それは童話のお話





「トシ、ちょっといいか?」


 と、屯所内の土方の部屋に近藤が訪ねてきたのは夕餉も風呂も終わった晩のことだった。夜も更けてきた頃の来訪に、部屋でくつろいでいた土方は少し慌てて腰を上げた。襖を開ければそこには間違いなく着物姿の近藤が居て。
 一杯やろうぜ、と酒瓶を片手に掲げて笑む。
 近藤の笑顔は温かくて優しい。だが――今夜のそれはいつもと印象が違う。土方は近藤の表情に少しひっかかるものを感じたが、敢えてそれには触れず、近藤を部屋の中へと招き入れた。




「――で、何があったんだよ」
 酒を酌み交わしながら他愛のない世間話で場を繋いでいた近藤に、土方は思いきって確信に触れてみた。そうでもしないと酒盛りだけで終わってしまいそうだったからだ。自分はそんなにも酒に強くない。だからちびちびと舐めるようにして近藤の酒につき合っていたのだが、これ以上続くようなら酔いが回って話が聞けなくなる恐れがある。
 土方の台詞に、近藤は飲みかけていた酒に咽せた。
 ひとしきり咳き込んだ近藤は、「何故解ったんだ、トシはやっぱり千里眼だ」と言って感心する。

 ――解らいでか。アンタは感情が顔に出ちまうタイプだろーが。

 土方は内心で苦笑する。幕府の狐狸共とつき合っていくには全くもって難儀な性質だったが、その真っ直ぐさがこの男の長所でもあり、土方個人も好ましいと思ってしまう所なのだからタチが悪い。
「いいから言えよ」
 と促してやれば、土方のことを賞賛していた近藤は俄にその表情を曇らせた。
「総悟の事なんだがな……」
「あのヤロー何やらかしやがった!?」
 沖田の名前を聞いた途端、土方の顔が盛大に引きつった。何があった、何で困らせた、と矢継ぎ早に質問を投げかける土方に対し、近藤は違う違うと弁明する。
「違うんだよそうじゃねェよトシ」
「違うって……なんだよ何がだよ」
 納得のいかない土方が追求するも、近藤は言いにくそうに視線を彷徨わせた。この男がこんな風に歯切れが悪いなど常にはないことだ。土方も余程のことかと覚悟する。やがて、
「総悟の奴ァ、どっか行っちまうかもしれねェ」
 ぼそりと呟いた近藤の台詞に、土方の思考回路が一瞬止まった。
「……何?」
 総悟がどうしたって? どっか行くって何だ。あいつが俺達を置いてどこに行くってんだ。どこに行けるってんだ。
 予想の範疇を越えた言動に、少々混乱気味に土方は訴えた。大体、何の根拠があって近藤はそんなことを言うのだろう。沖田が、自分を裏切ることはあったとしても近藤を裏切るなんてことは絶対にあり得ない。以前、あいつは言った。近藤が好きだと。だから真選組に居るのだと。素直じゃない餓鬼だから、近藤自身に伝えることなどしないだろうが、沖田が近藤のことを本気で慕っているのは土方もよく知っている。だから、沖田が近藤を置いてここを出ていくなど到底考えられることではないのだ。
「なァ、アンタがそんなこと言う根拠は何だ?」
 最早酒どころではない。土方が真剣な眼差しで問いかけると、近藤は悲痛な顔をして「見ちまったんだよ」と答えた。
「何を」
「この間、防災訓練したろう?」
 防災訓練?
 脈略の無さそうな単語に土方は思わず首を捻った。確かに、非常時のために隊士全員で避難訓練だの屯所内の備品点検等をしたが。それが一体どうしたというのだ。そう思ったが、土方は余計な茶々を入れず、近藤の話の続きを待つ。
「そん時、丁度蝋燭が切れててよォ」
「ああ」
「誰か買って来いよって言ったら、総悟の奴が自分の買い置きがあるから使ってくれって言ってよォ」
 近藤はそこで一旦言葉を切った。土方は話がどんどん理解の及ばぬ方向へと転がるのを感じていたのだが、それを指摘するのは控える。すると近藤は辛そうに顔を歪め、
「赤い蝋燭出して来たんだよ」
 と言った。
 二人の間に沈黙が落ちる。
「赤……がどうしたって?」
「なァトシ、どうすればいいんだ? 総悟は人魚かもしれねェ」
「はァ!?」
 思いも寄らない台詞に土方は素っ頓狂な声をあげた。だが近藤は大真面目だ。
「人魚なんだよ、総悟は人魚の子だったんだよ。でもって俺達を置いて海に帰っちまうんだよォォ」
「ちょ、お、落ち着けよ」
 取り乱す近藤に揺さぶられて、土方までが混乱してくる。なんだ。なんだというのだ近藤は。こうなると舌を動かすために酒の力を借りたのは失敗だったかと思ってしまう。お互い酔っぱらってしまう前にとタイミングを見計らったはずなのだが、見誤ってしまっただろうか。 
 大体なんだ人魚って! そりゃあアイツは人間離れしているところもあるが、足はちゃんと二本生えている。
「トシは知らねぇのか?」
「何を」
 土方が聞き返すと、近藤は切々と人魚の話を語り始めた。赤い蝋燭にまつわる、人魚の物語を――。






