ハッピーハロ







「トリック・オア・トリートー」



 間延びした同居人の声に土方は開けたばかりのドアを閉めたい衝動に駆られた。だからといって土方に非はないだろう。自然と目が、胡乱な者を見る目つきになったのも仕方ない。
 何しろそこにいたのは、いい大人ならちょっと同居するのはご遠慮願いたいような人物であったからだ。
 トリック・オア・トリート――それは十月三十一日に行われるハロウィンという行事にまつわる言葉だ。子供達がこの言葉を唱えれば、菓子をやらねばならないらしい。日本語に訳せば『お菓子をくれないと悪戯するぞ』と言っているわけだから、菓子さえやれば満足するのだろう。事実、この行事の本場であると思われる国でも、その日は子供達が菓子を目当てに街を練り歩く。それも、ただ練り歩くだけではない。
 この祭りの参加者には誰が見ても解るような特徴があった。それが仮装である。
 子供達はハロウィンに仮装するのだ。それはお化けであったり、物語の登場人物であったり様々だ。そうして思い思いの格好に扮しては、家々を回るらしい。
 らしい、というのは土方がハロウィンを実際に体験したことがないからだ。土方には十月三十一日にお化けの格好をした事もないし、菓子を集めに奔走した経験もない。この国にハロウィンが根付いて来たと言っても、それはまだクリスマスやバレンタインデーに比べるとまだまだ浅いものだった。
 だから土方にとってみれば、ハロウィンに浮かれるものの気持ちが解らなかった。それだけではない。実際に仮装するような大人がいるなど思いもよらなかったのだ。
 そのため同居人が「トリック・オア・トリート」などと言ったのも予想外なら、その男の格好を見てため息をついてしまっても仕方ないことだったのである。
「お前何やってんだ」
 土方の呆れた声音にも関わらず、同居人の男は部屋の灯りにきらりと輝く銀糸を撫で付けながらこう言った。
「いや、ハロウィンっていいよな。こんな格好してても誰も怪しまねーもんな」
 こんな格好とは――すなわち黒いマントを羽織った中に中世の貴族めいた衣装の事だ。黒いマントの裏地は深い紅色だった。いつもはくたくたになったスウェットで生活している男のくせに、そんなものを一体どこから調達したものか呆れてしまう。
 髪型もこの日はいつもと違っていた。銀髪なのは元からだが、普段は天然パーマのその髪を手入れする事もなく好きなように跳ねさせているくせに、今日は衣装に合わせてか前髪を上げ、あとは後ろへと流していた。
 姿形だけ見れば完璧な正装である。これで表情さえきりりと引き締めていればなかなかの好男子であるのだが、死んだ魚のような生気のない目がそれを阻んでいた。
「ンだその格好。舞踏会にでも行くのか」
 妙に自信ありげな同居人の鼻をとりあえず折っておこうと思っての発言だったが、頭の悪い同居人には理解できなかったようだ。逆に「お前知らねーの?」ととぼけた台詞が返ってくる。何の事だと問い返せば、奇妙奇天烈な衣装に身を包んだ男はチチチと舌を鳴らして指を振った。
「これはヴァンパイアの正装だよー」
 知らねーの? と眉を下げ、にんまりと笑った口元には鋭い牙。
 土方の何かがぷつりと切れた。
「テメーはンな格好しなくてもヴァンパイアだろうがァアアア!」







「いいじゃねーかハロウィンの時くれェこんな格好したってよォ」
 そう言って銀髪の男は自らが着ている衣装を示した。滑らかだが控えめな光沢のある漆黒の生地は、分不相応にいいものだと見てとれる。
 坂田銀時――。
 自前だという見事な銀髪が印象的なこの男は土方の同居人だが、ただの人間ではない。
 ヴァンパイア――いわゆる吸血鬼である。
「ハロウィンだろうがなんだろうがテメェはいつだってヴァンパイアだろうが」
 土方の台詞に、銀時はまるで解っていないというように手を振ってみせた。
「お前馬鹿? ハロウィンだからこんな格好できんじゃねーか。普通の日にこんなん着て出てった日にゃァただの痛い大人になっちまうっての。十月三十一日だからこそ堂々と出歩けるって事に気づけや」
「テメェこそわざわざそんな格好で外出歩かなくてもいい事に気づけや」
「酷ェ男だな。てめーにゃ優しさってもんがねーのか!? ヴァンパイアだってたまには堂々とお散歩したーいって思うんですぅ」
「ほーう。つか、テメェは昨日もほいほい外出歩いてたと思ったがな」
 土方の言動は嘘ではない。第一、吸血鬼だからといって銀時が外出しないわけではないのだ。吸血鬼の弱点である太陽の光が及ばない時間――つまり日が落ちてからなら、銀時は自由に外の世界を闊歩する事ができる。それをいい事に昨夜も冴えないスウェット姿に便所サンダルという出で立ちで、のこのこ外を歩いていた。
「アレはおめー、ジャンプが発売されてっから……」
 油断しきったその姿で買うものが漫画雑誌とイチゴ牛乳だというのだから、吸血鬼のイメージも形無しだ。いや、むしろそんな事よりも。
「大方、テメーの目的はアレだろ。菓子を貰おうって魂胆だろう」
 土方の指摘に銀時の身体がぎくりと強張った。
 こいつは本物の馬鹿だ、と土方は目の前にいる甘党の吸血鬼に心底呆れ果てる。
 トリック・オア・トリート。
 この台詞からも解るように、彼はハロウィンの祭りに参加するつもりなのである。吸血鬼のくせに。わざわざ吸血鬼の格好をして。これを愚かと言わずして何を愚かと言おう。
「いい事をひとつ教えてやるよ。ハロウィンの祭りな、アレ、菓子を貰えるのはガキだけだ」
 その台詞に愚かな吸血鬼の野望が、粉々に砕け散ったのが解った。

