を取り戻せ!

 



 「行ってくる」と出かけたきり帰ってこないのも珍しいことではなかった。一つの組織の長とはいえ、近藤も一人の人間である。つき合いもあろうし遊びもするだろう。それはいい。
 飲み屋が閉まる頃に屯所にかかってくる電話だとか、朝になっても帰ってこないと思ったら酔った挙げ句に河原で寝ていたとか――それも褌一丁で――まあそういうことも赦そう。通い詰めているスナックへ出向き、性懲りもなくゴリラに育てられたのかというような暴力ホステスにボコボコにされて帰ってくるのも――多少の苛立ちは覚えるが――慣れた。
 だが――。


「おーぅ、トシ。金貸してくれ」
 土方は己の信念がぐらぐらと音を立てて揺れるのを感じていた。なんだこれは。お前は誰だ。
 そう問いかけたところで土方の欲する解は得られないだろう。
 屯所の一室。副長室である。
 土方のプライベートルームである。
 不要なものは排除しなければ。
 ぷち、と何かが切れた土方が部屋のど真ん中に座り込んでいる異物を押し出そうとしたら、それは慌てた声音で何事か喚き始めた。
「ちょっとトシ!? なにしてんの? ねえ! 怒ってる? トシ怒ってる!?」
「あーうるせーななんかしらねーけど声が聞こえるなー山崎の野郎がミントンでもやってんのかなーあとでボコッとかねーと」
「いや山崎は関係ないだろう!? ちょっとトシ、堪えて! ストップストップ」
「俺ァ今までよく堪えたもんだと思うよ実際。あーにしても重てェなあこのゴリラの置物」
「アッ、今ゴリラって言った!? ゴリラって言ったよね」
 ゴリラ、という言葉に執拗に突っかかってくる異物に土方は冷たい眼差しを送った。
「うっ、トシの蔑んだ目が痛い」
 そう言ってささっと手で顔を遮ってしまった大男の全身を、土方は上から下まで睨め付けた。
 裸である。
 かろうじて下着一枚は身につけているが、裸である。
 そして見る限りどこにも、男が身につけていた獲物が無い。
「オイ、アンタ刀はどーした」
 武士の魂をどこへやった。どっかに忘れてきたのか。
 自然と口調が厳しくなるのは避けようがない。詰問する土方にばつが悪そうに近藤は、
「いや、だから。刀取り戻してくるから金を貸してくれ」
 と宣った。


「うぉらァァァァァ!!!」
「ぶごぉおおお!!」
 ズバッと土方の部屋の障子が斜めに切り裂かれた。
「ちょっとトシィィィ!? 落ち着け、落ち着けって!」
 興奮する部下を宥めようとする近藤だったが、裸でそんなことを言ったところで説得力があるはずもなく。「喧しいィィィ!!」と一喝されてしまう。
「武士の魂、質に入れただァァ!? たかがホステス一人のためになんてことしてくれやがんだコラァ」
「言うなトシ、お妙さんの首がかかった勝負だったんだ! 俺は後悔してないぞ!」
 近藤の弁明は土方を宥めるどころか火に油をそそぐようなものだ。「お妙」という名前に土方の眉がびくりと吊り上がった。お妙お妙お妙お妙――まったく近藤ときたらあんな暴力女のどこがいいのやら。女一人のために侍の魂まで売り渡すとは嘆かわしい。
「後悔してねーなら何で金借りにくるんだよ」
「だって貯金も空っぽになったから」
 両手の人差し指の先を擦りあわせたところで、可愛くもなんともない。むしろ苛々がさらに募っただけだった。土方は黙りこむ。
 何がアンタをそんなに堕落させたのか。
 土方は考えた。考えた末に出たのは「近藤は馬鹿だから仕方ない」という結論だった。
 でなければ、あんな女にひっかかって有り金はたいた挙げ句、身ぐるみも剥がされ、武士の魂である刀までも質草にしてしまうなど、ありえない。
「早くしねーと流れちまうんだよ! なァトシ!」
 懇願する上司に流されまいとふんばっても、もう土方の何割かは諦めてしまっている。だがここで簡単に赦してしまっては、またお妙に言われるままホイホイと同じ轍を踏んでしまう気がした。いや、おそらく確率百パーセントだ。ならば敢えて近藤を甘やかさない選択を取ってもいいだろう。なにより――。
 面白くないではないか。
 開き直ったって構わないくらい、面白くない。
 大人げないと言われようとも面白くない。

