冬の空気は他の季節と違い、濁りのない澄んだ心地がする。

 その日の朝も格段に冷やされた空気は凛として、冴え渡っていた。
 土方はそろそろ起床の時間だと意識しつつも、暖かい布団の中が心地よく、ついつい外に出るのを渋ってしまっていた。もう少しだけまどろんでいたい――この時間がなんと幸せなことか。
 そんな風に彼が小さな幸せを満喫していた時。ふと、部屋の外に誰かが立った気配を感じた。こんな早朝に土方の私室へやって来るとしたら、山崎に違いない。近頃攘夷志士の連中は大人しくしているようだが、何か新しい動きでも掴んだのかもしれない。
 土方がそう思い、温い布団に別れを告げようと起きあがった時、襖は静かに開いた。部屋の外に立っていた人物の姿を見て土方は驚愕する。そしてその人物が手にしていたものを視界に入れた土方は、寝起きにも関わらず瞬時に今日が何の日であるかを思い出した。


 迂闊だった。舌打ちして跳ね上げた上掛け。着衣はもちろん乱れたが、そんなことに構っている暇はない。
 奴は、静かに照準を土方へ合わせた。
「さァ土方さん」
 喜怒哀楽が乏しい表情ながらも、嬉しそうに響いた沖田の声。誰が見逃そうとも、土方だけはその響きを間違えたりしない。警戒は解かず、上着をひっ掴んで羽織る。でなければ寒くて満足に動けやしないからだ。
「鬼はー外ー!!」
 声の調子だけなら、寺子屋に通う餓鬼共と対して変わらなく聞こえただろう。だが。
 すさまじい破裂音とともに、沖田の手にしたマシンガンが吠えた。マシンガンといっても、弾はただの大豆だ。それが一斉に土方を目指して飛んでくる。
「うぉわァァァァァアア!!!」
 土方はかろうじてそれを避けた。たかが大豆だ。けれども、当たれば痛いくらいの勢いで飛んでくるのだから、当然当たれば痛い。大体マシンガンから大豆の玉が発射されるなんて無茶を誰が想像できるってんだ?


 

 一頻り土方にステップを踏ませた後、沖田は一旦手を止めた。爆音が消え、静かになった室内に満ちるのは、土方の荒げた呼吸音のみ。
「てっ、てめーは……ッ」
「なんだィ土方さん。スタミナ切れかい早ェなァ。だから煙草は止めとけって言ったのに」
 からかうような沖田の口調に土方は「言われてねェよ!」と叫び返す。
「っつか一体これはどーいう了見だコラ。毎年毎年俺ばっか狙いやがって。その上なんだその出鱈目な武器!」
「しょーがねェだろィ土方さん、アンタ何せ『鬼の副長』なんだィ。ああそれからこれいいでしょ。特注ですぜ」
「しょーもねェモンに金かけんなァ!!」
「ちゃんと経費で落としやすから」
「尚悪いわ!!!」
 一体この餓鬼は何を考えているのだ。土方は頭を抱えたい心地になった。実際にそうすればもれなく大豆の集中砲火を浴びるから、決してやらないが。沖田を睨み付けたまま、じりと身動く。足下に散らばった大豆が、滅法邪魔だ。
「オイ、っつうか今年の節分はちゃんと鬼役決めただろーがよ。俺じゃねェはずだろ」
 屯所中でじゃんけんして負けた奴が鬼。そう取り決めをして、実際にじゃんけん大会が行われたのが昨夜のことだ。そして、鬼役は土方の腹心、山崎に決まったはずである。
「山崎どーしたァ!」
「山崎ならバックレやした」
「………………は?」
 思わず眉間に皺が寄る。凄みを増した目に睨み付けられても沖田はまったく怯むことがなく、けろりと言い返す。
「逃げやした。ホラ、ここに書き置きが。いいですか読みますよー『副長へ。探さないで下さい』」
 沖田が懐から取りだした一枚の薄っぺらい紙。よく見れば新聞の折り込み広告の裏である。
「あの役立たず……ッ!!」
 土方は呪いでもかけるかの如く呻く。
「というわけで土方さん。部下の不始末は上司の不始末ですよねィ」
「っと待てよなんで俺がアイツの尻拭いしなきゃなんねーんだ」
「山崎の尻ならいつも拭ってんでしょーが」
「拭ってねェよ!」
「なら今拭ってやりなせェよ。大丈夫、明日になったらちゃんと解放してやりまさァ」
「ってお前何やったのォォォ!!!」
 どうやら山崎の失踪もこの部下が絡んでいるらしい。本気で頭痛がしてきた。寒気もしてきた。きっとそれは寒いからに違いないのだが。
「アンタもいい加減観念したらどうなんだィ。折角俺がアンタが寝てる間に『鬼のパンツ』を穿かせたってェのに。鬼は鬼らしく振る舞って下せェよ」
 沖田の台詞に土方は「はァ!?」と素っ頓狂な声をあげた。
「お前ッ、鬼のパンツってあれか!? 虎縞の……」
「そうそうそれでさァ。土方さんが寝てる間にちょちょいと」
 といって沖田は懐に手を突っ込んだ。嫌な予感が土方を襲う。なんだ。何を出すつもりだこの野郎。
「あ、あった」
 と沖田が引っぱり出したものを、土方はまじまじと凝視した。
「……お前、それ」
「アリ?」
 沖田が手にしていたのは、虎縞の大きなパンツだった。それが『鬼のパンツ』に違いない。土方の美意識に反するようなデザインに眩暈がした。あんな格好の悪いものを穿かされるところだったのか、と今更ながらに安堵する。
 しかし。
「おっかしーなァ。確かに脱がせたのに……」
 不思議そうに発した沖田の台詞に土方は凍り付いた。
 そういえば――先程から何か、違和感を感じるのだ。下半身に。
 寒い筈なのにじわりと汗が浮かぶ。嫌な汗だと自覚する。と同時に、気づくなと沖田に対して祈った。どうかこのまま鬼ッ子が去っていきますようにと。そんな願いは叶えられたことのほうが稀で、奇跡とさえ呼べそうな代物だったが。
「あ、そうか。脱がした後で穿かせるの忘れたんだィ」
 その台詞と共に土方は奈落の底へと叩き落とされた。


 ――奇跡などそうそう起きやしないものなのだ。


 


050203

過ぎてしまいましたが3日更新にさせて下さい。
誰もが考えるだろう鬼副長鬼役の巻。

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 そのころの万事屋。
「銀ちゃん行くヨー!! 鬼はー外ーー!!!」
「ぎゃァァァァ!! 痛ェェェェ!!」
「鬼はー外ォォォ!!!」
「って! なんで鬼は外ばっかりなんだコラァ!」
「給料払えェこのろくでなしがァァ!」
「偶には酢昆布以外で払うネェェエエエエ!!!」
「アダッ!! イダッ!! お前ら趣旨変わってねェ!? 何それェェ!!」
「この腐れ天然パーマァァァ!!」
「パチンコばっかやってないで少しは働けェェェ!!」
「ぎゃあああああ!!」