落ちてきたり、宇宙人が落ちてきたりと、今まで何かと被害を被ってきた万事屋だが、どうやら今回は災難を免れたらしい。その事実にひとまず安堵しつつ、銀時は視線を巡らせた。
 ヘドロの森――万事屋の隣に越して来た屁怒絽という、心優しい天人が開いた花屋。その森の天辺に、小型の宇宙船が刺さっていたのだ。

「アッハッハッハ、すみまっせーん」
 墜落現場には不釣り合いな、能天気な笑い声が響く。
 笑い声の主は黒いもじゃもじゃ頭に、丸いサングラスを身につけた洋装の男で、同心と思しき男二人に両脇から挟まれていた。保護されたというよりは、明らかに連行されている。
「友達の家ば行こーとしちょったら、また手元が狂ってしもーたきに。アッハッハッハ」
「いい加減にしなさい。家主はアンタの事は知らないって言ってるぞ」
「そんな殺生な! 友達甲斐がないのう金時ィ!」
 だから俺の名前は金時じゃなくて銀時――坂田銀時だコノヤローいい加減に覚えやがれ!
 そう言って、おめでたいもじゃもじゃ頭に一発入れたい衝動を抑えこむ。
 野次馬の中の誰かが呼んだのだろう警察に連行される男の姿に、銀時は確かに覚えがあった。
 坂本辰馬。銀時の昔馴染みの馬鹿である。今はカンパニーの社長だと言っていたが、トップがあの調子では部下はさぞ苦労することだろう。
 さて、笑いながら連行されていく坂本を銀時はあっさりと見捨てた。友達甲斐がないと言われようが面倒事は御免だ。それにいつまでたっても人の名前を間違ったまま呼ぶ自称友人など、見捨てられても仕方あるまい。とばっちりを食った形のヘドロには悪いが、何かと要らないものがぶつかってきやすい我が家が無事でよかった。と、そんな事を考えてしまったのが悪かったのか。
「オイ、船が!」
 ヘドロの森に衝突し動きを止めていた坂本の船が、突如まるで痙攣でも起こしたかのように動いた。エンジンが火を吹き、その衝撃でヘドロの森の一角が弾ける。心優しき花屋の、嘆きが聞こえた気がした。次の瞬間。
「いでっ!」
 爆風で吹き飛んだ花屋の破片が宙を舞い、見事銀時の頭に命中した。
「痛った! 何コレ痛った!!」
 衝撃は大きく、目から火花が散ったかと錯覚する。一瞬何が起こったのか解らず思わず頭に手をやれば、生暖かく濡れた感触。なにげなく掌を見た銀時は、己のそれが真っ赤に染まっているのを見て度胆を抜かれた。
「なんじゃあコリャアアア!」
 まるで昔の刑事ドラマのように絶叫する。何だも何も掌の赤は銀時の血糊に他ならない。飛んで来た破片――宇宙船のものか、ヘドロの森のものかわからないが何か固いもの――が銀時の頭にジャストミートし、ぱっくりと皮膚が割れたのだろう。そうこうしているうちに傷口から顔まで血が垂れて来た。
「ちょっ、医者ー!救急車アアア!」
 血塗られた顔で叫ぶ銀時に、野次馬達が悲鳴をあげた。
 ちなみにこの事故による死者はなく、怪我をしたのも銀時ただ一人という、奇跡的な結果であったらしい。


 頭の傷は出血しやすい割に大した事はない、というが――そんな事を言う奴ァ、一遍思いきり頭割られてみろ、と。己の身に降り掛かった銀時は思う。 風呂に入る時、大事をとって頭は洗わないことにした。とてもじゃないがシャンプーに堪えられそうにない。
 自己流で巻いた包帯の下、怪我した箇所が熱を持ってズキズキと痛む。注意深く触るとたんこぶのように膨らんでいるのがわかった。この歳になってたんこぶだなんて格好悪い。一晩寝て、腫れが引くといいのだが。
 明日の朝になったら傷がよくなっていることを祈りながら、銀時は早めに床についた。
 そして翌朝――。
 朝の日差しで目を覚ました銀時は、むくりと起き上がると伸びをしながら大きなあくびをした。
起きぬけのせいか頭の傷は痛まない。そのため銀時は傷のことなどすっかり忘れ去っていた。寝癖なのか元からなのか最早区別もつかぬほどとっちらかった銀髪に手をつっこみ、がしがしと掻く。その姿はどうみても中年の親父だ。
 顔を洗い髭をあたる。洗面所の鏡に写った自分の顔を何の気無しに見て、違和感を覚えた。何かが違う?
 死んだ魚に似た濁った目が、鏡に映った濁った目の男の姿を検分する。
「あ……?」
 と銀時は声をあげ、と同時にびたりと鏡に張り付いた。
「なんじゃコリャアアア!!!」




text