少女と副長



 男には休息する場所が必要だ。
 闘いに傷つき疲れた身体を休ませる場所。そこで男は身体を癒し、また戦場へ赴く事ができる。

 真選組にとっての安息の地は、いうまでもなく屯所だった。
 普段危険な仕事をしている隊士達の闘いの拠点であるそこは、同時に安全なねぐらでなければいけなかった。部外者が入り込むなど言語道断。あってはならない事なのだ。

 だから――。

 お前なんでここにいるの。
 目の前に突如現れたものを見て、土方は呆然とそう思うのだった。



 武装警察真選組屯所内、通称鬼の副長こと土方十四郎の私室。本来ならば蟻の子一匹通してはならぬその場所に、いてはならない人間がいた。
 それは男所帯の真選組においては絶対に存在しないもので、だがしかし見た目にはとても愛らしい生き物である。
 その正体は、日本人にはありえない色味をした髪を両サイドでお団子にまとめ、赤いチャイナ服に身を包んだ少女だった。年の頃は十四、五歳。雪のように白い肌と、ガラス玉のように澄んだ大きな目が印象的だ。
 だが、少女が見た目程愛らしい生き物ではない事を土方はよく知っていた。そしてその一見非力そうに見える細腕が、並の男を軽く凌ぐ程の怪力を持っている事も心得ている。
 少女は日本に住んでいるものの、日本人ではなかった。地球人ですらない。夜兎、という種族の天人で名を神楽という、土方の顔見知りだ。
 そしてこの娘は地球にいる間、ある男の元に住み着いていた。
 土方の脳裏に、万事屋銀ちゃんという看板を掲げる、死んだ魚の目をした銀髪の男の顔が浮かぶ。しかし思い出すだけで不愉快なその顔をさっさと脳裏から抹消すると、土方は目の前に佇む少女を見た。
「お前何しに来た。つか、どっから入った」
 神楽はその問いには答えず、ビー玉のような目をじっと土方に向けるだけだった。土方にとってこの娘はわがままで暴力的な小娘という印象でしかなかったから、いつになく大人しい対応に妙な居心地の悪さを感じてしまう。女に見られる事に今更羞恥は感じないが、相手が年端も行かぬ少女で、しかも自分がまさに床についている状態だというのがその一端だろう。
 そう、土方は床についていた。眠っていたのだ。眠っていたところ、ふと気配を感じて目を開ければ、そこに神楽がいたというわけである。
「つまらない男ネ」
「何」
 しばらく土方を凝視していた神楽が一言発した台詞は、まったくもって意味不明のものだった。脈略無く吐かれた台詞の意味を思わず問うたが、神楽は心底つまらなそうにため息を吐く。いきなり寝所に入って来られて寝起きを凝視された挙げ句、つまらないと言われては土方も立つ瀬が無いというものだ。
「ンだコラテメー」
「がっかりヨ、マヨラー」
 土方が半身を起き上がらせ不穏な空気を醸し出しても、少女は生意気に鼻を鳴らすだけだった。その反応が面白くなかったので、一つお灸を据えてやろうと、傍にしゃがみこむ娘に素早く手を伸ばした。
 急に加えられた力に神楽の視界がくるりと回る。背中に軽い衝撃。見上げれば、黒髪の男が自分を見下ろし不敵に笑う。
「小娘が。男の寝所に忍び込んで何もなしで帰れると思うなよ」
 そう言って、土方は真ん丸な目をして自分を見上げる少女の頬を撫でた。しみ一つない肌理細かな白い肌は、若い娘の特権だろう。その頬は瑞々しい果実を連想させた。
 とはいえこれは無論、ただの脅しだ。
 本気でこんな小娘に手を出すつもりなど毛頭ない。危機感も無く男の部屋に入り込むこの娘に、世の中の厳しさを教えてやらねばならないと思っただけだ。
 しかし思惑は大きく外れた。
 丸い目をした少女は男に引き倒されても何の恐怖心も抱かなかったのである。普通男に布団に押し付けられたら、怯えるなり期待するなり何らかの反応を示すはずだ。しかし神楽にはそのどちらも垣間見えなかった。
 所詮ガキはガキか、と思った瞬間。土方の腕を娘の白い手がとらえた。そして――。
「いっ、痛ッ! いってぇえええええ!」
 悲鳴が部屋に響いた。
 神楽が土方の腕を思い切りねじりあげたのである。あっという間に形勢逆転だ。神楽は土方の身体を布団へ押し付け、ねじりあげた腕に体重を乗せた。
「がっああああ!」
 そうだ。この娘は宇宙でも有数の戦闘民族、夜兎だったと思い出しても遅い。神楽の怪力に腕がみしみしと悲鳴を上げる。このままでは骨さえ取られかねない。こんな小娘に、と思うと情けないが、どうする事もできなかった。


