Which?






「そりゃァ近藤さんに決まってんだろーが」


 あらかじめその答を予想していた早さで白刃が振り下ろされた。「うぉァア!」と喚きながらも土方はすんでの所でそれを躱し、空を裂いた刀が地面をえぐり取る。土埃が宙に舞った。
 刀を振り下ろした沖田が避けられたことに舌打ちすれば、「今殺気あったろ!? あったろ、オイ!」と土方が喚いた。
「何で避けるんですかィ」
「避けるわボケェェ!」
 避けなければ己の身体は綺麗に縦割りされていたことだろう。そんな不条理を許してやるほど自分は心が広くない。いや、広い広くないの問題ではないだろうが。
「大体、気に入らねェ質問なら最初ッからすんじゃねェよ」
 土方は吐き捨てるように言い放った。



『崖っぷちに捕まって落ちそうになってる俺と近藤さんがいるんでさァ。一人しか助けられねェとしたら、土方さんはどっちを助けますかィ?』



 それは子供が親の愛情を試すが如く、沖田が小さい頃から繰り返していた質問だった。そんな子供にまで、すげなく「近藤を取るに決まっている」と返すわけはない。しかし、お前を助けてやるから心配するな――そう言えば安心するのかと思えば、沖田はそうではなかった。それどころか、この質問に土方が答えて良い反応をした試しがない。
『土方さんは近藤さんを見捨てるんですかィ!?』
『ちょっと待て、テメーが一人しか助けられねェっつたんだろうが』
『土方さんは近藤さんを見捨てられるんでィ!! 酷いでさァあんまりでさァ』
『だからお前が言ったんだろうがよどっちか一人ってよォ!!』
 腹を立てたところで、だったら近藤を取ると言うほど土方は大人げなくない。まさか泣きはしないだろうけれど、その口からどんな罵詈雑言が浴びせられるか解ったものではないからだ。それに、どれほど生意気な小僧だろうが、自分が見捨てられるという選択は傷つくだろう。
 けれどそんな土方の配慮も知らず未だに生意気なことを言う口が憎々しいのでむんずと柔らかい頬を片手できつく挟んでやる。くちばしのように尖った唇から、懲りることなくあどけない声で土方を罵倒する沖田に、堪忍袋の緒が切れるのも時間の問題だった。

 さらに土方を辟易させたのは、その質問が一回きりでは済まなかったことだ。
 そうそう頻繁に投げかけられることはなかったものの、忘れた頃に唐突に降って湧く。後で腹を立てると解っていても律儀に答えてやる土方である。
『近藤さん、土方さんはいざとなったら近藤さんを見捨てやすぜ! 油断ならねェ野郎でさァ』
 いつだったか、そんな忠言まで近藤へしでかす始末だ。そこへもって近藤が情けない八の字眉毛をして『トシィ、お前、俺を見捨てるのかァ?』なんて来るものだから、『餓鬼の言うことに一々反応してんじゃねェよ』と怒ることもしばしばあった。