 そんなこんなで土方は冷徹にも近藤を切り捨てようとしたのだが。
「金ぐらい貸してやりなせェよ土方さん。アンタも結構貯めこんでるんだろィ」


 斜めに切り裂かれた障子の向こうに、沖田が現れたのだった。


 土方は沖田の立ち姿を黙って見据えた。寒々しい視線をものともせず、沖田はおもむろに制服の内ポケットに手を差し入れ、一通の手帳を取りだした。
 大江戸信用金庫。表紙にはそう印字された通帳は、沖田が取りだしたにも関わらず彼の名前が記されていなかった。そのかわりに。
「俺の通帳じゃねーかァァァ!!!」
 土方十四郎――通帳の表紙には土方の名前がくっきりと印字されていたのである。

 

*
*
*




 大江戸信用金庫――その一角に男達は集っていた。

「ったく……なんで俺がこんな目に遭わなきゃならねーんだ?」
 一人不満げに燻っているのは土方だ。苛立たしげに煙草を銜え、ストレスを発散しようとしていた。
「アンタ副長だろィ。だったら上司のケツくれェ拭いてやりなせェ」
 そう言った沖田は、普段は副長の座を虎視眈々と狙っている癖にこういう時ばかりは「副長だから」と土方に面倒な事を押しつけてくる。そんな部下を睨め付けながら土方は一言。
「毛だるまのケツ拭くなんざ御免だね」
 ふう、と煙を吹き出しながら言い放った。
「ねェトシ、まだ怒ってるの。まだ怒ってるの?」
 ケツが毛だるまだと言われ、半分涙目になった近藤が傷ついた様子で言い募るのを「さァな」と流す土方である。
「そんなことより――」
 土方は瞳孔の開きかけた目を配った。
「どーしてお前らまでついてきてるんだ」
 その言葉に今まで黙っていた面々が次々に申し開きを始める。
「トシ、オジさんはお前らの上司だよ。――だから金貸して。でねーと母ちゃんにどやされる」
「俺も贅沢は言わねー。だから金貸して。無人契約機に返さねーと銀サン借金地獄に陥るから」
「……俺は銀サンに連れてこられただけの一般市民だから。でもグラサン返してほしーなァ」
 三人の男がそれぞれ勝手な事を口にするのを、土方は冷たい目で見ていた。この男達は近藤と共に真選組屯所までやってきたのだ。それも全員揃ってパンツ一丁といった姿で。しかし下着一枚きりの男達を連れて歩くなどさすがに体裁が悪いと、みかねた隊士が着物を貸し、今は全員がまともな格好にはなっている。
 雁首揃えた馬鹿者達の中、一番の年長者である男に土方は顔を向けた。
「とっつぁん」
「なんだトシ」
「アンタはとっとと家帰って母ちゃんにどやされてこいィィ!!」
 部下にたかるな! それでも警察庁長官か!
 厳しい言葉を浴びせかける土方に負けまいと、とっつぁん――松平片栗虎は反論する。
「コラ、トシ! オジさんはなあ、お前をそんな恩知らずに育てた覚えはないよ」
「育てられてねーよ! ――それからお前!」
 土方の矛先が片栗虎から長谷川へ移動する。急に指をつきつけられて長谷川は「ヒ!」と小さく悲鳴を上げた。
「アンタも、さっさと家に帰れ! そして奥さんに叱られろ」
 この男も妻帯者だと判断した土方だったが、その台詞に長谷川は顕著な反応を示した。
「ハツのことは言うなァァァ!!」
 それまでは比較的大人しかった男が突然叫び声を上げたので土方は驚く。どうやら先程の台詞が長谷川の何かを刺激したらしい。
「ハツゥウウウ!」
「あー、ハイハイ長谷川サン。押さえて押さえて」
 背中を丸めて息を振り絞る長谷川の隣で、銀時が気だるげにそれを宥める。やはり銀時とつるんでいるだけあって、長谷川も立派に変人だった。土方はその思いを強くしながら、死んだ魚の目をした男を睨め付けた。
「そしてテメーに貸す金なんざねェ。消えろや」
 そう言い放った声は、先の二人に対してよりもさらに低く冷たい。
「まァそう言うなや。俺とお前の仲じゃねーか」
「テメーと仲良しになった覚えァねーよ!」
「まァそれはさておき」
 言い争いに発展しそうになる二人の間に沖田の声が割り込む。
「オイ」
「近藤さんも、旦那方もよく聞いて下せェ。金を手に入れる方法ですが……」
「コラ! テメーいい加減にしろよ総悟!」
「ここに土方さんのキャッシュカードがありやす。これで金を下ろすには、暗証番号が必要なんでさァ」
