近藤が女の尻を追いかけ回している、というのは最早珍しいことではなく、一同「またか」と苦笑しつつも恋の行く末を見守るというのが常となっていた。どうせフラれて落ち込んで、そのうちにケロリと立ち直ったかと思えば、忘れた頃にまた恋に落ちる。その繰り返しだ。よくもまあそんなにころころと女に惚れることができるものだ、と土方は思う。そういうと、「トシよぉ、恋に落ちるのに理由なんてねぇんだよ」と兄貴風を吹かせて、近藤は土方の頭をくしゃりと混ぜるのだ。
 こうやって人の頭をかき回すのは癖となってしまっているのだろう。その仕草は、いつまでも子供扱いをされているようで土方は不満である一方、固いばかりで決して柔らかくはない近藤の手の感触が嫌いではなかった。繊細さからはほど遠い仕草のせいであっという間に髪は乱れるが、それに文句を垂れながら手櫛で髪を整えていれば、すまんすまんと謝る近藤が、そのごつい手で出来うる限りの優しい動作であちこちに乱れた髪を撫でつけてくれる。それはくすぐったいような、変な気持ちだった。




「どこ行く気だ、近藤さん」
 こそこそと裏口を出ようとする背中に声をかければ、暗がりの中でも広い背中がギクリと強張るのがはっきりと解った。
「ト、トシ……」
 ぎこちなく振り返った顔がひきつった愛想笑いを浮かべている。見逃してくれよ、と哀願する顔だった。土方はため息をつく。
「あのなあ、アンタが誰を好きになろうが勝手だが、そんな毎日通い詰めちゃ色々もたねぇだろ。解ってんのか」
 自分よりも年若い土方に説教され、「う」と近藤は怯んだ。
 これで何人目になるだろう、と土方は思い返す。団子屋の看板娘、小間物屋のお嬢、巫女に女医なんてのもあっただろうか。とにかく惚れてはフラれての繰り返し。なのに、懲りずにまた惚れた腫れただと抜かしているというものだから、今度はどんな女かと思っていたら、失恋のショックでふらりと入り込んだ飲み屋の女だという。天人の台頭で新しくできた遊興施設で、正式には「スナック」というらしいが、近藤はそのスナックへ通い詰めているのだ。
 金に不自由していない生活では決してない。無いこともないが有り余ってはいない。
 だから、連日のようにそんな店に出入りされては困るのだと、土方は最もらしい理由をつけて近藤を咎める。だが、それくらいの理由では愛に生きる男は退かない。それどころか
「そうだ、トシ。お前も連れていってやるから。一緒に行こうぜ!」
 と土方を籠絡しにかかった。
「は? 何言ってんだよ俺は行かねーぞ」
「そんなこと言うなよトシ。お前も会えば解るって」
「解るって何がだよ。いっとくが俺は全然興味ねーから」
 第一、女を口説きに行くのに余計なものをくっつけていく男がどこにいる。なのに近藤はそんなことは歯牙にもかけないで、
「心配するなって。俺が奢ってやるから。たまには一緒に飲もうぜ!」
 と見当違いなことを言う。
「いや一緒に飲むなら別の機会にし――」
「よーし行くぞォ!」
 言うが早いが近藤は土方の腕を掴んで強く引き寄せた。うわ、と悲鳴が上がりかけた口を、空いた片手が塞いでしまう。もがもごと意味を為さない口にかわって目で拒否を訴えるのだが、近藤はしーっと抑えた声で静かにしろと宣った。
「あんまり騒ぐと皆に聞こえちまうだろ?」
 ニカ、と笑った近藤に毒気を抜かれた土方はとうとう観念してしまい、そのまま抱えられるようにして道場を後にした。



