「お馬鹿さんの算数」本文サンプル

 


「最近トシの様子がおかしいんだ」
 珍しく万事屋を訪れた近藤が口にした台詞に、銀時は死んだ魚のような目を煌めかせる事もなく、いっそ冷徹なまでに無感動な「へえ」という返事を返すのみだった。
 近藤がいう『トシ』といえば彼が局長を務める武装警察真選組の副長、土方十四郎しかありえない。しかしながら、土方と銀時はあまり仲が良くない。というより、水と油。犬と猿といった間柄だった。つまり、天敵といっていい。
 そんな事は近藤とて百も承知なはずであるのに、何を相談するつもりなのか。鈍感な男は銀時の冷めた視線には気づいていないようだった。いや、意図的に無視しているのかもしれない。どうせ興味が無いと態度で示したり、話を遮ったところではいそうですかと引き下がったりはしないだろうが。
「で、この間トシを誘って飲みに行ったんだが……どうも奴さん、好いた相手がいるようでな」
 それについては、彼らの幼なじみであり、部下でもある青年も言ったのだそうだ。
『土方さんにはどうやら好きな奴がいるみたいですぜ』
 それも、どうなのだろうと銀時は思う。
 まだ年若く経験も浅いだろう沖田のような青年ならともかく、土方は立派な成人男性だ。今更好いた女ができたくらいで騒がれるような年でもあるまい。その上、今まで女には不自由していないだろうと推測される類いの男だ。いくら真選組に局中法度などという決まりがあるとしても、恋愛は自由のはずだ。
 だが近藤は土方を放っておいてやるつもりはないようである。おせっかい焼きもいいところだ。
「でもな、聞いて驚け。あのトシがな……真選組一のモテ男のトシがな。その、好いた相手とあまり上手くいってないようなんだよ」
 一緒に飲みに行った際に酔わせて聞き出した情報によると、相手の名前などは絶対に明かさなかったが、一筋縄ではいかないという事を話したらしい。
「へぇー、あの野郎がね。ま、そーいう事もあるんじゃねーの」
 むしろ、いい気味だ。そんな銀時に近藤は「オイオイ、冷たい反応だな」と呆れ返ったが、ふと慈愛に満ちた表情でこんな事を言った。
「俺はな。トシには幸せ掴んでほしいんだよ」
 今まで土方は真選組の副長として、個人の幸せよりも組の利益を重視して動いてきた。そんな男に人並みの幸せを掴んで貰いたい。そう願うのは別におかしな事ではないはずだ。何より土方は、近藤の部下である以前に親友なのだ。親友の幸せは自分の幸せである。
 ――と、自称愛の狩人は言う。ただのストーカーが偉そうに、というのは禁句だろうか。もし口にしたとしても近藤は聞こえない振りをするだろうが。
「というわけでだ、万事屋。トシの恋路をサポートしてやってくれ」
「断る」
「即答!?」
 だらしなく椅子に全身を預けていた銀時はずり落ちそうになる身体を正しもしないで、すげなく近藤の依頼を断った。
「ちょ、何で!」
「何でってなァ……お前さん。そりゃ余計なおせっかいだろうよ」
 はつこいの中学生男子じゃあるまいし、いい年した大人に恋の手ほどきなど不要だろう。むしろはつこいの中学生男子の方が世話を焼かれるのに恥ずかしさと居たたまれなさを感じるだろうな、という気がするが。
 まったくもってやる気のない様子の銀時に、近藤は焦った。
「で、でもよー! どんな女か興味ないか? あのトシを袖にするような女だぞ」
 それは確かに、興味が無いといえば嘘になる。けれど。
「イヤイヤ。悪趣味だろ、それは。惚れた腫れたに他人が首突っ込むなんざ、ヤボってもんよ」




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