土方は一人部屋の中で抜刀した。曇りのない刀身に自身の姿が映り込んでいる。刀の状態は申し分ない。それに満足して薄く笑うと、刀を鞘に収めた。
 しゅ、と布が擦れる音。制服の上着に袖を通せば、身が引き締まる思いがする。これは正装だ。ひとつ深呼吸して気持ちを落ち着けた。これから土方は決闘に赴く。そのことは誰にも知らせていない――近藤にさえも。
 ――いよいよ決着を着けるときがきた。
 土方は息をひそめて、皆が寝静まる屯所を抜け出し、決闘の場所へと向かった。



「いよォ、待ってたぜ」
 ひょい、と軽く手を上げる男に、土方は危うく出鼻を挫かれるところだった。これだからこの男は油断がならない、と思いつつ砂利を踏みしめ歩を進める。指定された河原の堤防に、土方を呼びだした男――坂田銀時は座っていた。決闘前のピリピリとした緊張感を漲らせている自分と違い、男の気配は随分と緩やかだ。
「ホントに来るとは思わなかったな〜。意外意外」
「御託はいい。さっさと始めるぞ」
「お。いいねいいね乗り気だね〜」
 と、銀時は嬉しそうに自分の隣の地面をぽんぽんと叩く。
「さ、どうぞ」
「何の真似だ。ふざけてんのか」
「あ、ござは忘れたんだ。悪ィな」
 土方はとうとう抜刀し、銀時の喉元に白刃を突きつけた。
「オイオイ何の真似ですか」
「それはこっちの台詞だ! ――てめーの獲物は」
 苛立った声で言い放ち、土方は視線を走らせた。だが、目に映るものの中に、決闘に必要なものが見当たらない。というよりも、戦いに必要のないものばかりが目に付くのは一体どういうわけだ。
「獲物って……これかなァ」
 惚けた声で傍に置いていたものを取り上げた銀時に、
「そりゃ酒瓶だ!!!」
 という土方のツッコミが飛んだ。



「決闘ォ〜?」
 ぼりぼりと天然パーマの髪を掻きながら、銀時は面倒そうな声をあげた。
「そんなのに誘った覚えないんですけど」
 それを聞いた土方のこめかみがぴくりと引きつる。
「てめェ……言ったじゃねーかよ。今夜! この河原で! 待ってるから必ず来い! 逃げるなってよォ!!」
 一句一句くぎって説明してやれば、銀時は死んだ魚の目で「ああ!」と思い出したように手を叩く。
「あれねーあれ。確かに誘ったけど、あれは決闘じゃなくて――」
「何ィ!?」
 決闘でないなら何だというのだ。土方の頭に血が昇る。
「今夜星でも見ながら一杯やんない? っていうお誘いだったんですけど」
「舐めてんのかこの野郎、俺だって暇じゃねーんだよってか決闘しろ!!」
 銀時の台詞など聞きもしない。銀時は少し呆れた表情で「えー」と再び頭を掻いた。
「まァ我が儘なところもオメーらしくて可愛いといえなくもないか?」
「ああここで死にてえのか介錯なら俺がしてやるから心配すんな」
「……血の気が多いこって」
「抜かせ」
 いつだって抜けるという意思表示のため、土方は腰の刀に手をかけている。それでも銀時に焦りの色が浮かばないのは、土方が本当に自分を斬り捨てるとは思っていないからだ。
(そんなに勝負にこだわんのが餓鬼の証拠だよ)
「んじゃ……まあ決闘してもいいけど」
 やる気のない声だったが、銀時がそう言うと土方の口角が僅かに持ち上がった。獣めいた瞳と薄い笑み――なかなかいい顔するじゃねーか、と思わず騒ぎかけた血を抑え込む。
 ほらね、俺って大人。
「でも俺もうやっちゃってるけど、それでもいーい?」
 中身を空けて地面に転がっていた紙コップを手にとり、ふらふらと振ってみせる。先程の一升瓶と照らし合わせれば察するだろう。案の定土方は顔色を変え、ギリ、と並びの良さそうな白い歯を鳴らした。
「てめー……」
「いいよォ俺は。酒が入っていたから負けましたなんて言わねーさ。お・れ・は」
 けれども他人はどう思うか知らない。他人というよりも、土方自身がどう思うか。土方が自分に望んでいるのはテロリストの粛正ではない。何をしてでも勝てばいい、というわけではないだろう。
「それとも帰るか? 夜道は危ねーから送ってやってもいいぜ」
「ふざけんな!」
 土方は一言吐き捨てると、銀時の足下に転がっていた紙コップを拾い、突きだした。
「注げ」
 まんまと誘いに乗ってきた土方にばれないよう密かに笑った銀時は、「まあ座れって」と彼をその場に留めることに成功した。 