 近藤が惚れたという女は成る程綺麗な女だったが、土方にはどうでもよかった。
 それよりも、色の付いた照明や、慣れないソファのせいで居心地が悪い。だが好きな女の隣で上機嫌な近藤を見ていると文句も言えない。
 土方の目から見ても、女は客商売ということで愛想良くしているだけだと感じ取れたが、幸せな男にはその現実は見えていないのだろう。来なければ良かったと後悔した。土方の隣にも女がついて何やら話しかけてくるのだが、まともに相手をする気になれず、グラスに口を付ける。――酒は酷く苦かった。
 そんな土方に焦れたのだろう。女が土方の肩にしなだれかかってきた。突然のことに驚いて女に顔を向ける。可愛らしく拗ねる媚びた仕草に感じたのは、欲情ではなく鬱情だった。土方は目を逸らす。それを照れと取った女の微かな笑い声が耳に入る。けれど、土方の目が捉えたのは好いた女の隣で幸せそうに笑う近藤の姿。不意に心許なくなった。
「トシさんの髪、綺麗」
 柔らかな女の手が伸ばされ、結い上げて垂らした土方の髪に触れた。意図を持って滑らされた感触に悪寒が走った。
「触るな」
 はじかれたように、土方はその手をはね除けた。手を打たれた女が小さな悲鳴をあげる。
「トシ?」
 近藤の声に土方は我に返った。酒のせいか女のせいか、赤い顔をした近藤が訝しげに「お前どうしたんだ」と聞いてくる。女が何でもない、と土方をかばう。そんなやり取りが嫌でも土方の耳に入ってきた。近藤の顔をまともに見ることができない。いたたまれなくなって――土方は突然席を立ち、その場から逃げ出した。女の声に混じって「トシ!」と呼ぶ近藤の声が背中に聞こえた。



 一目散に店を飛び出し、道行く酔っぱらいにぶつかりつつ、ただ闇雲に土方は走る。行く先など決めていなかった。その場を離れさえすれば良かった。そんな土方を、近藤の声が追ってくる。
「トシ、待て。待てって!」
 何故追い掛けてくるのだ。このまま近藤を無視して走り去ろうかと思ったが、もう一度強く名を呼ばれて、土方は立ち止まった。後ろを振り返ることも出来ずに立ちつくしていたら、近藤の足音が近づいてくるのが聞こえた。
「トシ、どうしたんだ」
 心配げな近藤の声。自分のことを気にかけてくれた、優先してくれたということを素直に喜べればいいのに。土方は合わせる顔もなく俯いた。店の女の心証を悪くしたのは間違いない。土方一人ならどうということはないが、近藤の顔に泥を塗るような真似をしてしまったのが悔やまれる。
 今も、近藤は土方の態度に困り果てているのだろう。道理の通らぬ行動だ、困らないわけがない。
「トシ」
 不意に、暖かい掌の感触が頭に降ってきた。土方の、きつく合わせていた瞼が見開かれる。宥めるように軽く叩かれ、ぐしゃ、と髪を乱された。ああ、いつもの――近藤だ。
 涙が出そうだった。
「トシ……」
 土方が顔を上げれば、近藤は困りながらも笑んでくれた。暖かい笑顔に安堵した途端、急に申し訳ない気持ちが膨れ上がって、土方は「悪ィ、」と頭を下げる。
「おいおい、どうして謝んだ」
「アンタに迷惑かけた」
「トシ」
 近藤が苦笑した気配。
「俺は迷惑だなんて思っちゃいねェよ、だから頭上げろって」
 ごつい手が頭のてっぺんを掴んで、ぐいと顔を上げさせる。強引な動作に目を丸くしたら、それを見た近藤が吹き出した。
「なんだその顔!」
「って、アンタがやったんだろーが! 離せよ!」
 土方は頭に乗せられた近藤の手を引っ掴んで離す。
「おーおー、やっといつものトシだ」
「近藤さ――」
「悪かったな」
「……なんでアンタが謝るんだよ」
 土方が怒ったように言うと、近藤は困り顔で口を開く。
「いや、お前悪酔いでもしたのかと思ってよォ……ほったからしにしてたし」
 土方はあまり酒に強い方ではない。なのに土方を顧みず自分一人楽しんでしまったことを近藤は謝っているのだ。
「気分でも悪ィのかと思ったんだが……その調子だと大丈夫そうだな」
 だから、土方を追ってきたというのか。
 破顔する近藤に、土方は照れたようにそっぽを向いた。
 ――この人には敵わない。
「そんなんじゃねェよ……ただ、あの女が勝手に人の髪触ったから。ちょっと気が立ってたんだ、悪ィな」
「髪!? ……それだけか?」
「それだけだよ。悪かったな」
 さすがに大人げないと自分でも解っているのだろう。土方は拗ねた口調でそう言った。
 近藤は土方の髪に目を留めた。そっぽを向いているものだから、結った長い髪がよく見える。自分の剛毛と違い、とても柔らかそうな髪をしている。色も艶のある黒で、鴉の濡れ羽色とはこういう髪色のことを指すのだろう。
「お前、それくらいいいじゃねーか。触らせてやれよ」
 そういう近藤の声は少し呆れている。
 ただ単純に触るだけならああまで嫌悪を感じることもなかったかもしれない。けれどそれを言うのは憚られた。どうせならとことん子供じみてやる、と土方は思う。
「大体女じゃあるまいし、綺麗とか何とか言われたって嬉しかねェよ」
 我ながら言い訳がましい。近藤は何と思うだろう。女々しい奴と思うだろうか。だが近藤の反応は土方の予想を遙かに超えていた。


