緋色のスカーフ

 


 高杉晋助――幕吏十数人を、一人で手に掛けたといわれている男。
(上等じゃねえか)
 攘夷浪士の中で最も過激で最も危険な男を前にして、土方は気分が高揚するのを感じていた。真に強い相手に、神経が尖っていく。否応なしに臨戦態勢へと引き上げられる感覚が心地良いとさえ感じた。
 強い――。目の前の男は間違いなく今まで出会ってきた侍の中でも一二を争う強さの持ち主だろう。その殺気は狂気にも似て。片方だけの瞳が土方を捕らえて離さない。唇に薄く浮かべた笑み。相手も間違いなくこの状況を――命のやりとりができる状況を――楽しんでいる。
「副長ォ!」
「てめーらは手ェ出すな! 行けェ!」
 背後から飛んだ声に一声怒鳴りつけた。目の前の敵は、多勢に無勢が通じるような易しい相手ではない。変に足手まといになるくらいなら自分が斬って捨ててやる覚悟だった。土方に命じられ、隊士共が各地で勃発している小競り合いを収めるべく走り出す。
「ほう。副長、ね」
 高杉が感心したような声を発した。クク、と喉奥で笑う。
「てめェなんぞうちの大将の手ェ煩わせることもねェ。俺が片つけてやらァ」
「真選組副長、鬼の土方……名前は聞いてるぜ。よく吠えるじゃねえか――」
 ――幕府の犬が。
 土方の剣が一閃する。不意打ちの一太刀に、高杉の反応は早かった。キィン!と高い音を立てて土方の刃は止められた。止めたのは、高杉の刀の鞘。だが構わず土方は力を込める。ギリギリと両者の力が拮抗し競り合う。高杉の狂気を帯びた隻眼がすうっと細くなった。
「せっかちだなァ、お前。――折角の祭りだ。もっとじっくり楽しもうや」
「ほざけ!」
 言い捨てて、土方はその場から飛び退いた。同時に身を引いた高杉に、一歩踏み込み刀を突き出す。高杉は横に飛んで躱すと、土方との間合いを取り抜刀する。そして、構えるでもなくだらりと右手を下ろして、土方の攻撃を誘った。


 (戦闘シーン省略・なんてこと)


 左肩に灼けるような痛み。懐に潜り込んだ高杉が土方を見上げて嗤う。深々と突き刺さった白刃が視界の端に映るのを確認した途端、土方の体が吹っ飛んだ。
「ぐ、ッう!!」
 腹を蹴られ、強かに背中を打ち付け、一瞬呼吸が止まる。直後激しく咳き込む土方を見下ろし、高杉は端正な顔に不釣り合いな歪んだ笑みを浮かべた。薄い唇が謳うように言葉を紡ぐ。
「犬は犬らしく――鳴けよ」
 どす黒く染まっている肩口めがけて、足を踏み下ろす。
「ゥ、ア、アアアアアッ!!」
「ハハハハハ、いーい声で鳴くなあお前」
「グッ、てめェ……ッ、グ、アッアアッ」
 高杉はわざと傷口を広げるように踏みにじった。土方の口から絶え間なく上がる悲鳴を聞き、悦に入っている。
「自分の無力さを痛感した気分はどうだ」
 愉悦にまみれた声で問うてくる。その瞳の奥に燻っているのは幕府の人間に対する憎悪だ。それを見てとった土方は、枯れた喉でくつくつと嗤った。
「哀れだな、てめェも」
 高杉の顔からすっと表情が消えた。
「無力さを痛感だと? それはてめェのことじゃねェのか高杉よぉ」
 途中、咳き込みながらも土方は続ける。
「攘夷戦争時のかつての英雄も、戦争が終わりゃただの反乱分子。理想だの何だの掲げたところで、てめェが英雄でなくテロリストと呼ばれることには変わりねェ」
 高杉は静かに土方の言葉を聞いている。
「挙げ句の果てに将軍恨んで暗殺か、今更そんなことして何になるってんだ。この国ァもう将軍奉ってる奴なんざいねェよ。幕府でさえな」
 ――意味ねェんだよてめェのやってることなんざ!
「よく吠える犬だ」
 ぐ、と高杉が踏みつけている足に体重をかけた。
「なら問う。貴様は何故将軍を護る? それこそ意味のないことだろうが」
「ッハ、俺は、幕府のために……働いてるつもりは、ねェよ」
 出血のせいで血の気が引いた顔をしながらも、土方はかすかに笑った。言葉は不遜だというのに、その表情は蔑むものではなく。それが高杉の興味を僅かながらに引いた。
「俺は――俺の信じる男のために、戦う、のみよ」
 瞬間駆けめぐった感情は何だったのか。この男はここで始末しておいたほうがいい。本能がそう告げる。だが。
 ――殺すより、面白いことがある。
 高杉は、踏みつけた土方の肩の上に刀を寄せた。
「お前はどこまで戦える? 例えば――」
 ――この腕を落とされても戦うか?
 腕を切り落とすつもりか。土方は戦慄した。だが、怯えなどみせない。
「言っただろうが。俺は一人じゃねえ。てめェと違ってな」
「いい度胸だ」
 土方は目を閉じた。自分の腕が切り落とされるのが恐いのではない。高杉が行動に出るように、誘いをかけたのだ。
(俺の左腕でてめェの命が買えんなら、安ィもんだろ)
 できれば煙草が吸いたかったが、我慢した。