「スンマセンでした」
 小娘に頭を下げて許しを請う。これで男のプライドはズタズタだった。
「喧嘩売る相手は選べよマヨラー」
 少女は事も無げに辛辣な台詞を吐く。土方は黙ってその仕打ちに耐えた。
「お前馬鹿ネ。馬鹿だから風邪引くのヨ」
 馬鹿と言われて土方の肩がぴくりと動いた。聞き捨てならない。
「馬鹿は風邪引かねえんだよ。だから風邪引いた俺は馬鹿じゃねェ」
 冷静に考えれば間の抜けた台詞である事くらい解るはずだ。だがこの時の土方は冷静な思考を失っていた。なにせ平熱よりも上がった体温のせいで頭がぼんやりし、今ひとつすっきりしない状態が続いていたからだ。
 そう、土方は体調を崩していた。だからこそ昼間から布団を敷き、床に臥せっていたのである。いくらなんでも夜間の侵入を許す程、屯所の警備はザルではないはずだ。
「違うアル。体調管理が出来てない馬鹿ヨ、風邪引いた軟弱者は」
 屁理屈を迎え撃つ神楽の台詞は容赦なく土方を傷つける。
「クッ。小娘のくせに正論吐きやがって………アレか?保護者がろくでなしだと子供がしっかりするっつーアレか?」
 小声のぼやきだったが、神楽の耳にはしっかり届いていたらしい。
「フフン。もっと褒めるがイイネ。銀ちゃんも馬鹿だから家で寝込んでるアルヨ」
 それを聞いた土方の顔が、仏頂面から満足げな笑みに変化した。熱を出して寝込んだのが自分だけではないという歪んだ感情がそうさせたのだ。
「何笑ってるアル。気色悪いネこのマヨラーが」
 神楽の声に現実へと引き戻された土方は、うるせェ、と悪態をつくとごそごそと掛け布団を捲り、その中に身体を潜り込ませた。無論、銀時よりも早く風邪を治すためだ。
 銀時の風邪の原因は解っている。そしてそれは土方の風邪の原因でもあった。昨日の事になるが、二人は寒空の下で長時間を過ごしたのだ。互いに意地っ張りで、互いに負けず嫌いである結果の事だった。
 土方一人が風邪を引いたというなら癪だが、銀時も同じだというなら話は変わる。土方は銀時よりも早く風邪を治す事で、銀時よりも自分の方が優れていると証明しようと思ったのだ。
 しかし。
「オイ、お前何してる」
 平静を装いながらも動揺を抑えきれない声が土方のくちびるから漏れた。それもそのはず。神楽は土方が潜り込んだ布団を捲り、その中へ自分の身体を潜り込ませたのだ。
「土方くんはベッドの中じゃ可愛いって、銀ちゃん言ってたネ」
 無邪気な少女の声で再生された台詞に、ピキイン、と土方の身体が凍り付いた。まるで瞬間冷凍である。だが瞬間冷凍は瞬間解凍された。
「あの野郎ブッ殺す!」
 今しがた早く風邪を治そうと布団に潜り込んだ事も忘れ、刀を掴んで立ち上がろうとした。だが。
「どこ行くネ。病人は大人しく寝てるヨロシ」
 咄嗟に夜兎族の力で土方の身体は布団に縫い付けられる。
「離せコラ! 小娘には解らねーだろーがな、男にはやらなきゃいけねェ時があるんだよ!」
「小娘小娘煩いネ。病人は黙って寝るヨロシ」
 布団から這い出そうともがく土方を神楽は馬鹿力で押さえつける。小さな身体のどこからそんな力が発揮されるのか。細く白い腕は大人の男が暴れてもびくともしなかった。
「コラァ! 離せ怪力娘! 警察舐めんなよ! ってか若い娘が男と同衾なんて何考えてんだお前ェエエ」
「ドーキンて何アルカ! 私窓ガラスなんて拭かないネ!」
「そりゃ雑巾だ!」
 何だかどっと疲れが押し寄せてきて、土方は抵抗をやめた。元々体力が落ちているところに夜兎族などとまともにやりあえるはずがない。これが敵ならばなんとしても殲滅するところだが、神楽を切るわけにもいかないだろう。
「もういい。俺は寝る」
 とにかく落ちた体力をなんとしても回復させなければ。土方が相手をしなければ神楽も飽きてここを出て行くだろう。そんな期待も込め、目を閉じる。
 疲れていたためか、思ったよりも早く眠りは訪れた。

 ただ、それが神楽にも訪れたのは誤算だったかもしれない。






 真選組屯所は、隊士達の休息と憩いの場であり、部外者が立ち入っていい所ではない。
 中でも局長、副長の部屋は屋敷内でも奥まったところにある。それは組織の中枢である彼らを守るためのものであったはずだ。
 だから――。


 すやすやと健やかな寝息をたてて男は眠っていた。その隣には、同じく健やかな寝息を立てる少女の姿。
 一つの布団に仲良く眠る男と少女を、青年は黙って見下ろしていた。
 常日頃から表情の読めない鉄面皮であるが、この時も例外ではなく、端正な面に何の表情も浮かべてはいなかった。いや、浮かべていないように見えた。
 見る者が見ればそれは、不機嫌な表情に見えただろう。表情は読めずとも、纏う空気がいつになく重い事に、勘の良い者は気づいたかもしれない。
 いや、多少勘が悪くとも、この時ばかりは沖田の機嫌が急激な下降線を描くのを感じ取ったかもしれない。

「土方さんに夜ばいかけるたァいい度胸じゃねえかチャイナ……」
 そう言って沖田は腰に差したものを抜いた。怜悧な殺気がぶわりと膨れあがる。

「死ねェェェェェ土方ァアアアアアア!」
 間違いなく首を狙って大きく振り落とされる刀。
 沖田の殺気に目を覚ました二人が布団から飛び退く。
 刀が布団をまっぷたつに切り裂き、畳に深く突き刺さる。
「チッ、し損じたか」
「オイ! テメー今俺狙ったろ! 俺狙ったろコラ!」
「うるせーな土方このロリコン野郎死ね」
「誰がロリコンだコラァ!」
「私に喧嘩売るとはいい度胸ネ。返り討ちにしちゃるヨ!」


 真選組随一の剣の使い手と、夜兎族の娘。そして真選組副長。
 休息する場所であるはずの屯所が戦場と化すのだった。



070216
Uさんとのメッセ会話よりうまれました。
Uさんありがとう!

ちなみに神楽は「かわいい寝顔」を見れなかったと思います。

text