Sweet Candy






 ころり、とポケットの中にある塊に指が触れたことでその存在を思い出した土方は、条件反射で顔を顰めた。



 昨日のことになる。寒暖の差が開いてきた季節の変わり目、その矢先。土方は喉の調子がおかしいことに気づいた。朝起きた時に喉がヒリヒリと痛んだのだ。自覚した途端コホコホと咳が飛び出して、喉の痛みが酷くなる。身体は怠くないし、熱もない。ああこれは風邪の前兆だろうと、しおらしく煙草を控えようと思った。刺激物は喉の痛みを悪化させる心配があるし、風邪なら風邪で酷くなる前に治してしまおうと考えたのである。



「何お前、風邪?」
 苦しげに咳き込む土方をレンズ越しに覗き込む瞳には心配も同情も浮かんでおらず、ただいつも通り死んだ魚のような濁った色があるだけだった。「違います」と答えようとしても咳でかき消され、土方は胸中で悪態をつく。
 目の前にいる銀髪のこの男は担任という権限を最大限に利用し、土方を職員室に呼びつけ一方的に仕事を押しつける。今回もそうだった。病人だろうが怪我人だろうが容赦ない。相変わらず不良教師よろしく口には煙草を銜えているし、ゴホゴホやっている人間が目の前にいるのに「俺にうつすなよ」と自己中心的な言動を取ったのみで、煙草を消そうとする気配もない。
「んじゃ、これとこれお願いな」
 配っといて、と渡されたプリントを両手に抱える。どうして俺なんだ、と言いたいがここは職員室で他の教師も居る。下手なことは言えない。仕方なく受け取ったものの、黙って睨みつけることで不服を表せば、それに全く動じる様子もなく、気分を害しもしなかった男はおもむろに立ち上がり、土方の隣に立った。
「その様子じゃ、当分ペロペロキャンディーもお預けだな」
 不自然にならない距離で、囁かれる。キャンディーといっても、この男が言うのは今現在口に銜えているもののことだ。からかわれたと憤慨した土方の学生服のポケットに、男は何かを滑り込ませた。何だ?と目顔で問えば、
「頑張ってるお前にご褒美」
 よれた白衣のポケットに手を突っ込んだ不良教師は無感動に言った。あのポケットの中に入っているのは、煙草と、ライターとそれから――飴玉だ。この男が無類の甘党だということは、土方どころかクラス中、いや下手すれば全校生徒の知るところである。
 咳をしている土方を見て哀れに思ったのだろうか。まさか。心の隅に浮かんだ甘い考えを遠くへ退け、「失礼しました」と踵を返した土方に男はひとこと。
「お大事に」
 と言った。
 ――心にも思っていないくせに。

 その証拠に。


(あのヤロー、ふざけんな!)
 土方は胸中で思いつく限りの罵詈雑言をあの教師へと浴びせた。土方だって、あの男に喉飴など気の効いたものを求めるつもりは毛頭ない。あいつが持ち歩いているものなのだから、精々甘ったるいだけの飴だろう。そう思っていた。けれどあの男ときたら。
 土方のポケットには予想に違わず飴が入っていた。ただ、飴には違いなかったが、そのパッケージにはこう書いてあったのだ。
『エッチな気分になる飴』と。
 こちらの体調を気づかう素振りを見せたと思ったらこれだ! 土方は騙されかけた己の迂闊さにも腹を立てながら、握りしめた飴をポケットの中に突っ込んだ。誰がこんなもの舐めるか! と怒りながら、なぜその飴をゴミ箱に捨てずにポケットに戻してしまったのか、その時の土方は考えもしなかった。