「――ッ!?」
 事が起こったのは、土方が覚悟を決めた時だ。それまで知覚しなかった殺気を感じて、高杉は土方の上から飛びすさった。途端、高杉が居た空間を白刃が薙ぐ。
「総悟!」
 ――しくじったか!
「新手か」
 土方に気を取られていたとはいえ、自分が背後を取られるとは。気配の読めなかった剣士を見れば、まだ年若いのに驚いた。だが、その童顔に浮かんだ表情を見て、高杉は嗤う。
「ククククク、アハハハハハ。面白ェなァ」
 まだこんな侍が幕府に残っているのか。なんと――潰し甲斐のあることか。高杉はくるりと身を翻す。派手な着物の裾が舞った。
「追え総悟! 逃がすんじゃねェ!」
 肩の傷を押さえつつ土方は叫ぶ。沖田はそんな土方に目もくれず、返事すらせずに高杉の後を追った。
「……ッ、クソッ」
 いくら沖田といえども一人では荷が重いだろう。土方は自分も後を追おうとするが、肩の傷は思っていた以上に出血が酷く、立ち上がることも困難だった。土方はとりあえず自分のスカーフを引き抜いて、肩の傷に当てる。じわじわと血が滲んで、白いスカーフは見る間に赤く染まった。その光景すら霞んで見えるのに舌打ちした。









「……勘弁しろよお前」
 床についた状態で土方は呻いた。薄闇の中、沖田の刀だけが鈍く光を放っている。ここは屯所か。俺の部屋か。土方はぼんやりする頭で、光源の少ない室内を見回し、状況を理解した。
 沖田はまだ剣を収めようとしない。土方の左肩に添えられて微動だにしない刀。体を動かそうにも重くて動けやしない。土方は深くため息をついた。息をつくだけで体が痛いなんてのもこりごりだ。
「だから、勘弁しろって」
 暗がりの中でよくは見えないのだが、確実に沖田の瞳孔が開いていると気配で感じた。
「……ひじかたさんがわるいんでさァ」
 沖田の文句に土方は何も言わなかった。どうしたものかと考えているが、一向にまとまらない。寝起きの怪我人になんて努力をさせるんだ。なんで沖田が枕元にいるんだ。休むもんも休めねぇじゃねえかと、人選の配置を恨んだ。
「ひじかたさんがわるい」
 抑揚のない口調で沖田が繰り返す。なのに目だけはやけにギラギラしていて。相変わらずぴくりとも動かない腕に辟易する。
「だから勘弁しろって言ってんじゃねえか」
 これじゃあ逆切れだ。一体どうすればいいんだ誰か教えてくれ。
「大体、俺の腕一本で高杉の命獲れたんだぞ。安い買い物じゃねェか…って待て待て待て!」
 クソッ、怪我人に大声あげさせんな!
 柄を握る腕に力が入ったため、土方は慌てて声をあげる。せっかく助かった左腕だ。今むざむざ失ったらただの馬鹿だ。第一変わりに得るものがない。
「総悟! てめーは……」
「ひじかたさんがわるい」
「……」
 通じない。未だ興奮状態にあるのだろうか。相変わらず瞳孔は開いたままらしい。畜生、手間のかかる餓鬼だな。
 土方はちょいちょいと、無事な右手で手招きした。沖田は刀を持ったままそれに習う。屈み込んで近くなった頭を、ぽんぽんと叩いてやった後、柔らかな髪を撫でる。
「だから、勘弁しろって」
 すうっと、沖田の気が凪ぐのが解った。
「土方さんが悪いんでさァ」
「ああ」
「アンタの命獲るのは俺なんだから、それまで他の誰にも――」
 負けてもいいけどやられねェで下せェと言った沖田の台詞に。
 オイそりゃ一体どういう意味だと土方は突っ込みたかったが、手間のかかる子供が元通りになったことにホッとして、襲ってきた睡魔に負けて瞼を閉じた。





040714
高杉VS土方捏造
尻切れで終わる話だから短くて済むと思ったのに
書いてみたら案外長かった。
書きたいシーン書き殴りなので、完成はさせないと思う。

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