 ヴァンパイアとは――人の、特に処女の生き血を好んで啜ると言われている化け物だ。コウモリや霧に姿を変え夜を徘徊しその身体は通常の人間よりも強靭で、普通の銃で撃たれたくらいでは死なず、永遠に若く美しいとも言われている。弱点は太陽の光――それも朝日が一番で、その他には十字架とニンニクを嫌うという。

 そんなモンスターとひょんな事から出会ってしまって以来、土方はこのプラチナブロンドのヴァンパイアと同居している。同居というより土方が銀時を住まわせてやっていると言う方が正しい。(余談だが、銀時はこれを同棲だと言い張っており、土方はそれを否定し続けている)
 とはいえ吸血鬼との生活など一日で破綻するだろうと高をくくっていた土方である。だが、これがなかなか続くもので。それというのも銀時がまるでヴァンパイアらしくないヴァンパイアであることが理由のひとつだと思われた。
 何せこの男ときたら、吸血鬼のくせにケーキや饅頭などの甘い物に目がなく、永く生きているくせに漫画雑誌を購読するのが止められないときていた。毎週月曜日に発売されるそれが、たまたま土曜に出る事を失念していた時など大げさに騒ぎ立て、しかもその時いい加減漫画雑誌から卒業しようかしまいか本気で悩んでいた程の馬鹿なのだ。
 ただの人間ならまるで駄目な男、略してマダオで通じるが、銀時は腐ってもヴァンパイアである。
 人の生き血を飲むというのは真実で、銀時も腹が空けば生き血を欲した。吸血の本能に従う時だけは、この男はモンスターに変わる。普段は死んだ魚のような目も物騒な光を宿し、その牙は獲物を求めるのだ。
 彼ら吸血鬼は、一度で人の生き血のほとんどを吸い尽くす事もできれば、命に関わりがない程度にとどめる事もできる。人を生かすも殺すも思うまま。しかし理性の低いヴァンパイアは簡単に人の命を奪った。ちなみに、吸血された人間がヴァンパイアに変わる事はない。
 それは土方自身が身をもって知っている事実だ。土方は銀時に己の血を与えていた。
 何の事は無い。同居の際の条件にそれは含まれていたのだ。自らの血を与える変わりに、銀時は辺り一帯に住む人間の血を求めないと。
 銀時に恐怖を感じる事は、正直な話――無いとはいえなかった。普段の行いを知っていても、やはり銀時は吸血鬼だ。吸血の最中、人は無防備になる。けれど銀時は土方の血を吸い尽くした事は今までに一度たりとて無い。無いからこそ土方はこうして生きていられるのだが。
 しかし、それにしても――。
(妙な野郎だ)
 土方が知る中でもこれほど人間臭いヴァンパイアはいないだろう。それは銀時がいわゆる純血種と呼ばれる生粋の吸血鬼ではなく、元々は土方と同じ人間だったからかもしれない。銀時はある時から人間としての生を捨て、化け物になる道を選んだ。どんな経緯があったのかは知らない。けれどもその選択は決して吸血鬼に心酔し、人知を凌駕する怪物の力や永遠の若さを望んだものではなかったはずだ。――もっともこれは土方の想像でしかない。


 この世に存在するすべてのヴァンパイアが銀時のようであったなら――目当ての菓子が手に入りそうになくうちひしがれている銀髪の男を眺めやりつつ考える。馬鹿げた話だ、と土方は知らず苦笑した。




061119
ハロウィンなんてとうの昔に過ぎてますが…
終わらなかった同人誌用の原稿です★

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