くたばれバレンタイン







 なァ〜新八よォ。男の価値ってェのはチョコレートの数で決まるんじゃねェんだよ。ハートだよハート。魂。解るか? だから俺は言わねーぞ。言わねーからな。チョコレートが欲しいなんて言うわけねえんだよ……言うわけよォ……ってくっそぉぉぉ!!! ギブミーチョコレートォォォォォオオオ!!


 江戸の町もバレンタイン一色に染まった日のことである。チョコレート業者の陰謀か、すっかり侍の国に根付いてしまった一大イベントに、ただでさえ甘いもの――特にチョコレートが好きな銀時が静かでいられるはずもなく。かといって死んだ魚の目をした冴えない天然パーマの、ほとんど無職の男に愛を告白するような娘がいるわけもなく。万事屋銀ちゃんの大家であるスナックのママ、お登勢とその従業員のキャサリンにまで『チョコが欲しけりゃ家賃払え』と邪険にされては最早誰からも貰えはしまい。
 夜兎族の胃拡張娘など論外だし、新八の姉お妙に至っては銀時も泣いて逃げるだろうと思われた。

「大体よォ、俺らの勝負は今日ってより明日だよな新八。お前は俺を裏切ったりしねェよな新八。お前がチョコレートなんて貰うはずねェよな新八」
 新八は大きくため息をつく。
 そりゃあ僕だって今まで一度も姉上以外の女の人からチョコレートなんて貰ったことがないけれど。でも、だからといってこんな、イベント翌日には価値が下がって安くなる――要するに売れ残りのチョコレートを期待しているような大人にはなりたくない。これがいわゆる反面教師というやつだな、と思うと虚しくなってきた。僕はどうしてこんな人の処で働いているのだろうと。
「お、そーいやジャンプ買うの忘れてた」
 やはりバレンタインデーの飾り付けのされたコンビニエンスストアの前を通り過ぎようとした時、不意に銀時がそんなことを口にした。チョコレートを欲しがったり、ジャンプなんて買ったり、まるで子供ではないか。
「ちょっとそこで待ってろ」
 と言い置いてコンビニの中へ入っていく銀時に、どうせ大した時間はかからないだろうからと新八は外で待つことにした。貰えないと解っているチョコレートを視界に入れるのも、目の毒だと思ったので。
(あれ? あの人……)
 首を巡らせた時に目に入った人影に新八は動きを止めた。男が二人近づいてくる。それは江戸の町ではまだ珍しい洋装で、一般人は持つことのできない刀を腰に下げている二人組だった。真選組だ。それも、銀時とあまり仲の宜しくない土方と、新八とそう年も変わらないように見えるのに腹黒で、腕が相当立つという沖田のコンビである。その二人がこちらへ向かって歩いてくる。
 新八は思わず背後のコンビニエンスストアを振り返った。銀時はまだ出てこない。このままだとあの二人と鉢合わせしてしまうだろう。面倒だなあ、と思った矢先。
「ああ?」
 と不機嫌そうな声が耳に届いた。うわあ、と新八は気まずく思う。
「お前、万事屋ンとこの……」
「こんにちは」
 新八がおずおずと挨拶すれば、案の定土方は立ち止まった。ここのコンビニに用があるのだろうか。できればこのまま立ち去ってもらいたいと思う。その方が絶対に面倒がないからと。しかし。
「アリ? 旦那は一緒じゃねェのかィ」
 まるでいないのが不思議なことのように沖田が訊ねてきたので、新八は「いや、その、銀さんなら中に」と正直に答えるしかなかった。それを聞いた土方の眉間に深い皺が刻まれる。あわわ、と微妙な空気に新八が慌てた瞬間。
「キャッホォォォォウ!」
 自動扉が開き、銀時が奇声を上げて飛び出してきた。新八は思わず固まり、土方の口からも煙草が滑り落ちる。沖田だけは冷静な顔をして「最後の一本」とつぶやいてそれを踏み消した。
「オゥ新八! ジャンプ買ったらよォ、『今日はバレンタインデーですから』ってチョコレート貰っちまった!! 今日は良い日だなオイ!! ヒャッホウ!」
 銀時は真選組の二人がいるのにも気づかない様子で興奮気味にまくし立てた。手にしているのは丸い形をした金色の包み。どうやら店のサービスでおまけについたチョコレートらしいが、それでここまでテンションが上がる男もそうは居ないだろう。
 最初は勢いに飲まれていた新八だったが、傍に土方と沖田が立っていることを思い出し、エヘンと咳払いする。
「どーしたんだよオイ。うらやましいか? うらやましいだろ。でもこりゃァ俺が貰ったチョコだからな俺に食べる権利が――」
「いや銀さんそれより」
「あ? それよりって何だオメー。やっぱうらやましいんだろ」