 その生意気な小僧が成長して刀を持ち、土方達が真選組と呼ばれ、近藤が局長の座に納まった頃。久しぶりに同じ質問が土方に為された。今までの生活を捨て、幕臣として――組織の一員として刀を手に取る以上、沖田を子供扱いするのもおかしな話だ。それに近藤は真選組の長だ。土方は迷わず近藤だと言い切った――。
 ――その後のやり取りは今のそれと大差ない。自分の意に添わぬ返答に土方を切り捨てようとする沖田である
 けれど土方は、どうあっても沖田が望む回答を返せない自分を知っている。子供の頃のように沖田を選べば近藤はどうするのかと突っ込まれるのは必至だし、かといって「どちらも助ける」と近藤のようにごり押しできない。どちらか一人と言われてる以上、答えもどちらか一人なのだ。
 そんな土方の性格を知っているのに、沖田は懲りずに同じ問いを投げつけてくるのだ。律儀に返す自分も自分だが、返さなければどうせ白刃なり火薬をつめた弾なりが飛んでくる。だったら投げられた質問を片っ端から叩き落としてやるまでだった。
 それにしても、どうしてこいつは飽きないのだろう。
 土方はため息をついた。
「お前ホント、いい加減にしろよ」
 ほとほと疲れ果てたといった様子で土方がぼやけば、沖田は刀を仕舞いながら真っ直ぐな目を向けてきた。
「いい加減にするのはアンタの方でィ」
「アァ?」
 どういう意味だと土方は沖田を睨み付けた。その視線を受けても沖田は怯まない。
「昔っから、アンタは本当のことを言ってなかったでしょ」
 俺をあしらおうなんて、土方のくせに生意気でさァ――冗談とも本気ともつかぬ沖田のふざけた発言に、土方はぎくりとした。
 あしらっているつもりはなかったんだがな――。こいつは妙に勘働きのいい処があったから、そう感じ取っていたのかもしれない。
 沖田は無言で土方に眼差しを向けていたが、待っても回答を得られぬと判断したのかくるりと踵を返した。「市中見回りに行って来まさァ」と離れる沖田の背を見送ろうとした土方だったが。



「お前だよ」
 滑り落ちた言葉に丸い瞳が振り返った。
「俺が助けるのは近藤さんじゃねェ。お前だ」


 沈黙が落ちた。
 沖田の足はその場に縫い止められたように動かなかった。
 土方もそれっきり何も言わず、間を持たせるためか煙草を銜えて火を点けた。煙草一本を吸い終えた土方は、何事もなかったかのように「じゃあな」と言って去り、沖田は一人取り残された。






*
*

*


 頭上で男達の声がする。


 男達はぼそぼそと控えめな声で会話していた。意識の縁に引っかかる低音は不快なものではなく、むしろ心地よい響きでもって眠りを誘った。とても瞼が重い。
「なァ、トシ。もしも崖っぷちで俺と総悟がぶら下がっていたら――」
 それは昼間、土方に投げかけた質問だった。これはうかうかと寝ていられないと思い、睡魔に抗いつつ聞き耳をたてる。すぐ上で声がするということは今膝を貸してくれているのは近藤か。幸いなことに自分が目を覚ましたことは気づかれていないようだった。覚ました、といっても夢現だからだろう。
「お前は、総悟を助けろ」
 近藤の声には迷いがなかった。「ああ、解ってる」と答える声は土方のものだ。
 どうして?
 総悟の心に疑問が湧いた。昼間自分が近藤に土方の返答を告げ口したときは、眉を八の字にしていじけていたのに。大きな背中を丸めてしょぼくれていたゴリラを慰めてやったのは自分だ。けれど先程の声はそんなことを微塵も感じさせなかった。応じる土方はいつも通りだが、近藤の方はまるで別人だ。
 近藤は、自分が助かりたいとは思わないのだろうか。それに土方は、近藤を助けたいとは思わないのか。
「俺達はこいつを一人前にしてやらねばならん」
 大きくて無骨な手が柔らかく髪を梳いた。その心地よさに、意識が眠りへと引き戻されていく。まだ疑問は解決していないのに。
 自分が助かって近藤が命を落とすようなことになるのは嫌だ。でも自分を顧みられないのも嫌だ。ならば、あんな質問自体間違っている。そう解っていても、なぜだか押さえられなかった。聞いてみたかった。
 土方は近藤ではなく自分を助けると言った。嬉しい反面、なんだか納得がいかなかった。だって、自分を助けるということは近藤を見捨てるということだから。大好きな近藤を、土方は大して好きではなかったのだろうか。



「解ってるさ。そのかわり、もしそれでアンタが命を落としても――」
 土方の声が頭上で響く。もう、どちらの膝に凭れて眠っているのかまで解らない。





「アンタの命は俺が背負うよ」
 ――遠くで土方の声が聞こえた。


 



050522
二人の間には誰にも入り込めない絆が存在している。

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