 沖田の説明に一同は黙った。
 キャッシュカードで預金を下ろすには、あらかじめ定められている四桁の暗証番号をATMに入力しなければならない。つまり、暗証番号がわからなければ金は手に入らないということだ。一文無しの男達はそれぞれ顔を見合わせ、そのことを確認し合う。
 そして土方もまた、沖田の言葉からそのことに思い至り冷静さを取り戻した。駄目男どもに暗証番号が看破できるわけがない。奴らもきっと諦めるだろう。そう思ったのだが。
 四人組の中から「ハン」と笑い声が漏れた。
「こーいうのはなァ、大抵誕生日だって相場は決まってんだよ」
 したり顔で意見を述べ、実行に移したのは銀時だ。しかし。
「アリ?」
 銀時の入れた暗証番号はビープ音とともにエラーメッセージが表示され、失敗に終わった。
「一体誰の誕生日を入れたんで?」
 という沖田の質問に、銀時はあっさりと「結野アナの誕生日」だと答えた。そんなもの、土方が知る訳がない。残りの面子にしたって同様だろう。冷めた眼差しを送られた銀時は「だってこんなのアレだろ!? 好きな人の誕生日とか入れたりすんだろォォ!?」とブチ切れた。
 すると、それを聞いた馬鹿者どもは成る程と手を打つ。
「好きな人の誕生日か……じゃあお妙さんだ! お妙さんしかねェ!」
「ちょっと待ちな。だったらうちの娘の栗子だ。だってあんなに可愛いんだもん」
「ハツゥウウウ!!」
 若干一名、少しずれているようだったが他の面々も似たようなものだ。口々に勝手な事を言う馬鹿者どもの様子を眺めやりながら、土方は長いため息をついた。この分ではキャッシュカードの暗証番号が破られる心配など万に一つもない。それは確信できる。
「いやまて誕生日とは限らねーぞ。電話番号かもしれねェ」
「電話番号? 屯所か?」
「よし、入れてみろ。ただし金を引き出したらオジさんに寄越すよーに」
「アンタそれでも警察庁長官!?」
 文無し四人組が喧しく騒ぎたてる中、沖田は土方の横顔を見上げた。
「土方さん、余裕ですねィ」
「……そーか?」
「まさか土方さんともあろうお人が、誕生日や電話番号なんて単純な暗証番号入れてるわけねェですよねィ」
「それが?」
 じわじわと腹を探られる感触がする。二人のやり取りの合間にも、二度目のチャレンジもあえなく失敗した馬鹿な大人の馬鹿な台詞が飛び交っていた。大抵のATMでは防犯上、暗証番号の入力には回数制限が設けられている。次回間違えば後はない。
「ねェ土方さん。近藤さんの刀、本当に流れちゃっていいんですかィ」
 ――そんなの、自業自得だろう?
 だが、心の底からそう言い切れない自分の甘さも土方は嫌になるくらい解っていた。どんなに馬鹿でも近藤は共に刀一つで真選組を作り上げてきた戦友で、何ものにも替えられない存在なのだ。どうせ最終的には自分が金を出す事にはなるのだろう。けれど、それを他人に指摘されるのは癪に障る。
「素直じゃないねェ」
「うるせ」
 仏頂面した土方の耳に、近藤の声が飛び込んできた。
「そうだ! トシだから104だ!」
 その時土方がわずかだがぎくりと身をすくめたのを沖田は見逃さない。
「馬鹿、それじゃ三桁じゃねーか」
「あ、そうか。じゃあ十四郎だから1046」
「何でもいいから早くオジさんを家に帰して。母ちゃんにばれないうちにな」
「ハツゥウウ……帰ってきてくれェェ」
 文無し男達は相変わらず暗証番号の解読に精を出している。
「ねェ土方さん」
 土方は返事をしなかった。けれど沖田が無言でプレッシャーを与えてくるので仕方なく「なんだよ」と口にする。
「あの人たち結構いい線いってんじゃねェですかィ」
「さァな」
 土方の答えに薄らと笑みを浮かべて、すい、と沖田が動いた。討論に夢中になっている四人組は気づかない。沖田があっさりとカードを手にして、それを機械に差し込むのを土方は非常に嫌な予感を抱えながら見ていた。残念ながら、こういう予感は外れない。
 それを証明するかのように、ほどなくATMのスピーカーから
『金額をご指定下さい』
 というアナウンスが流れた。機械が暗証番号を受け入れたのだ。
「開いたァァァ!!」
 馬鹿者どもの声が一斉に響いた瞬間。

