きみよ全力で



 土方は風に吹き消されないよう手をかざし、銜えた煙草に火をつけた。一口吸って吐き出した煙が強い風に攫われていく。




「とうとう、二人きりになっちまったなァ」
 たなびく紫煙を目で追っていた土方の耳に届いたのは、今までずっと隣を歩いてきた男の声だった。
「ああ、そーだな」
 至極あっさりと、土方は答える。
 近藤を大将に、その右腕が土方。そして仲間達がいた。ともに笑い、ともに泣く。近藤は大陽のように自分たちを照らし、周囲には自然と人が集まった。誰もが皆、近藤の傍に居ると暖かい心地がしたのだろう。
 しかし今は二人きりだ。あれほどいた仲間達はすべて奪われてしまった。一人、また一人と。近藤が苦笑する気配がする。
「あんなにいっぱい、いたのにな」
「そーだな」
 土方は近藤の顔には目を向けず、かわりに空を仰いだ。晴れ渡った青空に浮かぶいくつもの異人の船。薄い雲が流れる早さに、風の強さをおしはかる。今土方の頬を撫でる風よりもずっと、空は冷たく厳しいのだろうか。
「不甲斐ねェ」
 力を落とした近藤の声が聞こえた。
「アンタは間違っちゃいねェよ」
 思わず言葉が口をついて出た。そうだ。近藤一人が責められるわけがない。これが俺たちの結果だった。ただそれだけの事だ。


 眼前には数を膨れ上がらせた敵の姿がある。横一列に並んだ隊列。囲まれているわけではないから逃げる事は雑作も無いが、敵前逃亡は士道不覚後だという鉄の掟が真選組には存在する。もとより土方に逃げる気などなかったが。
 勝利を確信しているのだろう敵の総大将の憎らし気な顔を視界に入れ、土方は不敵に笑った。
「なァ近藤さん」
「なんだトシ」
「俺たち二人でだってやれねェ事ァ無ェよ」
 近藤がハッとしたように土方を振り返った。
「トシ、お前……」
「もともと最初は俺たち二人だけだったじゃねェか」
 そうだ。真選組を結成するよりもずっと前。近藤と、土方と。二人が出会ったからこそ始まった。でなければ今の真選組はあり得なかったのだ。
「それにな近藤さん。たとえ一人になろうとも、俺ァ戦うぜ」
 ――アンタの為にも、決して敵に背中を見せたりしない。
「トシ……!!」
 土方の言葉に勇気づけられたように、近藤の声に力が篭った。
 そうだ。何を嘆く事がある。何を恐れる事がある。俺たちはいつだって二人でやってきた。二人で乗り越えてきた。どんな危機的な状況でも、心が折れたら負けだ。
 奮い立て! 俺たちは侍だ!




『用意はいいですかィ、お二人さん』
 遠くで総悟の声が聞こえたような気がした。



 二人は互いの顔を見合わせて、力強く頷く。
 同時に真っ直ぐ前を向き、敵の姿を認めた。目の前に並んだ敵の数に圧倒されそうになるが、心は負けていない。真選組局長と副長。二人の男の揺るぎない信念と戦いへの気迫に、わずかに敵の隊列が乱れた。
 土方は銜えていた煙草を地面に落とす。
「ひっくり返してやろうぜ」
「ああ、トシ」
 どんなに劣勢であろうとも、二人でいれば負ける気などしなかった。

 ――総悟が、笑ったような気がした。
『じゃあ、行きやすぜ!』

 トシ、と近藤が片手を差し出す。土方は迷わずその手をとった。






「勝ーって嬉しい花いちもんめ!」
「負けーてくやしい花いちもんめ!」

 風が野太い男達の声を千々に乱して吹き荒れる。



 近藤、土方両名に対し、沖田総悟を大将に据えた敵方の数は最初にゲームを始めた時のほぼ倍に膨れ上がっていた。
『はないちもんめ』とは、まず二組のチームに別れてじゃんけんをし、先攻後攻を決める。勝ったチームから遊び歌に乗せてゲームを始めるのだが、相手チームから自分のチームへ仲間を引き抜き、最終的には最後の一人を引き抜いた方が勝ちというこどもの遊びだった。ちなみにどちらに引き抜かれるかは選ばれた者同士がじゃんけんをして決める。


 そしてこのゲームにおいて、これだけの人数差が出てしまうと逆転はとても難しい。じゃんけんで勝負するのが一人ずつという効率の悪さもあるからだ。

「近藤さんが欲しい!」
「総悟が欲しい!」

 近藤チーム、残り二人。ここへきて事態は大将対決へとコマを進めた。選ばれた者同士が前に進み出て、丁度真ん中でじゃんけんをする。手など抜かない。真剣勝負だ。
 じゃんけんぽん! と二人の声が響き渡った。
 ――結果。
「嘘ぉおおおおおおおお!!!!」
 手をぐーの形にした近藤の絶叫が空気を切り裂く。わなわなと震える手を押さえている近藤に、ぱーを出した沖田は余裕の表情だ。
「やりィ。近藤さんゲーッツ」
 そうして沖田は土方へと顔を向けた。土方の頬が引きつる。大将を取られてしまった。普通ならここで試合終了してもおかしくはない。だが土方はそうはしなかった。たとえ一人でも戦うと言った気持ちに偽りはない。ならば己の言動には責任を持たなくてはいけない。
「まだやりますかィ?」
「上等だコラァ」
「トシィイイイ!!」
 連行されて行く近藤の声が、耳に虚しい響きを残す。
 ――かくして一人対大勢の戦いは幕を開けたのである。




「勝ーって嬉しい花いちもんめ!」
「負けーてくやしい花いちもんめ!」


 とても楽しそうな大勢の声に対し、土方はほとんどやけっぱちになった声を張り上げさせた。こうなってしまえば意地でも誰か道連れにしてやる。そう敵対心を燃やす土方である。
 遊び歌は順調に進み、相手のチームから誰を選ぶか相談する。当然土方には相談する相手がいないので一人突っ立ってロンリーウルフである。だが取り戻す相手なら考えるまでもなく決まっていた。

 大将の近藤を。

 近藤さえ戻ればまた逆転してやるさ。土方はそう企んでいた。そして、いよいよその時がやってきた。『決ーまった!』との声が響き、沖田のチームが動いた。


「お前なんかいーらない!」
「近藤さんが……って、エエエエエエエ!?」


 選ぶ相手に迷いようがない以上、当然自分の名が呼ばれるものだと疑ってもいなかった土方は、思わぬ裏切りに驚愕するしかなかった。咄嗟に返せた反応といえばただ声をあげて驚くことだけ。そんな土方に追い打ちをかけるように沖田は「逃げろっ」と号令を上げ、目前に並んでいた一隊がわっと四方八方に散らばる。
「皆と相談の結果、土方さんはいらねえということに落ち着きやした!」
 ご丁寧にも沖田はそんな台詞を叫びながら土方の横を駆け抜けていった。
 クモの子を散らすように皆がいなくなった後、土方だけがぽつんとその場に立ち尽くしていた。その肩が、わずかに揺れている。
 震える手が、腰のものに伸びた。


「テメーら、ァ、ア、ア!!!!!」
 全員切腹だァアアアアア!!!!
 ぷつりと切れた土方が刀を振り回して近藤をはじめとする隊士達を追いかけ回したその出来事は、後に「鬼の乱」と呼ばれたらしい。



051115
「ちょっ、トシ落ち着いてぇええ!!」
「うるせー!アンタまで俺をおちょくんのかぁああああ!!!」

どっとはらい。

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