手席へどうぞ







 大江戸警察――と記された、白と黒のツートンカラーの車を運転する若い男は、先程からそわそわと落ち着かない様子で隣の助手席に目を遣っていた。できることなら今すぐにでも停車して、雑音でしかないエンジン音を止めてしまいたいと思っているのだが、そうすると隣で静かな寝息を立てている上司が目を覚ましてしまいそうで実行に移すことはできなかった。上司が起きてしまう可能性を考えれば、滅多なところに駐車はできない。もし目覚めた際、不自然な場所に車が停止していたら、間違いなくこの上司は機嫌を損ねて殴りかかってくるだろうということがその時に放つであろう一言一句まで容易に想像できたからだ。
 とはいえ、本来ならば勤務時間中にぐうぐう寝ているこの上司の方が悪いのだ。いつもはサボってばかりの別の上司に対して苦々しい顔をしているというのに。しかし、『仕事中に居眠りなんて弛んでいる証拠だ』というこの上司がなぜこうしていともあっさりと眠りの誘惑に負けているかというと、単に疲れが溜まっているから――というわけでもなさそうだった。なぜならこの人は、助手席に座っている時に居眠りする確率が高い――ようなのだ。案外、車に乗ると眠くなる質なのかもしれない。そんな性質がこの世に存在するのかどうか不明だったが。
 なんにせよ、隣で気持ち良さそうに眠る土方の顔を見る機会に恵まれた山崎は、ハンドルを握りつつ小さな幸せを噛みしめた。曰く――




 車、万歳! と。



*
*





「俺が車買ったら、助手席に乗って下さいね」
 屯所に帰り着いて後、休憩室でくつろいでいた土方は、突然言われた台詞の内容に困惑した顔で山崎を凝視した。
「何だお前、車欲しいのか」
 ハイ、と答えた部下に意外な表情を作る。こいつがそんな普通の若者らしい趣味を持っているなど想像もしなかったのだ。土方にとってこの部下はミントンにしか興味のないミントン狂だというイメージである。その意外性につい流しかけたのだが、
「っつうかお前、そんなのは女に言え」
 男なら、初めて買った車の助手席に乗せるのは自分の恋人――彼女ではないだろうか。いくらなんでも仕事の上司を乗せるなど物好きにも程がある。土方はそう言って断るつもりだったのだが。
「彼女がいるならそっち誘っとるわァァァァァ!!!」
 山崎が張り上げた大声に一瞬身を怯ませる。
「いねーから頼んでんだよォォォ!!! 俺だって彼女欲しいよォォォ!!」
 血を吐くような叫びときたらそれはもうもの凄い迫力だった。さらに山崎は続ける。
「誰もがお前みたいにモテると思うなよォォォォ」
 土方を「お前」呼ばわりしているのも気にならないくらいに、その声は怨嗟に満ちていた。放って置いたらそのまま延々と呪いを吐き出すのではないかと感じた土方である。
「解った、解ったから黙れ!」
 結局、山崎の迫力に気圧された形で了承を返してしまった。山崎如きに不覚をとるなど――と後で後悔するかもしれないが、悪霊にでも憑かれたかのような部下の豹変っぷりを目の当たりにしてしまったのだから仕方あるまい。それにつけても色恋の恨みは恐ろしい。
「じゃあ、約束ですよ」
 土方の承諾を受けた山崎は、ころりと普段の調子に戻った。現金なものだ。けれど密かにホッとした土方は気づかなかった。
 彼女がいないなら、親しい友人でも乗せればいいのだ。なにもわざわざ、上司を乗せる必要は無いのである。
 ただ、なんとなく山崎の機嫌がいいことが癇に障り、土方はこう言った。
「けど俺ァナビとかしねーからな」
 ただ乗るだけだぞ、と釘を差しておく。助手席には座るだけだ、何もしないと宣言する土方に「いいですよ」と、なんでもないことのように返事が返ってくる。
「副長はただ座ってるだけでいいですよ。なんなら寝てたって構いませんよ。好きな処へ行きますよ!」
(行き放題ですよ!)
 山崎は最後に心の中で一言付け加えた。せっかく釣った魚を逃がす道理はない。
 渋々といった表情だった土方が、そこまで言うならと引き下がった。こうなるともう土方は返事を覆さないだろう。しめたものだ。




「で、どんな車が欲しいんだ」
「エ」
 土方の問いは当然のものだったが、山崎は急に戸惑って視線を泳がせた。
「え〜……っと、普通の乗用車でいいですけど」
「ンだその地味な答え」
 ツーシータのスポーツカーとでも言えよ、という土方に山崎はとんでもないと首を横に振った。確かにもの凄く格好良いが、同時に目玉が飛び出るほど高いのだ。とてもじゃないが山崎の手に負える品ではない。第一、山崎にしてみれば今日いきなり「車があったらいいなー」と思った程度なので、どの車が欲しいなどという具体的なビジョンは持っていなかったのだ。
 しかし、
(ツーシータか……いいなァ)
 運転席と助手席しかシートがないなら、車内は完璧に二人の空間である。四人乗りの車に比べて密室度が格段に上がる気がするのは気のせいではあるまい。
(副長と二人っきりで……ドライブ……)
 一旦車に乗せてしまえばどこへだって行き放題だ。景色のいい処とか、夜景の綺麗な処とか、美味しいレストランとか――今日のように土方は隣で眠ることもあるかもしれない。そうすると寝顔も見放題ではないか。
 それに――ホテルだって行ける。
 山崎がもわもわとそんな妄想をたくましくしているところへ、今まで沈黙していた――なぜならアイスを食べていた――上司が何気ない口調で声を発した。
「でも、カーセックスするなら広い方がいいんじゃねーかィ」
 その台詞にぎょっとした土方が「総悟!」と沖田を叱咤する。なのに山崎ときたら。
「そーですよねェ!」
 沖田の投げた餌に思い切り食いついた。
「やっぱり広い方がヤリやすいですかね」
「だと思うぜ。動くホテルなんていいだろィ」
「動くホテル! それいい!」
「金はかからねーしスリルは味わえるし最高だろィ」
「最高です!」
 興奮気味に話を弾ませる部下にやれやれ、と呆れる土方である。だが男所帯にこういう猥談はつきものだ。下手に途中で止めるのも野暮な話なので、しばらくは流れにまかせるしかあるまい。
「でも車って覗かれますよね」
「覗かれるぜ」
「じゃあ窓はスモーク貼らないと」
「オイ、フルスモークは違法だぞ」
 そういうところは押さえておかなければ。真選組の隊士が車を違法改造するのは――それもエロ目的でというのはさらに――体裁が悪い。そう思い注意する土方である。案の定山崎は「あ、そうか」などと呑気な声を上げた。
「でも、そしたらフロントから見えちゃって恥ずかしいですよ――」
 ――副長。



 山崎が何の疑問もなく発した台詞に、土方の方が疑問を感じた。
 ――なんで、俺が?
 

 土方は黙った。沖田も黙った。山崎はきょとん、と土方を見ている。

「オイ」
「ハイ」
「てめェがどこぞの女とカーセックスして、なんで俺が恥ずかしいんだ?」
「何言ってんですか。どこぞの女じゃないですよ、副長だから恥ずかし――ハッ!!!」
 山崎はここへ来て己の失言に気づいた。
 そうかそうか、お前はよりによって俺をどうこうしようと思っていたわけか。そうかそうか、それはそれは良い根性じゃねーか。
「山崎ィィィィィ!!!」



 次の瞬間、土方渾身の拳が空を切り裂いた。 




050617

土方さんは助手席の人。

text