い罠





 二月十四日はバレンタインデー。


 女性から愛する男性にチョコレートを送る日。そんな習慣があっという間に定着してしまって数年が経つ。
 だがそんな浮ついたイベントなど日々テロリスト共と戦い江戸の治安を護る男達には関係ない。彼らはそのような軟弱な思考は捨てているのだ。
 ――捨てているはずだった。

 しかし男達は叫ぶ。声の限り。


 ギブミーチョコレート! と。



 屯所の一室は異様な空気に包まれていた。常になく甘ったるい匂いが充満し、ともすれば噎せてしまいそうだ。座卓や畳の上には色とりどりの美しい包装紙に包まれた箱が積み上げられ散乱している。甘ったるい匂いの元はそれらの箱だった。中身は見ずともわかる。チョコレートだ。
 部屋の中心には一人の青年が座していた。チョコレートに半ば埋もれるような形で箱を手に取り、選別しているのは一番隊隊長の沖田だ。むさ苦しい男ばかりの組において沖田の外見はかなり爽やかで、当然貰うチョコレートも少なくはない。
 その沖田はいとも簡単にぽいぽいとチョコレートを放り投げていた。本命チョコと思しき包みもあるがお構いなしだ。その様子を隊士たちが固唾を飲んで見守っている。
 そんな中、最後の一つがぽいと宙を舞ってチョコレートの山の上に落ちた。
「終わったぜ」


「副長、終わりました!」
 沖田がチョコレートの選別を終えた事を土方の部屋に知らせてきたのは山崎だった。気が急いているらしい山崎を一瞥し、土方は大儀そうに立ち上がる。
 いつもなら肌を刺すような冷たい冬の空気に混じり、甘ったるい独特の匂いが廊下にまで充満しているようだった。この甘さは浮かれた空気そのものだ。廊下でさえこれなら、チョコレートの集められた部屋はもっと堪え難い事になっているだろう。
 土方が辟易しつつ襖を引くと、そこはある種異様な光景が広がっていた。
 部屋の中央には沖田。その沖田を境に分けられたチョコレートの山。しかしその量は等分ではなく、片方が極端に少ない。
 土方の登場に沖田は少ない方の山を示した。
「土方さんが食えるのァこれだけでィ。あとは全滅でさァ」
 沖田の言葉に土方は「そうか」と短く返事したに止めた。


 実はチョコレートを仕分けるのには訳がある。
 というのもバレンタインデーとは女が男に愛の告白と称してチョコレートを送る日であるがその贈り物は何も親しい女性からとは限らない。日々世のため人のために働く真選組の男達に淡い想いを抱いている女性は少なくない――はずだ。そんな奥ゆかしい女性が勇気をもって行動に移せるのがバレンタインデーなのだ――という。
 そんな局長の――近藤の強い持論により真選組では女性からチョコレートを受け取ることを禁止しなかった。土方としてはこんな煩わしい慣習は無しにしたいところだが、局長命令では致し方あるまい。
 そのためこの日はチョコレートに紛れて送られてくる、有り難くないプレゼントを仕分ける必要ができたのだった。危険物が紛れ込む可能性がある以上、選別するのは当然の事である。
 土方は沖田が選別し、全滅だと言い放ったチョコレートの山を見やった。そのほとんどは土方か、沖田に当てたものだ。かなりの量であるその山を指し示し、沖田以外の隊士にこう告げた。
「オイ、お前ら。これ食っていいぞ」
 その言葉にどよめきが走る。
 だが土方は全く意に介さず、沖田が良品だと判断したチョコレートについて山崎に指示を与えた。
「こっちは全部処理班へ回せ。爆発物が混入されてる可能性もあるから慎重にな」
「ハ、ハイヨ!」
 山崎が勢いよく返事するのに合わせ、沖田が舌打ちする。土方はそれを耳聡く聞きつけると顔を引きつらせて沖田の胸ぐらを掴んだ。
「なーにが『チッ』だなにが。テメーは性懲りもなく俺を陥れようとしやがって」
「いやだな土方さん誤解でさァ。俺はきっちり仕分けましたぜ土方さんに食べて貰おうと思って」
「ほぉお? 一体何を食わせようってんだ」
「毒入りチョコ食べて死ねばよかったのに」
「テメーが死ねやぁああ!」
 土方が絶叫する。
 いつものようにどたばたと暴れ始めた二人を置いて山崎は不良品のチョコレートを持ち出した。


 そう。沖田は土方を殺そうとしている。だからこそ、同じ思想を持った者が送ってきたチョコを見分ける事ができるのである。その特異な能力を生かしチョコレートを選別するのだ。しかしチョコレートを仕分けたにも関わらずそれを土方に食べさせようとするから土方が怒るのである。
 しかしながら実は――沖田が見分けられるのは毒入りチョコだけではない事を山崎は知っていた。それは最終的にチョコレートの処理をまかされる自分だけが知っている事実である。
 土方に送られたチョコレートは悪意だけのものではない。好意からくるものも多数だった。しかしその好意が良い意味での好意とは限らない。恋する女は時折恐ろしい行動にでるものなのだ。
 好きが高じてチョコレートの中に媚薬を仕込んでいるものもある。髪の毛が編み込まれたマフラーではないが、そういうたぐいの物が混入している場合もある。それを沖田は包みを開けもしないで「危険なもの」として見分けてしまうのだ。
「なんていうか……まあ」
 知らなくてもいい世界を知ってしまった自分が一番不幸なのではないかと思いつつ、山崎は不良品と化したチョコレートを処分しに向かうのだった。


080217
出遅れたバレンタイン

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