「夏と金魚とカボチャと祭」より「続・金魚掬い」本文サンプル

 




 
一章
 1
 
 六畳一間の空間は過酷な環境と相成っていた。
 開け放った窓から流れ込んでくるのは涼風ではなく蝉の声。中古で買った扇風機も部屋にこもった熱気を撹拌するばかりで涼しいとは言い難い。暑い。容赦なく暑い。身体が溶けてしまいそうな程に暑い。
 そんな過酷な環境に身を置く男は坂田銀時といった。死んだ魚の目に銀髪の天然パーマという容貌ながら、彼は銀魂高校に勤める国語教師である。
 国語の教師だから生物の教師のように蝉に愛情を注がなくてもいい。──実際生物教師が蝉に愛情を注いでいるかどうかは解らないが──そんな持論でもって銀時は遠慮なく蝉に対して悪態を吐いていた。
「ジージージージーうるせェんだよテメーら。なんですか。発情期ですかァ」
 蝉が鳴くのは伴侶へのアピールであるから発情期といえば発情期なのだろう。その事に思い至り自分の発言にとても面白くない心地になる。
 こちとら狭いアパートの一室で扇風機の生暖かいを通り越して生暑い風だけを頼りに夏を乗り切ろうとしているってのによォ。
 恨めしく見上げた先には立派なクーラーがあった。あれが使えたらこの地獄のような暑さは天国の涼しさに変わるだろう。しかしそれは適わぬ夢だった。なぜならそのクーラーは壊れているのである。壊れているならば修理に出すなり新しい物に取り替えるなりすればいいのだが、今月は某遊興施設で散財してしまったためにそのどちらもできない状況にあるのだった。ピカピカに光る銀色の玉の、最後の一つが下まで落ちきった時の事を今でも思い出す。あの時程タイムマシンを望んだ事はなかっただろう。もし戻れるものなら、派手な音楽とネオンサインで幼気な子羊を誘惑するパチンコ店などに出入りしないと誓うのに。
 汗の雫が目に入り、銀時は拳で目元を拭った。上半身はすでに裸である。銀時は完全な裸族ではないので下半身にはかろうじてパンツを身に着けているが、時折裸族への誘惑に負けそうになっていた。
 開いた窓の外からは相変わらず蝉の大合唱が聞こえる。一週間やそこらしか生きられない虫は、伴侶探しに必死なのだろう。七年も土の下に居たのだから、お天道様の下ではじける気持ちは解る。解るけれども。
「やっぱうるせェエエ!」
 八つ当たりのように銀時は叫び、その拳を天井に突き上げた。


 苛立ちの原因は蝉の声だけではなかった。
 あの子が来ない。
『あの子』とは、銀時がクラス担任を受け持っている三年Z組の生徒・土方十四郎の事である。
 過ぎ去りし一学期。銀時はひょんな事から土方とお近づきになった。そして色々あって彼に惚れてしまった。彼、というのは間違いではない。土方は正真正銘、男子生徒であるからだ。そして勿論、銀時も暦とした男である。そう、銀時は同性である生徒に惹かれてしまったのだ。しかも少し手を出してしまった。
 けれど銀時とて担任らしく土方の将来を考えてみたりして一度は身を引こうと考えたのだ。しかし││土方もまた銀時を想っていた事が知れた。
 悶着の末互いの気持ちを確かめ合う事ができたのが夏休み直前のテスト終了日。
 しかし男同士。それも教師と生徒では色々と障害が多すぎる。というわけで学校でいちゃつく事もできない銀時はこの夏休みを利用して土方と一気に親しくなろうと考えた。その結果、教師という立場を利用し、一学期の終業式の日。そのどさくさに紛れ、銀時は自宅の電話番号と住所を記したメモを土方の通知表に挟んで渡したのだった。
 夏休みに羽目を外す生徒は存外多い。
 土方もまたそうして冒険をしたいお年頃、とばかりに銀時の家に尋ねてくるのではないかと期待しながら待った最初の一週間。
 土方は来なかった。
 土方は照れ屋だからすぐに来られなかったのかもしれないと希望的観測を胸に待った次の一週間。
 やはり土方は来なかった。
 家に来ないどころか、電話すらない。かかってくるのは不要なセールスの電話ばかりでつい銀時は相手に当たってしまう。
 七月が終わり八月が来ても、土方からは何のアプローチもなく時が過ぎて行った。
 せっかくの夏休みなのに、気づけば半分も過ぎている。このままではいけない。
 銀時はのそりと起き上がった。
 このままでは何の思い出も残す事なく夏休みが終わってしまう。そうなる前に対策を考えなければならない。
 窓の外では相変わらず蝉達が大合唱している。伴侶を得て子孫を残すために必死な蝉のように。銀時もまた気張らなければならないのだと自覚した。


冒頭。

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