「だって本当に綺麗なんだから、仕方ないだろう」
 近藤は真顔でそう言うと、土方の艶やかな黒髪を一房手に取った。
「――ッ」
 土方は硬直した。己の身体を走った感覚に狼狽したのだ。
 さら、と無骨な指が髪を梳く。滑らかな髪の感触を楽しむように近藤の手が動いている。その一挙一動に意識が集中した。嫌悪感など感じなかった。それどころか、土方の心はそわそわと落ち着かなくなる。暫くこのままでいてほしいと思う気持ちと、ずっとこのままでは自分が立ちいかなくなるという思いがせめぎ合った。
 土方は眩暈を起こしそうになるのに耐える。きつく目を瞑った土方に気づいた近藤は、ハッとしたような顔をしていきなり手を離した。ぱさり、と落ちる髪の毛に、感じたのはまだ触っていて欲しいという未練。胸は馬鹿みたいに早鐘を打っている。
「すまん、触られるの嫌だったな」
 謝らなくていいのに。だが身体の芯に生まれた熱に狼狽える土方は、軽く首を振るので精一杯だった。
 先程の女の行為が影響しているのは疑いようもない。近藤にはそんな意図などまるで無いと解っているのに。
 ああ、これは――拙い。

 

「トシ?」
 名を呼ばれて、身体が震えなかったのに自分を褒めてやりたい。今口を開いたら、とんでもないことを口走ってしまいそうだ。

「トシ、どうした?」

 ――どうしよう近藤さん

「オイ?」

 ――俺ァ、アンタが

「どうしたって」
「困りますよお客さーん。お勘定払って貰わにゃ」
 いきなり他人の声が割り込んできて、土方も近藤もそちらを振り返った。見れば厳つい顔をした男が数人、退路を塞ぐようにふたりを取り囲んでいる。
「……近藤さん」
「なんだトシ」
「アンタ勘定払ってきたんじゃねェのか」
「忘れてた」
 自信満々に言う近藤に、土方は脱力した。
「さァお客さん、一緒に来て貰いましょーか」
「あ、ちょっと待って。ちゃんと払うから」
「ハイハイ、行きましょーか」
 近藤が連行されそうになったので、土方はいつでも斬りかかれるよう身をかがめた。が、それは近藤に制止される。
「ちゃんと勘定払ったら帰るから、お前先帰ってろ」
「だが近藤さん」
「大丈夫だって心配すんな」
 ガハハ、と近藤は笑った。その直後、声を潜めて
「そのかわり、皆には内緒だぜ?」
 と釘を差すので、土方はひっそりと笑う。



 言うわけがない。言えるわけがない。
「ああ、言わねーよ」
 土方が答えると近藤は安心した様子で男達に連行されていった。その背を目で追いながら、思う。
 ――安心しろよ。こんなこと、アンタにも言えねェよ。
 近藤の姿が曲がり角に消えて、土方は空をふり仰いだ。




 俺ァ、アンタが好きみたいなんだ。
 どうすればいい? 近藤さん。
 
 




040813 ※040816改訂
9500番を取って下さった天音さんリクエスト
「土→近でテーマは自覚」でした。
土方さん長髪時代です。
(いつから片思いなんだ……)(多分もっと前から)
かなり乙女モード入っております。
リクエストありがとうございました!
-------------------------------
0816 一部改定しました。

text