 ――稲妻よりも早く土方の刀が一閃した。

「おああああああ!?」
 再び、男達の声が重なり合った。
 なぜなら、強烈な突きが奇麗にATMの画面を串刺しにしていたからである。刀が突き刺さったディスプレイは青く塗り潰され、空いた隙間からぷすぷすと焦げ臭い煙を吐いている。到底、金を引き出せるような状態ではない。大江戸信用金庫のガードマンも行員も慌てた様子で飛び出してくる。四人組も当然黙ってはいなかった。
「お前ェエ! 何してくれてんのォオオオ!!?」
「トシィィィ!?」
 土方の暴挙に当然、抗議の声をあげる。だがそれを土方は視線だけで制した。瞳孔が開いているのはいつものことなのに、その目はいつになく迫力を増していて、思わず銀時達も黙り込んだ。
「怖ェなァ。いきなり刀が飛んでいきやがった」
 いけしゃあしゃあとそんな事を言った男に、周囲の者達――特に、こういったことに免疫のない行員達は固まった。
「怪我はねェか、総悟」
「大丈夫でさァ」
 間一髪のところで土方の白刃を避けた沖田が答える。詫びの言葉などないし、沖田自身そんなものは求めていない。土方はまったくといっていいほど表情を変えず、機械に突き刺さったままの刀を抜いた。ぶつん、と最後の命を煌めかせ、ディスプレイが沈黙する。
 そうして刀を鞘に収めた土方が踵を返して立ち去るのを、周りの者達は呆然と見送り――我に返ったガードマンが残った面々に詰め寄りはじめる。何せ大江戸信用金庫としてはATMを一台破壊されたのだ。当然、刑事責任の追及なり弁償問題なり、色々と発展する事だろう。
「ちょっと銀さん、コレ……ヤバイんじゃねーの?」
「ああ、ヤベーかもな」
 そう確認し合う長谷川と銀時は、じわじわと逃げる準備をしている。片栗虎はというとこちらは完全に居直っていて、責任の追及もなにもかも躱すつもりであるらしい。そうして近藤は――。
「……なァ総悟」
「……なんですかィ、近藤さん」
「暗証番号、結局何番だったんだ?」
 沖田は近藤の顔をまじまじと見つめた。その視線を誤解したのか近藤は「なに? 俺の顔に何かついてる?」と慌てて両手で顔を撫でさすった。それに対しては「いいえ」と答える。そして。
「すいません、さっきので忘れちまいやした」
 しれっと沖田はすっとぼけた。

 本当は忘れてなどいない。

 だがその暗証番号をわざわざ近藤に教えてやるほどお人好しでもないのだ、自分は。それに、こういうことは秘密だからこそそれをネタにして遊べるわけで。
 確実に狭まってくる包囲網に、銀時と長谷川は隙を見て逃げ出そうとしたが失敗し、片栗虎はヤクザ顔負けのオーラを漲らせて行員やガードマンと小競り合いを始めている。きっとあの人は後で警察庁長官という地位を振りかざすに違いない。そして全部もみ消してなかったことにしてしまうだろう。ああ、大人って汚い。
 そろそろ自分も逃げなければ――皆の目が一見派手な銀時や、片栗虎達に向いているうちに。
「行きやすぜ――、勲さん」
「へ? あ? 総悟?」
 呼ばれなれない名で呼ばれた近藤はきょとんと目を瞬かせる。グズグズしていると置いていくぞと言わんばかりに沖田はそれを軽く無視して足を踏み出した。
(それにしても……)
 土方の設定した暗証番号に込められた意味。それを沖田は正しく理解しているという自信がある。それは先ほどの土方の態度からも明らかだろう。第一ランダムに決めた数字ならそれこそ沖田に看破されることもなかったわけなのだから。
 土方の暗証番号は「1303」一見何の意味もないように思える。が、数字は語呂合わせでこう読める。


 ――イサオサン、と。



(ホント、土方さんも恥ずかしい人でさァ)



050707
七十四訓の後日談。
七十五訓ではうっかり土方さんの名前が出たので、
最後に使わせて貰いました(笑)
一応続く予定です。

050731
続き書けましたので馬鹿話にアップし直しです。

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