どうしてこなかったの?

 





「なんで来なかったの?」
 開口一番にそんなことを言われて、土方は無表情のまま煙草の煙を吐き出した。
「なァオイ聞こえてますかァ? なんで来なかったのか理由を聞いてんだけど」
 目の前の銀髪は首を傾げてくちびるを尖らせ、チンピラのような振る舞いを見せている。一体何のことだろうか。銀髪が何かにつけて土方に因縁を付けてくるのは珍しくないが、今回は何につっかかってきているのかまったく不明だ。しかし、そんなものに構っているほど土方は暇ではない。
「とりあえず斬るか」
 解らないものをぐだぐだ考えたところで時間の無駄だろう。あっさりと思考を手放し、かわりに腰の獲物へと手を伸ばした土方を見て、銀髪はさらに声を荒げた。
「オイイイイイ!!! 何がとりあえずなんだよ!? 飲み屋のビールじゃねぇんだぞ。とりあえずビールで、って感じで人を斬るとか言うんじゃねェ!」
 唾を飛ばす勢いでわめき散らす銀髪に今度こそ明確な殺意が湧いた。
「やかましいわこの腐れニート! つーかさっきから意味わかんねぇことほざきやがってコルァ。公務執行妨害でブタ箱ぶちこまれてェのか?」
 今は真選組といういわば公務員をしているが、土方を含め皆元をただせば田舎侍の集団である。制服を着ていてもこれくらいの雑言はわけなかった。むしろ真選組が相手取るのは過激派攘夷浪士を筆頭にするテロリスト共なのだから、お上品に振る舞っていては仕事にならぬ。今目の前にいる男とて、人の役に立つのか立たないのか微妙な万事屋とはいえ、真の素性は解ったものではない。
 銀髪はそんな土方をバカにしたような表情で肩をすくめる。
「あーあーやだやだ国家権力を傘に着たヤローってのはこれだから」
「やっぱブタ箱やーめた。斬る」
「オイオイ、刃物プラプラ振り回すんやめなさいって前にも言ったでしょ」
「るせーな。こちとら斬るために仕事やってんだ……ってこれも前に言ったな」
「あっぶねーなお前。なんですかァ? 真選組ってのは守るのも仕事だろうが」
 そんなやり取りの間でも銀髪に緊迫した空気はない。むしろ、耳に小指をつっこんでかきまわしているくらいの余裕で、憎らしいくらいだ。
 銀髪は、耳に突っ込んだ小指を引き抜き、その先をふっと息で払った。
 そんなちゃらんぽらんを地でいく男の口から「守るのが仕事」だなんてことばが出るとは思わなかった土方は少し驚く。
「なんだお前、熱でもあんのか気持ち悪い」
「ていうかさ、なんで来なかったの」
 またそれか。
 一体なんだというのか。なんで来なかったのと言われてもどこに行けば良かったのか皆目検討も着かない。
「何のことか解らねーって言ってんだろうが」
「とぼけちゃって。俺ァ知ってんだからな」
「やっぱ斬ろうかな」
 土方は気短な性質である。それに再三言うようだが銀髪の遊びにつきあってる程暇ではないのだ。すると銀髪は苛立ったようにその特徴的なふわふわもふもふした髪を掻きむしった。
「あーもうアレだよアレ。お前んとこのやくざみてーなオッサン」
「ヤクザ……? ああ、とっつぁんのことか」
 仮にも警察庁長官という警察でも一番偉いおっさんに向かってヤクザはないだろう、と思うがそれが一番解りやすいのだから仕方ない。銀髪が言っているのは十中八九松平片栗虎のことだ。あの親父以外にヤクザみたいなおっさんがそうそういては困る。
「とっつぁんがどうしたってんだ」
「あのオッサン偉いんだろ」
「まぁな。警察庁長官だからな」
「オッサンが将ちゃんを市民プールに連れてきました」
「は? 誰だ将ちゃんて」
「将ちゃんは将ちゃんだ。将ちゃん以外の何者でもない」
「わかんねーよ」
 こちらが理解していないにも関わらず銀髪は話を続ける。
「将ちゃんに何かあったら俺らの命が消されるの」
「ほぉ、そりゃ良かったな」
 松平公の傍若無人ぷりは身を以て知っている。大方とっつぁんが無理難題を万事屋に押し付けたのだろう。大して驚くことではない。
「俺が言いたいのはァ……ってちゃんと聞け。ちゃんと人の話を聞け。俺が言いたいのは、なんでお前プールに来なかったのってことだ」
 話半分聞き流していた土方は、そこで「は?」と聞き返した。
「なんで俺がプールに行かなきゃならねーんだ」
「それは将ちゃんがプールに来たからだ」
「いや将ちゃんって誰だよ」
「将ちゃんは将ちゃんだ。ってか解れやァアア!」
「解るかァアアア!!」
 なんだ将ちゃんて。松平片栗虎の交友関係など、奥さんでも秘書でもないのだから解るわけがない。だが、土方の心に不意にある答えが閃く。そういえば、昔片栗虎はとあるキャバクラにさるお方を連れていったことがあったっけ。
「オイ大丈夫か、すごい汗かいてるけど」
「何言ってんだ。汗なんてかいてねえよこれはただの水蒸気だ」
 あのじじい一体何考えていやがる。
 キャバクラのときは真選組がついていって店の外を護衛した。だが今回は本当にお忍びだったらしい。土方にもまったく知らされていなかったし、そんな情報掴んでさえいなかった。それをまさか万事屋から情報を得るとは、とんだ恥さらしだ。
「で、なんで来なかったの。ふつー来るだろ」
 どうしたものだろう。万事屋は何をどこまで知っているのだろう。ヤクザみたいなオッサンのせいで土方は今窮地に立たされている。真選組の無能を責められている。こんな腐ったニートみたいな、死んだ魚の目をした男に。しかも今回の一件は責められても致し方ない。国の最高権力者を連れ出し、護衛もなかったなんて恐ろしい話だ。何かあったらどうするつもりだったというのか。片栗虎の首どころか真選組も全員処刑されるかもしれない。
「ったくよぉ、おたくも読者サービスをもっと覚えたらどうなの」
「いやそれは………って、は? 読者サービス?」
「女共はぽろりもしねーし、男は将ちゃんに返り討ちにあってぽろりだし。てかガキと長谷川さんのぽろり見て誰が喜ぶの? 誰得? 誰も得しないでしょ。ここは一つ土方君がぽろりするべきでしょ。女性読者大喜びでしょ。それが読者サービスってもんじゃないの。あ、ほら今からでも遅くないよ。脱げよ。脱いでぽろりしちゃえよユー。あざといって言われたっていいじゃない。真選組は汚れでいいじゃない」
 相変わらず立て板に水を流すかのごとくぺらぺらとよく喋る男だ。だがその内容は身の有るものではなく土方は安堵していた。そして。
「喧しいわァアアアアア!!」
 安堵とともに沸き立つ怒りにまかせ、とうとう土方は容赦なく銀髪に斬り掛かったのだった。


101231
プールの話から。季節外れですみません

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