 それが昨日の話。



 昨日は結局、学校から帰るなり薬を飲んで早々に寝てしまったため、ポケットの中身を始末し忘れた。
 始末しておけば良かったと、誰もいない屋上で土方は小さく舌打ちする。
 養生したおかげで喉の調子は大分良い。となると現金なもので、無性にニコチンを摂取したくなる。中間考査前ということも影響したかもしれない。職員室、各教科の準備室とも生徒は立入禁止になり、教師は試験問題作成に時間を費やすだろうし、クラブ活動も停止するため生徒は早々と下校してしまう。人が少なくなるというのは土方にとって好都合だ。おかげで放課後でも、誰にも見咎められずに屋上へと足を踏み入れられる――というのに。
『その様子じゃ、当分ペロペロキャンディーもお預けだな』
 指先に触れたもののせいで、不意にあの男の声が脳内に蘇ってくる。 
 知るか。と土方はその幻聴を振り払う――筈だったのだが。
「くそっ」
 ポケットの中できつく手を握りしめる。こんなものひとつで翻弄される自分が鬱陶しい。これが指に触れたときから、煙草を吸いたいという欲求など失せてしまっていた。
 こんなもののために。
 ポケットから手を取りだして、広げる。くしゃくしゃになった袋に描かれたふざけた文句。
 こんなの――ただの飴だ。 
 土方は乱暴に包みを開けると、中に入っていた飴を見もしないで口に含んだ。人工的な甘い匂いが鼻につく。きっと香料の他にも添加物が山ほど入っているに違いない。それでも、パッケージに描いてあるような効能はあるわけもないが。
「甘ェ」
 あの男が好むものであるからある程度覚悟はしていたが、ベタベタした甘さときつい匂いに辟易する。だが、飴は普通の飴だ。変化など起こりうることはない。それで少しだけ溜飲が下がった。
 このまま溶けて跡形もなく消えてしまえばいい。
 そうして舌の上でころりと飴玉を転がしていたら、鉄扉の開く軋んだ音が耳に入って、心臓が跳ねた。咄嗟にそちらを見やる。
 今までも屋上にいて見つかったことはあったが、まさか今。このタイミングで。
 ――最悪だ。
「あれェェ? お前何してたの?」
 試験勉強しろよ、と珍しく教師らしいことを言いながら現れた銀髪に。お前の方こそ試験問題でも作ってろよ! と怒鳴り返したかったが、口内にほぼ丸のまま残っている飴が邪魔をする。気まずい思いで口を噤んだ土方に近づいた担任の教師は、ふと鼻をひくつかせて「ん〜?」と唸った。匂いだ――。舌の上に残る飴玉の存在を隠していた土方はギクリと身を竦めた。
「ペロペロキャンディはお預けって言ったの、ちゃんと守ってんじゃん」
 男の機嫌はそれほど悪くない。むしろ良いようだ。何がそんなに嬉しいのかと、逆に土方は気分が下降する。その上さらに男は顔を寄せて。
「その飴、美味ぇだろ?」
 ニィ、と犬歯を見せて笑った。その表情に、羞恥なのか何なのか。体温が跳ね上がった心地がした。拙いと思った瞬間土方は男から目を逸らし、無言で脇を通り過ぎようとする。が、
「オイオイ、何も言わねーで逃げるってのは無ぇんじゃねえ?」
 強く腕を掴まれ遮られる。
 馬鹿、止めろ、離せ! 心では饒舌に否定できるのに実際には舌が痺れたかのように役に立たない。絶望的な状況だ。顔が熱い。止めろ見るな。その顔に冷たい手が触れる。見開いた目に、教師の精彩に欠ける顔が映る。検分するように指先が頬を滑る。温度を――確かめられている。余計に血が上った。
「ああ」
 一通り触れた後、指を離した男は訳知り顔で息をつき。
「エッチな気分になっちゃったか」
 とても気の毒そうな声音を発した。

