静寂の鬼






 ただ、息を潜めて、敵が過ぎるのを待つ。



 それは土方にとって孤独な戦いだった。彼に残された手段は呼吸を殺して気配を絶ち、ただじっと隠れている事だけであったのだ。今回ばかりは腰に下げた刀は使えない。敵に見つかればそこでジ・エンド。それでも、土方は相手に勝つ事しか考えていなかった。
 近づいてくる足音に緊張が高まる。獲物を探しているのだろう。ゆっくりとした足取りだった。吐息は殺せても、心臓の鼓動は止めようがない。早鐘を打つ胸の音が相手に聞こえてしまわないか危惧する。奇襲なら慣れているが、こうしてただ隠れているだけというのは性に合わないのだ。
 足音が時々止まるのは相手もそれだけ慎重になっているという事か。神経が張りつめる。じっとりと汗のしずくが浮かぶ。けれど土方は微動だにしなかった。嗅ぎ付けられるはずがない、と自信はあったが、もし見つかればそこで終わりなのだから緊張するなという方が無理な話だ。だから――すぐ傍にまで迫った敵の足音が際どいところで通り過ぎて行き、とりあえずの危機は脱したと判断したところで、土方は肺に溜まっていた息を少しずつ吐いた。
 しかしまだ勝負は決まった訳ではない。そのため土方は己の勝利が確定するまで持久戦を強いられる事となったのである。


 *  *  *



 憔悴しきった土方がようやく屯所に帰り着いた頃にはもうすっかり夜が更けていた。暗闇に浮かび上がる屯所の明かりを目指し、重い足を引きずるように一歩一歩を踏み出す。つい先程まで潜伏していた冷たい戦場とは対極の暖かな光。その光を目にした胸に去来するのは、懐かしさか、それとも別の何かだったか。それでも土方はそこを目指すしかなかった。帰るところはそこしかないのだから。
 土方の姿に気づいた門番が、我らが副長の姿に愕然とする。なぜならそこには常になく弱り切った姿があったからだ。
「ふ、副長!」
 どうしたんですか! と駆け寄ってくる門番を土方は片手で制した。こんな下っ端の隊士にまで心配される程落ちぶれてはいない。いや、落ちぶれてはいけないのだ。それは土方のプライドだった。だからこそ、それまでの憔悴をすべて押さえ込み、堂々たる姿を見せる。たとえそれは見せかけだけのものだとしても、ハッタリは常に必要であるのだ。
「総悟はどこだ」
「あ……、多分、今は食堂に」
「そうか」
 一瞬、ぎらりと目が光ったような気がして、門番は思わず身をすくませた。鬼の副長は眼光鋭く屯所の門をくぐると、そのまま玄関を通り隊士達が集う食堂へと向かう。丁度食事の時間であるのか、夕飯のいい匂いと、にぎやかな喧噪とが溢れ出していた。平和な事だ。平和で、結構な事だ。
 スタアン、と食堂の扉が勢い良く開き、中の人間が一斉に出入り口へと注目した。隊士達の口から「副長だ」という呟きが次々と漏れたが、いつになく厳しい目をした鬼の姿に、誰もが口を挟む事を躊躇った。こんな土方に声をかけられる猛者は真選組内でも数少ない。
「おや、土方さん。遅いお帰りで」
 その数少ない猛者のうちの一人。一番隊隊長の沖田総悟が口に飯を頬張ったまま土方へと声をかけた。鬼の眼光がそちらへと向かう。
「総悟テメェ……っ」
 沖田の姿を目にした土方は、怒気も露に大股で近づいて行った。進路上にいた隊士達が慌てて道を開ける。だが沖田はそのような土方を注視しながらも、飯を咀嚼する口の動きは止めない。
「どうしました土方さんそんなにやつれて」
「テメェ……」
 沖田の軽口に土方が苛立ったのが誰の目にも明らかだった。
「なんですかィ。飯食うなら手ェ洗ってきなせェ。アンタの分が残ってるかどうかは知りやせんが。ああ、アンタが悪ィんですよこんな時間まで一体どこほっつき歩いてたんですかィ。カラスが鳴く頃にァ帰ってこねーといけませんぜ」
「テメェ、コラ。知ってたんだろうが」
「何をですかィ?」
「とぼけんな! 知ってて俺一人置いていったんだろーが!」
 空とぼける沖田に土方の苛立が募る。土方の怒声にようやく沖田は「ああ」と得心したと思うと、こんな事を言った。
「もしかして土方さんも参加してたんですかィ? かくれんぼ」
 爽やかな容姿と絶賛される沖田のすました面が、ニタァ、と底意地の悪い笑みに彩られる。途端、土方の頬にカッと朱が差した。
「やっぱり解っててやりやがったなこの野郎!」
「はて、何の事だかさっぱり。俺は隠れてるアンタ一人置き去りにしたなんて全く身に覚えがありやせんぜ」
「語るに落ちてるんだよこのボケェエエエ!」
 土方の絶叫が屯所に響き渡る。


『チキチキ真選組かくれんぼ大会〜』


 そんな気の抜ける声で気の抜けた企画を発案したのは誰であったか。
 真正面から戦うばかりが戦ではない。時には敵の目から身を隠す事も必要である。これは遊びを通じての実践訓練だともっともらしい事を言って、沖田はただ仕事をさぼって遊びたかっただけに違いない。それを理解していたにも関わらず、たまには隊士達にも息抜きが必要だと近藤にまで言われ、企画を承認した自分が馬鹿だった。
 沖田は、自分に鬼の役が回ってきた際。隠れている土方を置いたまま、ひっそりとかくれんぼを終了させたのだ。
「テメェほんとは解ってたんだろ! あそこに俺が隠れてたって解ってたんだろ!」
「よして下せェよ土方さん。俺ァアンタがポリバケツの中に隠れてたなんて知る訳ないじゃないですか」
「やっぱり知ってたんだなこの糞ガキ!!!」
 やはり土方が置いていかれたのはただの偶然でも何でもなかった。沖田はすべて解っていて、土方を一人残していったのだ。
 気づいたら誰もいなかった。夜更けに一人、広場にぽつんと取り残された土方の気持ちを誰が解るというのだろう。そして信じたくなかった。帰り着いた屯所の暖かな光など。
「え、副長いたの?」
「置いてかれたって……」
「マジ?」
 副長と隊長。両名のやり取りを聞いていた周囲の隊士が、ひそひそと話し始める。「聞こえてるんだよチキショウ!」と、土方は居たたまれなかった。何せ、鬼の副長がその存在を奇麗に忘れ去られていたのだ。もう、ショックなんてものじゃなかった。どうしよう、泣きそうだ。
「もういい! テメーらとは金輪際かくれんぼなんざしねェ!」
 土方はそう吐き捨てるときびすを返す。
「どこ行くんで?」
「うるせェ!」
 追い打ちをかけるような沖田の台詞に、怒声で答えて土方は足音も荒く食堂を後にした。


 そしてその夜――、土方は珍しくも布団の中で丸くなり眠りについた。




080827
5/5のトシ誕リクエスト(……)で
「沖田の嫌がらせにマジで凹む土方さん」
カプは沖土でも他カプでもとわないという事でしたが
カプ要素はあまり入らなかった感じです。
これでどうでしょうか!遅くなってすみませんでした!

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