公共マナーは大切に






 その日はこの冬一番といえる冷え込みで、まるで江戸全体が巨大な冷蔵庫の中にでも入ってしまったかと思わせる程だった。
 そんな日に限って市中見回りの任についた土方は、丁度通り道だった公園で自動販売機が立っているのを発見した。機械の中には温かな缶飲料が並んでいる。その誘惑に土方は抗えなかった。見回りも一段落している。休憩だ、と言い訳しながら凍える指先で小銭を自動販売機へと投入し商品のボタンを押す。ガコン、と音を立てて落ちてきたブラックコーヒーの缶を手に取ると、冷えきった指先が暖められじんじんと痺れる心地がした。しばし缶のぬくもりを手に閉じ込めつつ道を挟んだ向こうに空いたベンチを見つけ、そこに腰掛ける。
 プルトップを開けてホットコーヒーを口に含めば、飲み下した熱い液体は体の中から土方を暖め、ほっと息をついた。天人が齎した技術の中でも、自動販売機というのは本当によくできていると思う。何しろこれがあるおかげで町中でも簡単に喉の渇きを潤す事ができるし、こうして暖をとる事もできるのだから。自動販売機では様々な缶飲料が並んでいるが、土方はとりわけ「親分」という銘柄のコーヒーを愛飲していた。もちろん、砂糖不使用のブラックコーヒーだ。どこぞの天然パーマのように甘ったるい飲み物など飲んでいられない。土方は大人であったし、真選組の副長でもあるのだ。
 残りのブラックコーヒーを飲み干した土方の目に、あるものが留った。それは公園にしつらえられたくずかごだった。空になった缶を捨てるのに丁度いい。そう考え、空になった缶をそのくずかご目がけて放り投げた。親分の顔が印刷された缶がきれいな弧を描いて宙空を舞う。だがその缶は惜しい事にくずかごの外枠に当たって跳ね返った。その時である。
「うぉおおおおおお!」
 どこからともなく男の雄叫びが聞こえたかと思うと、何か黒い物体が目の前の地面に滑り込んできた。
「うぉお!?」
 その勢いに思わず土方は驚き声を上げる。ガタン、とベンチが軋んだ。
 一体何が飛び込んできたのか。改めて黒い物体へと目を向ける。それは地面と接触し体を摩擦させたものの、それを感じさせない動作ですっくと立ち上がった。
「お前……、山崎ッ」
 立ち上がった男の顔に土方は驚愕した。それは土方の第一の腹心といってもいい監察方の山崎退だったからだ。山崎は土埃にまみれた体をはたいていた。だが顔まで薄汚れてしまっては、もはや洗うより他にないだろう。
 そんな状態にも関わらず、山崎は晴れやかな顔をしていた。まるで「とってこい」ができた犬のような顔だ。――そんな犬に縁などなかったがそう思った。だが一体山崎はなぜいきなりヘッドスライディングなどをかましたのだろう。その疑問は山崎の手の中にあった。山崎が何かを手にしている。
 それが何であるかを悟った時、土方は思わず怒りをわき上がらせた。
 なぜならその手には、土方がたった今放り投げた缶があったからだ。という事は、山崎は土方がポイ捨てした缶を拾うためにヘッドスライディングしてきたという事になる。その行動は土方を逆上させるに十分だった。
「オイ、コラ。てめぇ山崎イ!」
「……へへっ……ってハイヨ!」
 突然の怒声に、間抜けな顔を晒していた山崎は条件反射で姿勢を正した。なぜだか解らないが、土方が妙に怒っているのはよく解る。もの凄く不機嫌な顔をした土方が、自分を睨みつけていたからだ。
「そいつァ俺に対する厭味か? ああん?」
 くずかごにゴミを放り投げたのに入らなかった事へか。それともくずかごにゴミを放り投げた事そのものに対する抗議か。どちらにせよ土方にとって面白くないのには変わりない。だが、山崎はきょとんとした顔で土方を見やる。しかしその直後、「ああ」と何やら合点がいったというような顔をしたかと思うと、ついにはにやにやと笑いを堪えた顔になった。
 山崎の顔芸に土方は僅かに怯んだ。しかも山崎は不可思議な台詞を口にした。
「ありがとうございます! 副長」
「は?」
 突然礼を言われ、面食らう。この状況で山崎から礼を言われる意味が解らなかったのだ。
「俺、大事にしますね!」
「何をだ!?」
 わけが解らないものの、ほとんど反射的に言い返していた。だが土方は気づいてしまった。
 山崎が、先ほど土方が捨てた缶を愛おしそうに持っている事に。
「オイ、山崎。まさかとは思うが、それ……」
「ハイ! 副長からのプレゼント。不肖山崎退、一生の宝物にします!」
「プレゼントだァア!?」
 土方は絶叫した。なんという事だ。山崎は土方が投げたゴミを自分へ与えられたプレゼントなどとほざいているのだ。そんなつもりなどなかった土方にしてみればまさに寝耳に水という事態だ。第一、ゴミをプレゼントなど普通は思わないだろう。
 それとも俺の常識がおかしいだけか!?
 なのに山崎は気持ちの悪い笑顔でぐっと親指を突き出した。
「大丈夫です。わかってますから」
「わかってねェエ!」
「大事にしますから! これを副長の分身だと思って誠心誠意尽くしますから」
「大事にせんでいい!!! つか俺は缶か!? ゴミって言いてェのか!」
「そんな滅相もない! ちゃんと風呂にも入れるし背中も流させていただきますよ」
「缶の背中ってどこだ!? どこだてめェエ!」
「そして夜は布団で……うっ、副長っ」
「何考えたァアアアアアア!?」
「そんな変な事考えてませんよっそんな……この飲み口嘗めたら副長の味がするのかなーなんてそんなッ」
「ちょっ、返せ! それ返せ!! 返してェエエ!」
「嫌です! これは俺が貰ったんだから俺のです。誕生日プレゼントなんですぅううう!」
「誕生日プレゼントだァア!? オイ! ちょっと待てオイ! オイ! 山崎ィイ!」
 土方に缶を奪われると思った山崎はそうはさせまいと胸に缶を抱き込み脱兎のごとく逃げ出した。後に残された土方は呆然とその場に立ち尽くし、差し出した手は空しく宙を掻くのみだった。


「俺ァ今後一切、ポイ捨てはしねェ……!」


080316
実は退誕生日ネタだったんです。
(山崎の誕生日は2月6日です)

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