「……ッ、クソ天人共がァ」
 今にも降ってきそうな星空の下、安酒を呷った土方はそんなことを口にした。理性のタガが外れつつあるのだろうか。銀時はというと「同感ー」と土方に同意して、ちびちびと酒を舐めている。
 愛を語れそうな程ロマンチックな夜なのに、男二人で安酒を酌み交わせば、どうしても愚痴に花が咲いてしまうものか。銀時は夜空を仰いだ。確かに星は広がっているが、物足りない。
『昔はもっと星が出てたんだけどな』
『ああ、出てた』
『知ってんの?』
 星が見えにくくなったのは、星よりも明るい光が地上を彩るようになったからだ。天空に向かって伸びる一筋の巨大な塔。ターミナルと呼ばれるその建物を中心として、高層ビルが建ち並ぶようになった江戸の一角。その一角だけは夜でも煌々と明るく闇を照らす。
 闇が消えた分だけ星も消えた。天人がもたらした利便さの影に、なにかが奪われていく。けれども、今更捨てることのできない発展。土方の憤りもその辺りにある。
「オーイ」
「ああ?」
「あんま飲み過ぎんな。後が辛いぜ」
「うるせ」
 やれやれすっかり目が据わっているよ、と銀時は苦笑した。誘ったのは自分だが、この男はちょっと負けず嫌いが過ぎる。第一今夜は酔い潰すのが目的ではないのだ。
「まァ、星でも見ろって。いい肴だぜ」
 銀時の言葉に土方も黙って空を見上げた。暫しの間そうしていたら、「あ、」と同じタイミングで二人が声をあげる。星が一筋、尾を引いてこぼれ落ちたのだ。
「パフェが喰いたいパフェが喰いたいパフェが喰いたいィィ!!!」
「間に合わねーって」
 土方は子供じみた願い事を必死の形相で口にした銀時に呆れる。流れ星に願いをかけるなんて、大人のやることではないだろうというと、銀時は
「俺ァ心は少年だからな」
 とほざいた。
「せっかくだからお前も願っとけ願っとけ。御利益があるかもしれねーぞ」
「御利益って……ってかもう流れてねーよ」
 土方がそう言って紙コップを口元に運んだ瞬間、星が流れた。
「多串君がキスしてくれますよーにキスしてくれますよーにキスしてくれますよーに」
 突拍子もない願い事に、土方は安酒を吹き出した。
「新手の嫌がらせじゃねーか銀髪よォ」
「いや折角だから願っとこーかと思って。で、なんですか? してくれるんですか?」
 胸ぐらを掴む手を見下ろし、銀時はしれっと尋ねてくる。てめーのペースに乗せられてたまるか、と土方は乱暴に腕を解いた。フン、と鼻を鳴らせば、ちぇっと銀時が舌打ちするのが聞こえる。
「願わねーの?」
「無駄だ」
 土方が相手にしないものだから、銀時は少し不満そうに口を尖らせた。
「俺の願いが叶ったらお前の願いも叶うかもしれねーのに」
 根拠のない理屈を何故この男は平気で口に出来るのだろう。土方は呆れ顔で銀時を見やった。僅かに光を帯びる銀糸と、一向に煌めかない目。変な男だと思う。その男にこうしてつき合っている自分も変人か、と土方は少しおかしくなった。
 ため息にも似た息をついて、夜空を見る。二度続いた偶然。三度目があれば、その時は――。
 結局、隣の男のペースかと思うと腹立たしい気もした。が、三度目の正直が起こったとき、土方は素直に驚く。願いを――願わなくては。
「オイ」
 呼びかけて、返事を聞く前に土方は行動を起こした。
「!? あだっ!!!」
 突然のことに避けきれなかった銀時は、まともに後頭部を地面にぶつけたらしく間抜けな悲鳴をあげる。
「あっつ、……ててて。何。どうした、の――」
 僅かな動きではあったが、銀時の目が見開かれる。
 土方は銀時の顔のすぐ横に手をつき、押し倒した銀時の体に覆い被さるような体勢をとっていた。自由の利かない体勢で状況を確かめた銀時の表情に、驚きの色が浮かぶ。それが少々いい気味だった。
「あのー、もしもし?」
 銀時は酔ってるんですか?と聞いてくる。余程予想外の行動だったのだろうか。どことなく焦った顔も愉快だ。土方は質問には答えず、ゆっくりと体を沈めた。銀時は微動だにしなかった。
 吐息がかかるほど近く、少しでも動けば唇同士が触れあうというところまできて、土方はピタリと動きを止めた。
「てめーの……」
 銀時が土方を見ている。
「てめーの願いが叶ったら、俺の願いも叶うのか?」
 余裕をみせたかったのに。紡いだ声は予想以上に頼りない音色を響かせた後、重い沈黙を運んだ。それ以上動かなくなった土方に、銀時は何も答えず、ただじっと目を見る。


