temptation




 ――プラチナブロンドのヴァンパイアには気をつけな。
 捕まってしまったら、決して逃れられないよ。


 吸血鬼、という生き物を知っているか?

 その名の通り奴らは血を――主に人の血を啜って生きる化け物だ。通説によれば、彼らは処女の生き血を好む生き物であるが、実際には子供も男の血も糧にする。
 そんな恐ろしい化け物であるにも関わらず、吸血鬼に魅入られた人間は少なからず存在していた。

 その理由に関して、土方には一つだけ心当たりがあった。


 瞳孔が開いている、といわれる瞳が天井の明かりを背負った男の顔を睨み付けている。肩に乗せられた手は重く、背中には押し付けられるマットの感触。抵抗しようにもしきれないほどの力でベッドに押さえ込まれては、もう睨み付けるか罵倒する以外に仕様が無かった。
「腹減った……」
 土方を押さえつけている男はぼそりと呟く。言葉らしい言葉を吐いただけかろうじて理性は残っていたのだろう。けれどそれは炎の消えかかった蝋燭のごとく頼りないものでしかなく、そんなものに縋ったところでこの状況が好転する可能性は低かった。
「退け」
 それでも一応は抵抗を試みてみる。たとえ結果が同じだとしても、何もせず相手にされるがままになるのと拒絶の意を示しておくのとではかなり性質が変わってくるからだ。
「無理」
 低く言い放った土方の台詞を、男はきっぱりとはたき落とす。死んだ魚のような眼に物騒な光が宿り始めたのを土方は見た。――もうそろそろ限界か。
「腹減って死にそーなんだよ。食っていい?」
「嫌だっつっても聞きゃしねーんだろが」
 土方の台詞に男は答えなかった。瞼を閉じて頭を振る。そうして再び眼を開けたとき、そいつは人の眼をしてはいなかった。
 ――ヴァンパイア。
 すぐに訪れるだろう衝撃に備え、土方はきつく奥歯を噛み締める。上体をかがめ、顔を近づけて来た男が土方の首筋に顔を埋めた。薄い皮膚に当たる吐息。これから起こることへの予感に体が震えた。
 男は土方の肌に唇を触れさせ、そうして波打つ血管の位置を探る。来る、と思ったのと同時に尖った牙が当てられ、つぷりと表皮を牙が貫いた。
「ッ、……!」
 反射的に飛び出そうになった声をどうにか堪える。だが、問題はここからだ。これから土方は男が食事を終えるまで耐え続けなければならない。しかし。
「……ん、う……っ」
 理性を総動員したところで、甘ったるい声は行き場を求めて土方の内から漏れ出てくる。耐えきれずシーツを握りしめるが、それだけで解決するとは思えなかった。
「んっ、ァ……ハ……」
 噛み締めていた奥歯が解かれる。そうなるともう声を抑えることなどできやしない。
「ア、……ンッウ、ウアッ……」
 血の匂いが漂う中、土方の上げる声は痛みからくる苦悶の声ではなかった。悩ましげに眉を寄せ、上気する頬。高められる体の熱を持て余し、身を捩る。その声はまさしく嬌声といえるものだ。
 その声に混じる、ぴちゃぴちゃという水音。こちらは紛れも無く「食事」の音だった。 ヴァンパイアが生きて行くためには人の生き血が必要であることはいうまでもない。だからこそ太陽の光を嫌う彼らは夜ごと獲物を求めて彷徨う。
 例外はあるが、彼らは一度目をつけた獲物を一晩で食い尽くしてしまうような真似はしない。何日もかけてじっくりと、温かな生命を味わうのだ。
 吸血鬼に魅入られた人間の多くは、自ら喉を差し出す。初めは恐怖に顔を引きつらせているにも関わらず、二度三度の密会を重ねれば間違いなくその身をヴァンパイアへと捧げてしまうのだ。

 その理由が、おそらくはこれだろう。

 吸血鬼に血を吸われ、痛みを感じることはない。それどころか。
 吸血という行為がもたらすのは「快感」といっていいものだった。

 「……ッ、ああ!」
 抗いがたい快楽の中、土方はびくびくと身を震わせる。のしかかる体重の重みさえ感じない。ただ与えられる感覚に頭が麻痺して何も考えられない。それを齎す化け物を愛しいとさえ思ってしまう自分がいる。
 人が人に与える快楽とはまるで違うのだ。だからこそ彼らは魔物と呼ばれ、人は恐怖を抱きながらも彼らが与える甘美な毒に陶酔する。
 吸血行為は、人に取って麻薬のようなものだった。
 その牙が離れて行くことが惜しい。

 だが――土方の首筋に埋めていた牙は唐突に離れる。抜かれる瞬間、それを惜しむように身体が反応してしまうのはどうしようもなかった。熱い吐息がこぼれ落ちる。
 だが、牙さえ離れれば土方の理性はいくらか戻るのも事実だ。
 土方の生き血を啜った吸血鬼は赤く汚れた唇を一舐めし、また土方の首につけた傷も奇麗に舐めとった。 そして「ふう」と一息つく。
 その間、土方の身体はじんじんと痺れて動けない。全身を包む感覚は不快なものではなく、むしろ心地よい酩酊感といえた。ただ、指一本動かすことさえも億劫である。
 乱れた息を整える土方に、ヴァンパイアはようやく眼を留めた。先程の、理性を失った危険な瞳ではない、呑気な光を帯びた眼が驚きにわずか見張られる。


「ちょ……ッ、何お前、そんな犯されたみてーな顔してんの!」


 つい先程まで土方を快楽の渦へ落としていた男が心底驚いた様子で言った言葉に。理性を飛ばしていたのだから仕方ないこととはいえ、土方もさすがにカチンときた。だから。


「犯されたんだよ! たった今、テメーにな!」 
 と。気力を振り絞って答えてやっても、別に罰は当たらないだろうと思ったのである。






050827
銀さんがヴァンパイアコスなんてしてるから……
と、書きかけだったヴァンパイアネタをちょこちょこと……。

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