土方in







 ――何やら頬がくすぐったい。



 そんな感触に土方の意識が浮上する。しかし未だ瞼は重く、目を開ける事は適わない。身体は眠りを欲していた。できる事ならばこのまま睡眠を貪りたいのだが、頬を撫でる何かが激しく邪魔である。完全に覚醒したわけではない脳と身体は、少し手を動かす事さえ億劫で、それを振り払う事すらできない。
 いいから眠らせてくれ。
 けれど湿った何かが頬を上下した。獣のような息づかい。人間ではない、と咄嗟に思う。
 その感触で思い出したのは、犬だった。それもただの犬ではない。悪ふざけにも程があろうという程、巨大な白い犬だ。大方そいつが頬を舐めているのだろう。舐められた箇所に息がかかり、気化熱で頬が冷える。
 万事屋の野郎、何してんだ。
 ペットの躾くらいちゃんとしろ、と白い巨大犬を飼っている男の姿を思い浮かべる。いやらしい笑みを張り付かせた白髪頭は、それだけで憎らしい。だが、頬を舐められる程度で済んでいるなら、まだマシな方かもしれなかった。奴が「定春」という名の巨大犬を正しく躾られていないのは、天然パーマの頭の上にのしかかられ赤い血を垂れ流している姿を見るからに明らかであるからだ。所詮プー太郎もどきの万事屋には少々荷が重いのだろう。
 しかし――あまり動物との接触を好まない土方にとって、今の状況は迷惑でしかない。一体なぜこんな状況に陥っているのかも解らなかった。定春がいるという事は、自分は万事屋にいるのだろうか。背に当たるのは使い慣れた己の布団ではなく、固いソファの感触だった。万事屋の応接室に設えてある長いソファを思い浮かべる。ではやはり俺は今、万事屋にいるのか?
 半覚醒状態ではうまく考える事もできない。頬を舐められながらうつらうつらとそんな事を思っていたら、男の声が耳に届いた。
「オイオイ、いくら美味そうだからってそんな舐めんじゃねーよ」
 大人の男の特徴である低い声。子供達の方ではなく万事屋の主が帰って来たらしい。その声に、頬を舐め続けていた獣がのそりと退く気配がした。
 これでやっとゆっくり眠れる、と思ったのだが。
 今度は頬に乾いた布の感触。万事屋が濡れた頬を拭いたのだろう。ハンカチなど持っていないに違いないから、これは大方シャツの上に羽織った単衣の袖だと思われるが、そんな事を気にする程繊細ではない。
 だから『ご苦労、もう放っておいてくれていいぞ』などと、横柄な事を思う。そんな心の声が通じた訳でもないのだろうが、男は顔を拭いた後、放っておいてくれなかった。
「クク……。無防備な顔して寝てやがる」
 無骨な指が緩やかに頬のラインを縁取った。特定の意図を持って滑らされた指の感触に背筋が粟立つ。しかし男は手を止める事なく顎を上向かせた。土方は近づいてくる気配に鉛のように重かった腕を動かす。頭を押し返して口づけを避けようとしたのだが、手に触れた万事屋の髪が思いがけずさらりとしていた事に驚いた。普段から己の髪質――好き勝手に跳ね放題の天然パーマ――に対し恨み言を募っていたのに、あのふわふわもふもふした頭は実はこんなにもつるりと手触りのいいものなのだろうか。いや、違ったように思う。この感触はあの男が求めてやまない、サラサラのストレートヘアーにしか許されるものではない。刹那、脳裏に天使の輪が浮かぶ程のサラサラのストレートヘアーに変身した銀髪の姿が浮かんだ。その気持ち悪さ、不気味さときたらそれはもう――。
「ありえねェ!」
 思わずそう叫んでしまう程のもので、と同時に土方は自分の声で完全に目を覚ました。


090410
オフラインで出せなかった本
続きます。

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