空賛歌



 ごろんと地面に寝そべれば、青空も朝焼けも夕暮れもお月様も、星の海だって視界に広がる。もちろん天気の良い日ばかりではないし、日差しがキツイ時は目を閉じていてもお天道様がジリジリと瞼を焦がすけれど、それでも見上げればそこに雄大な空が有ったのだという。



(あ〜、飛んでる飛んでる)
 真選組屯所の庭に寝そべっていた沖田は、絶好の昼寝日和だというのにいつものアイマスクを付けず、ぼんやりと空飛ぶ船の数を数えている。雲や鳥に混じってそこかしこに浮かぶ異形の船は、雄大な筈の空を随分と狭苦しく見せていて、心なしか青空もくすんで見えた。天人が来る以前、空は今よりももっと綺麗な青色をしていたらしいが、沖田の記憶ではどこまで遡ったって天人の船が空にあるから、きっと自分は本当の青空を見たことは無いのだろう。
 と、何者かが足音を殺して自分に忍び寄ってくるのを感じ、沖田は静かに意識をそちらに向けた。近づく者の気配を探って、正体が解ったところでフッと緊張を解く。まさか真選組の本拠地で敵に襲われるようなことはないだろうが、沖田が昼寝をしているとキィキィと怒る煩い上司が居るのだ。その上司――土方だとしたらこんな風に抜き足差し足で昼寝中の自分に近づいてくることはない。この気の持ち主はもっとおおらかな男のものだ。そして、沖田が全幅の信頼を寄せる男のもの。
 不意に視界に影が差した。
「オォ? 起きてたのか総悟! 折角驚かせてやろうと思ったのに」
 残念そうだが楽しそうに笑う男に、沖田は笑みを返す。
「残念でしたねィ、近藤さん」
 そう言われて近藤は「オゥ」と軽く笑った。そして沖田の視線を追うようにして、空を見上げる。
「何か見えるか?」
 と尋ねた近藤に沖田は
「空と、雲と、天人の船が見えまさァ」
 と、見たままを答えた。近藤にだってそれは見えていた筈なのだが、彼は今更気付いたように「ああ」と返事して沖田の隣に座った。
「今日も飛んでるなァ」
「ですねィ」
 天人の宇宙船が飛ばない日など無いくらいに、それは日常に溶け込んでしまっている。きっと二十年前の戦いで侍が勝利していれば大空は守られていたのだろう。空だけではない、様々なものも。しかし侍の力は天人に及ばず、この国は異人が闊歩する国になった。天人にとって自分たちを排除しようという侍は邪魔なものでしかなく、彼らは侍を絶やすために幕府の中枢に根を伸ばし、刀と誇りを奪った。今や、帯刀を許されているのは幕府の役人だけで、沖田の属する真選組もその一部である。この国が天人を重要な存在だと位置づけている以上、真選組も天人を守らなければならない。
 沖田は黙って空を見上げている男に目をやった。
 近藤は、空に浮かぶ異形の船を見ながら何を思っているのだろう。


 失ったものを惜しむ声だってあるにはあるのだ。この空にしたって、昔はもっと青くて綺麗だったと聞くのだから。ただ、天人がもたらした恩恵が大きくて、その影に隠れてしまうだけで。沖田にしたって、失ったものを嘆いてもどうにもならないだろうと冷めた考えを持ってしまうだけで。
「総悟よォ」
「はィ?」
 いつになく神妙な声の近藤に、沖田は寝そべっていた体を起こした。空を見上げたままの横顔は、いつもの朗らかさの抜けた、静かな表情だった。
「俺がまだ小っこい餓鬼だったころはな、天人なんて居やしなかったんだ」
 近藤は沖田の方を向き、眉を下げて笑う。
「なァ総悟。雲ひとつない江戸の空、お前にも見せてやりたかったなァ」
 その表情に、沖田は珍しく言葉に詰まってしまった。
 昔の空が青かろうが、広かろうが、今の沖田にとって重要なものではない。天人は正直いって真選組が守らなければいけないものとは思えないのだが、局長が与えてくれた居場所と仕事なのだからそれに応えているだけで。
 なのに、そんな風に冷め切った考えを近藤の純真さは溶かしてしまうのだ。それは妙に心地よいものだから参ってしまう。
 近藤が見せてやりたいという空なら、見たいと思ってしまうではないか。
「ジジくせェこと言わんで下せェよ」
「そうか、スマン」
「どうせなら天人の船全部ブッ壊して、広くなった空を拝みましょうや」
「オイオイ物騒だなコノヤロー! テロなんて起こしやがったらてめェ斬るぞ!」
 近藤はやっといつもの調子で笑った。どこか晴れ晴れとした顔で空を見上げる横顔を見て、沖田は自然と柔らかな表情を浮かべ、立ち上がった。
「それにね近藤さん」
「あ?」
「俺も見たことありますぜ」
「何を?」と怪訝な近藤の声。
「天人が来る前の、江戸の空」



 ――無粋な船など飛んでいない、雄大で真っ青に広がる空。



 ニィ、と沖田が笑う。近藤はポカンと呆けた表情で沖田を見上げていた。

「ちょっと待て総悟、計算が合わん」
 天人が来襲してきたのは二十年昔のこと。そう、確かに計算は合わない。
 暗算も出来ないくらいに動揺したのか、指を折って計算している近藤が妙におかしかった。
「あ、土方さんに見つかっちまう。じゃあ近藤さん、見回りに行って来まさァ」
 屯所の出入り口に土方の姿が見えた。見つかればきっと煩い。沖田は軽やかに、近藤を置き去りにする。 
「ま、待て総悟! やっぱり計算が合わんぞ。お前一体年幾つだ!」
 ――そんなの聞いたって意味ないですぜ近藤さん。
 慌てふためく声を背中で受けながら、沖田は至極愉快な心持ちだった。


 だってね、近藤さん。
 『青空はあなたの見ている先に、見えているんでさァ』
 ――なんて、臭くて言えねェや。


「オイ総悟、お前近藤さんと何してた」
 尚も庭で喚いている近藤と、そこから離れる沖田とを見咎めた土方は、仕事をサボっていたのかどうかよりも、そちらの方を気にしている。
「俺は土方さんじゃねぇですからねィ」
 と言ったところで、沖田の脳味噌の中身を知る由もないのに、その台詞の意味が解る筈もなく。何やら喚いている近藤と機嫌のいい沖田とを見比べた土方は、わけが解らないので眉間に皺を寄せた。
 そんな土方に沖田はにっこりと笑みを浮かべる。



 土方がさらに仏頂面になったのは言うまでもない。


040530

近藤は幕府に対して忠誠心を持っているけれど、
天人無しでは立ち行かない今の状況を歯痒く思うこともあるのではないかなあ。

 

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