 そんなもの、この店で買い物をすれば誰だって貰えるじゃないかというツッコミをする前に、
「お前、馬鹿か」
 勢いもなければ鋭くもない、脱力しきった声のツッコミが放たれた。無論、新八ではない。そこでようやく銀時は傍に立っていた二人組に気づく。
「いや、前から馬鹿だとは思っていたがまさかここまでとはな」
「アア? ンだとコラ。やんのか?」
「テメーとやりあうほど暇じゃねェ。そこを退け。邪魔だ」
 チンピラよろしく眼をくれる銀時に土方は冷たく言い放った。銀時は背後の自動扉を窺い、また視線を前に戻す。
「いや、この店瞳孔開いた人お断りだから」
「ハ?」
「他当たって下さい」
 それまでの悪ぶった言葉遣いや態度はどこへやら。眠そうな怠そうないつものやる気のない表情に戻った銀時が、抑揚のない口調で言う。
「ふざけんなテメーどきやがれ! 煙草が切れたんだよテメーのせいでなァ!」
「煙草なんてこの店にはナイヨ。そんな身体に悪いものなんて売ってナイヨ」
「嘘つくんじゃねェこの天パ! 俺ァ前にもここで買ってんだよ」
「じゃあ今日じゃなくて明日にしろよ、それまで吸わなくても死にやしねえだろ」
「俺は今すぐ吸いてェんだよ!!」
 いい大人二人がギャアギャアと店の前で喚き始めたので、遠巻きにそれを眺める人々が増えてきた。店内に居る客も出るに出られない。言い争っているうちの一人が真選組の制服を着ているものだから、警察に通報することも注意することもできやしない。
 そんな不毛な争いの中。
「旦那、土方さんにチョコ渡したくねェんですかィ」
 と、沖田がズバリと図星を指したので、銀時は「うッ」と怯んだ。
「図星ですかィ」
「ンだテメーそんなくだらねェことで俺を足止めしてたってェのか」
 土方が鼻で笑う。
「生憎だが俺ァそんなモンに興味はねェよ。解ったらそこ退けや」
 もうそろそろ限界だろう。新八が「銀さん」と腕を引くと銀時は「ケッ」と悪態をつきながらも道を譲った。だが。
「銀さん、行きますよ」
 新八が促しても銀時は黙って店内を睨み付けている。土方がチョコレートを貰うところを見てどうしようというのか。どうせおまけなんて誰だって貰えるのに。銀時だろうが土方だろうが沖田だろうが新八だろうが、ストーカーにだって貰えるはずだ。
 マニュアルに従って、レジの店員が土方に煙草と、台の上に積み上げたチョコレートを手渡す。
「ホラ見ろ貰ってんじゃねェか」
「……アンタなあ……」
 もうこの大人はどうしようもないなと新八が呆れ返った時だった。
「あああああ!!」
 銀時が突然声を上げたので、思わず店内に目をやれば。
「あ」
 アルバイトだろうレジの店員――若い娘が、土方を引き留め、商品とは別の包みを差し出したのだった。
「『ああ、悪ィな』って言ってまさァ」
「アンタ読唇術できんの!?」
 ぼそりと呟いた沖田の言葉に驚き、思わず突っ込む新八である。
「……オイ新八ィ。お前は俺の味方だよな」
「銀さん……?」
 ――俺にはくれないくせにあの男にはくれやがりますか神様。
 ――俺とアイツとの間に一体どういう違いがあるってんですか。
 そんなことを思った銀時の気持ちを見透かしたのか、新八はポンと銀時の肩を叩き、
「しょーがないですよ銀さん。あっちは幕臣。こっちはプー。持ってるお金も足の長さも違うんですから。顔だってあっちの方が良いし」
 と容赦のかけらもなく宣った。




 コンビニエンスストアから土方が出てきた時にはもう、銀時と新八の姿はなかった。鬱陶しいのが消えてせいせいすらァと、土方は早速買った煙草に火を点ける。
「勝負は明日らしいですぜ」
「ハ? 何だそりゃ」
 おもむろに口を開いた沖田に、土方は眉根を寄せて聞き返した。
「さァ? なんでしょうかねェ」
 土方の手に提げた袋をまさぐり、綺麗な包装紙に包まれた箱を取りだした沖田が、了承も得ないままにそれを開ける。一口サイズのチョコレートを指でつまみ上げ、口に運んだ沖田は一言
「旨ィですぜ」
 と満足げな感想を述べた。





050215

バレンタインデーに間に合いませんでした。
ジャンプ買ったらチョコ貰えたのは私の体験談(笑)

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「ってお前何勝手に食ってんのォォ!?」
「土方さんのモノは俺のモノ。俺のモノは俺のモノでさァ」
「ンだそのトンデモ理論! ……って、旨ェか?」
「旨いですぜ」
「そーか」

(俺も買おうかなァ……)