土方in







「いいか。次に騒いだら西郷殿に来てもらうからな。覚悟しておけよ」
 高杉にそう注意して去って行く後ろ姿はまるで女のようだった。女物の着物に、緩く結わえた長い髪ときては見間違えても無理はないが、正面から見て声を聞けばやはり男だと知れる。いわゆるオカマだろうか。確かに万事屋の階下にはスナックがあるが、そこにオカマの従業員はいなかったと記憶している。それとも記憶違いだろうか。だがあのオカマの顔は見覚えがある気がした。しかしどこで見たのかまでは思い出せない。
 心身ともに消耗した状態では思い出すのも一苦労であるため土方は考える事を放棄した。顔についた似蔵の涎を必死で洗い流し、多少ダメージは軽減されているとはいえ、先程の一件はトラウマになりかねない出来事である。というよりトラウマ決定だった。
 それにしてもあの化け物はいったい何だ。岡田似蔵の顔をした得体の知れぬ生物は今は奥の部屋へと押し込まれている。が、すべてを納めるにはその身は少々大きかったのか、タコかイカの足のようなものが襖からはみ出し蠢いていた。その先に物騒な刃物らしきものが見えるのは、おそらく気のせいではないはずだ。
「少々オイタが過ぎたようだな」
 万事屋の着物を身にまとった高杉が殊勝な台詞を吐いた。が、その顔を見れば心にもない台詞だという事は簡単に予想がつく。
「久々に大和撫子なんて珍しいもの見たから興奮したんだろうさ。悪気はねェから許してやってくれ」
 どうやら似蔵の事を言っているらしいのだが、やはり先程から再三口にのぼる「大和撫子」の意味が解らない。いや、それよりも。
 世間では狂獣とまで呼ばれ、厭われている高杉晋助という男が、なぜ万事屋にいるのか。なぜ銀時の着物を身に着けているのか。なぜ敵である真選組を前にしてこのように穏やかでいられるのかが解せない。私服姿とはいえ攘夷浪士とは真っ向から対立する組織の副長である土方の顔などとうに割れていると思っていたのは自惚れが過ぎるだろうか。実際、高杉と遭遇したら斬り結ぶのは勿論壮絶な死闘になると予想していただけに、今の状況は土方などまるで相手にされていないようで腹立たしい。素知らぬふりをして油断を誘っているとも考えられたが、なぜかそれはないと思った。高杉は僅かな殺気すら感じさせず、そこにいる。
 一瞬、もしかすると単純に高杉のそっくりさんなのではと思ったが、そうなると先程の台詞が矛盾する。そう、目の前に佇む隻眼の男は、「高杉」という呼びかけに答えたのだ。
 解らない事は他にもあった。高杉が銀時の格好をしてここにいるなら、銀時は一体何をしているのかという疑問だ。元々攘夷志士と繋がりがあると疑惑のあった男であるが、最近は穏健派になったといわれている桂ならまだしも、超過激派と謳われる高杉と通じていたとなれば厳罰は免れまい。何しろ奴は幕吏を何人も血祭りにあげてきた男だ。
 しかしその高杉が堂々と万事屋に存在している以上、銀時が匿っていると考えるのが妥当な線だろう。あの男が狂気のテロリストを匿うなど想像がつかないが、あり得ない事でもない。
「オイ」
 固い声の土方の呼びかけに高杉が隻眼を向ける。殺気こそ感じないものの、あまりいい目つきではない。気にせず土方は続けた。
「万事屋の野郎はどこだ」
 可能性が低い仮説がもう一つある。銀時が高杉の手によって何かされた、というものだ。殺しても死なないような図々しい男だが、不意をつかれるという事もあるだろう。もしくは、家族同然のチャイナ娘や眼鏡の小僧を人質に取られたとしたら。これも本当に、ごく低い「もしも」ではあるが可能性としてはゼロではない。
 土方の質問に高杉は少し面白くなさそうに軽く首を傾げた。ややあって、皮肉気に歪んだ唇を開く。
「万事屋は俺だ」
「そうか……って、何!?」
 どんな最悪な結果が待っていようと感情を表に出すような愚行はするまい、と決意していたというのに。あまりにも頓狂な返事に決意が崩れ去る。
「おまえ今なんつった。ふざけてんじゃねーぞ」
「ハァ? 何故俺がふざける必要がある? 万事屋は正真正銘この俺だ」
 喧嘩腰に食って掛かる土方に、高杉の返答は冷たい。しかしそんな話を誰が信用するというのか。馬鹿にするのも大概にしろと言ってやりたい。
「んなわけあるか! 大体、ここはテメーのヤサじゃねーだろうが。銀髪はどうした。チャイナ娘は、眼鏡小僧はどうした!」
 次々と捲し立てれば、高杉は益々機嫌を損ねたような顔つきになる。
「銀髪だァ? 誰の事だ一体。チャイナ娘も眼鏡小僧も、うちにはいねーよ。いるのはミニスカ女とロリコン野郎と、それからさっきのペットだ」
「いねーだと……っ、ていうかさっきのはペットか!? アレがペットか!? まるっきり化け物じゃねーか!!」
「そのまるっきり化け物にテメーは助けてもらったんだがな。全く、大和撫子のくせに恩知らずな野郎だ」
 助けられた? その言葉に土方は激しく動揺する。
 それに、銀髪の事を高杉は知らないという。チャイナ娘も、眼鏡小僧もだ。これは一体どういう事なのか。
「うちのペットが倒れてたテメーを拾ってきやがった。普通の拾いもんなら放置したんだがな……テメーは危ねェ匂いがした。だから助けた」
 そう言いつつニヤリと不穏な笑みを浮かべた高杉の方こそ危ない野郎だと思う。話の内容も楽しそうな表情も、すべてが危険な匂いでぷんぷんしている。危険な男は単衣の袖の中に手をつっこみ、何かを取り出すとそれを混乱する土方へ差し出した。
 それは小さな白い紙切れ――名刺だった。
 胡散臭そうな表情を隠しもせず差し出された名刺を受け取る。そして名刺に書かれた肩書きに目を疑った。
「万事屋……晋ちゃん、だと!?」
 そこには「万事屋銀ちゃん」ではなく「万事屋晋ちゃん」という肩書きと高杉晋助という名前。それから電話番号に住所といった連絡先が記されていた。名刺を握りしめた土方は素足のまま玄関を飛び出し、引き戸を開け放した先にある手すりを掴み大きく身を乗り出す。そこには看板があるはずだった。「万事屋銀ちゃん」という大きな看板が。
 しかし、目的の物はそこに存在しなかった。かわりにあったのは「万事屋晋ちゃん」という見覚えのない看板。ぐらりと視界が歪む。
「何だこりゃァ。何がどうなってやがんだ」
 おかしい。何かがおかしい。ズキズキと頭が痛みを訴え始める。地に両足をつけた土方はこみ上げる吐き気を堪えるべく手すりを強く掴み己の身体を支えた。混乱の極みに陥る土方に背後から高杉が声をかける。
「万事屋晋ちゃん。アブない仕事、気だるく募集中ー」
 わざと感情を殺したような棒読みで読まれたおよそ商売気のない文句は、「万事屋晋ちゃん」の肩書きの前に書かれてあるものと全く同一だった。


090412
オフラインで出せなかった本
続きます。

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