「ッ!?」
 否定の言葉を吐く前に唇は男のそれで塞がれた。顎を固定され、あり得ないことに舌まで入り込んでくる。口内をかき回され、カチリと飴玉が歯に当たった。甘い塊を浚われ、また戻される。
「んっ、う……っ」
 鼻にかかった声が漏れる。意味の成さない、ただ音だけの声。だが言葉を尽くして語るよりも、吐息の熱さは饒舌に今の土方の心情を語っていて。
 止めろ離せと藻掻いていた手がすがるように白衣を握りしめる。かくんと膝が折れそうになるのを銀髪の腕が支えた。まるで予定通りとでも言わんばかりに。なんて癪なんだろうと普段なら思うだろうが、生憎今はそんな状態ではない。なかば身体を男に預けながら、上気した顔で息をつく。いつのまにか唇が離れていた。その事実にさえ気づかなかった己を恥じる。
「イチゴ味」
 不意に銀髪の男がにんまりと笑った。ああこれはあれだ。悪人の笑みだ。
 今更飴の味など。
「畜生……」
 足が震えて上手く立てない。支えられている、という状況にも腹が立つ。しがみついている手を解けないことも。
 言葉程、この男を拒絶していない己にも。
「そんな善かった?」
 からかわれて一層頭に血が上った。こちらを見下ろしている顔が滲んでいるにも関わらず、睨み付ける。
「てめーがっ……あんなモン寄越すからッ」
「あ? ああコレか?」
 べ、と出した舌に乗った飴玉に絶句する。そういえば自分の口内にあった甘い塊が無い。何度か勝手に交換させられた上に、盗られたのか。土方がぼんやりと納得していたら、飴玉は男の口内にするりと戻された。
「なァ。コレ舐めてる時、俺のこと考えた?」
「考えてねェよ」
「エッチな気分になったんだろ」
 カツン、とわざと飴を歯に当てて音を立てる。耳障りだ。
「っの、てめーが変なモン食わせなきゃ、誰がッ」
 誰がお前なんかにそんな気分になるものか。土方はくやしさを滲ませた声で反論する。と、それを聞いた男はぷっと吹き出した。
「あ!?」
「お前、本気で信じてんの?」
 この飴舐めたからエッチな気分になったとか、本気で? 
 男が笑う。土方はそれを訝しげな顔で見ていたが、男の言葉をよく反芻し――。
 あ、と唐突に自らの失言に気づいた。
「てめぇ!!」
 だが怒鳴ったところでもう遅い。すでに土方は耳まで真っ赤で、それは隠しようもなかった。その上未だに男の腕に捕らえられたままである。最悪な状況だ。どんな悪口も考えられない。どうしようもない。ギリギリと歯がみする土方に男は目を細めた。
「なァ、どーしてエッチな気分になったか教えてやろうか?」
「なってねェ!!」
 破れかぶれだとは解っていても反論することは止めない。この男の思い通りになどなってたまるか、と土方は精一杯抵抗する。
「相乗効果ってやつだ」
「何が」
「お前が俺を好きだから」
 だからソノ気になったんだよ、と銀髪が言う。ご託宣のように。
「そ、んなんじゃ、ねェよ」
「俺ァ嘘は教えねーぜ。先生だから」
 何がだこの不良教師! 飄々とそんなことを抜かした顔を見上げながら、土方は心の内で男を散々罵ってやる。つき合ってられるか、と腕を解いて抜け出そうとしたら。
「オイオイ待てって」
 と抱きすくめられてまた頬が熱くなる。
「ッ、てめー鬱陶しいんだよ離せやコラ」
「いやお前ホラ、先生にも色々あってだな」
「てめーの都合なんざ知らねーよ離せ」
「いやあの。エッチな気分になっちゃったんですけど。コレのせいで」
 これこれ、と男は口に含んだ飴玉を示す。何度目かの絶句をしている土方に構わず、担任教師という肩書きを持った銀髪の男は「だから」続けた。
「キスしていい? ってかする。するぞオラ」
  
 
 お前さっき言ってることと違うじゃねーか、とか。何サカってんだよ坂田だからかコノヤローとか。試験が終わるまでは準備室では会えないな、とか。色々。色々。
 もう考えるのも面倒になって、放棄した。




 ああ――イチゴの匂いが鼻につく。






041109


銀八先生×生徒土方
また見たいと言って下さっていた方……
お待たせしました!!
っていつまで待たせんだコノヤロー!って感じですが。
えと。できあがっちゃってる先生×生徒ってかんじで。

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