 酔いにまかせたというわけではない、醒めた瞳がそこに在る。



「お前がそんなにまでして叶えたい望みって何?」
 銀時の声が沈黙を破り、膠着状態から二人を解き放つ。
 土方は瞠目し、我に返る。自分は今、何を。土方は見上げてくる銀時の視線から逃れるように体を浮かせた。
「なァ?」
「ねェよ」
「嘘つくなよ」
 当然のように見破られている。
「言えって」
 苦しくなった。これ以上耐えられそうにない。
「馬鹿馬鹿しい」
 土方は呻いた。
「てめーの願いを叶えてやったところで俺の願いは叶わねェよ」
 だったら、叶えてやる義理もねェだろう。土方はそう言って銀時の上から退き、立ち上がった。のそのそと銀時が上体を起こすのが視線の端に映る。
「これ以上、てめーとつき合う義理はねェ。帰る」
 深追いはしてくれるな、と思ったのが通じたのか。それ以上銀時は追求してこなかった。
「じゃあ、またな」
 それには答えず、土方は銀時に背を向けた。少しふらついている後ろ姿。屯所までか、自宅までか。どちらかは知らないが無事に帰り着くのだろうかあの男は、と銀時は心配してやる。小さくなっていく後ろ姿が見えなくなって、銀時は背を地面に預けた。自然と夜空が目に入る。星の煌めきに目を留めつつ、ひとつため息。
「ちょっと傷ついたかも……」
 銀時のつぶやいた声は誰も聞くこともなく、昏い夜空に吸い込まれて消えた。



 土手を歩きながら、土方は煙草に火を付けた。紫煙が立ちのぼり、馴染んだ香りを吸い込む。見上げた空には一面の星。ふう、と煙を吐き出せば、目の前が白く染まる。
 銀時の意図になど、途中から気が付いていた。ただ、知らない振りをしただけだ。



 一人歩く土方の頭上に、白い靄のかかったような星の川が雄大に流れていた。






040807
七夕銀土

旧暦だと今日ですよね
ですよねえ!?
土方さん普段より餓鬼くさいですすいません
銀さんの口調はやっぱり難しいですすいません

追記 土方さんは勝てばなんだっていいという考えもお持ちですが
銀さんに関してはちゃんとした勝負がしたいようです。

別題:星空哀歌

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