「――だから、赤い蝋燭は駄目なんだよ」
 それに火を点けたら、きっと嵐が起こる。
 一通り話し終えた近藤が重く沈んだ声でそう言った。土方も黙って俯いている。
「火を点けなきゃいいだけじゃねーのか」
 土方がぼそりとつぶやくと、近藤はぶんぶんと首を横に振った。
「トシ、これはなァ、点けなきゃいいとかいう問題じゃねーよ。総悟が赤い蝋燭持ってたってことが重要なんだよ!」
「おーい帰ってこーい、童話の世界から帰ってこーい」
 土方は顔を上げて近藤を呼んだ。一体何を心配しているのかと思えば、たかが童話の話ではないか。話の中の人魚と、沖田との間に共通する部分といったら、単に親元を離れて育っているという点と赤い蝋燭だけだ。第一、近藤は話に出てくる養い親のように金に眼を眩ませたりしないのだから、心配する方がおかしい。だが――、思いがけず童話の中でしか知らないような代物を目にして動転したのだろう。根が純粋な男なのだ。たとえストーカーじみた行為に精を出していたとしても。
「とにかく。総悟は人魚なんかじゃねーし、近藤さん置いて出ていくなんてこたァねーから安心しろって」
「でもトシ、蝋燭が……」
「蝋燭はいいから」
 忘れろ、と土方は言い放つ。赤い蝋燭と人魚の童話は知らなかったが、沖田が持っている蝋燭に火を点けたところで嵐など起きないことは解っている。それよりも沖田のことだ。むしろ別の使い道があるのだろうが、それを近藤に告げるのは憚られた。できれば存在自体を忘れて貰いたい。
「情けねー顔すんなって」
 すっかり眉の下がった男を励ませば、近藤は思い余ったように、ずっと考えていただろう台詞を口にした。


「なァ、トシ。総悟は幸せか?」

 土方は目を瞠った。当たり前だ。近藤にここまで思われて、幸せじゃないなんて抜かしたらブッた斬ってやる。


「幸せだよ」
「本当に?」
「ああ」
「幸せでさァ」
「だろ――、って!?」
 室内にいた両名共、するりと割り込んだ声に驚いて顔を上げる。襖を引いた音も気配もないのに、部屋の入口に立っていたのは――。
「総悟!」
 ふたりの声がハモった。
「まったく。近藤さんが土方さんの部屋に夜這いに行ったと思ってワクワクしてたってェのに、アンタら二人とも意気地のねェ話に花咲かせてるたァ情けねーな」
 外で盗み聞きしてる方の身にもなって下せェ、と沖田は聞き捨てならない台詞を吐いた。
「てッ、てめー! 夜這いってなんだコラァ!!」
 引っかかるところはそこなのか。土方が若干頬を赤らめながら怒鳴ったが、沖田はそれを綺麗に無視して近藤へと目を向ける。
「総悟……」
「近藤さん。そんなに心配なら、火を点けてみなせェ」
 そう言って部屋に入ってきた沖田は、赤い蝋燭と手燭を近藤へと差しだした。なんと用意の良いことか。土方の顔が引きつる。こいついつから聞いてやがった? と。そんな土方にお構いなしに、沖田は「土方さん、火」と蝋燭に炎を要求した。近藤を窺えば頷き返され、渋々と土方はライターを取り出し、全ての元凶である赤い色をした蝋燭に火を灯した。





「何も起きねーな」
「……当たり前だろうが」
 ゆらゆらと静かに蝋燭の炎が揺れる。不吉な色をした蝋燭に火が灯って後、急に風が吹くことも、厚い雲が空を覆うことも、俄に雨が降り出すことも無かった。静かな夜は静かな夜のままだ。
 何も起きない。
 そんな当たり前のことに近藤は安堵する。過ぎてしまえば、どうしてあんなに思い詰めたのか解らないくらい悩んだことが馬鹿馬鹿しい。
「すまねェ」
 迷惑かけて悪かった。どうかしてた。と近藤は二人に頭を下げる。
「別に迷惑だなんて思ってねーよ」
「そうですぜ。近藤さんに構ってもらえて土方さんは嬉しいんでさァ」
「てめーは黙ってろよ」
 ごつ、と拳骨で柔らかい髪が覆っている小さな頭をぶってやった。「いてててて」と抱えた頭を、すっくと立ち上がった近藤の手がゆったりと撫でた。
 愛情深いその仕草を沖田が素直に受け入れる様を、土方は黙って見守る。
「じゃあトシ、邪魔したな」
 訪れたときとは違って、今度こそいつもの笑顔で近藤は部屋を去った。思いこみが激しくて、馬鹿正直で、よく沖田にも騙されるけれど、決して仲間を裏切ったり見捨てたりしない男。だからこんな馬鹿馬鹿しいことで悩んでも、憎めない。土方は小さく笑った。

 そして。

「……お前はいつまでここに居る気だ」
 それからその蝋燭を早く消せ。と土方は告げる。
「いやね、折角点けたんだから、勿体ねーじゃねェですかィ」
「勿体なくねーから早く消せ」
「やだなァ土方さん。まさかこの蝋燭点けてたら嵐が起こるとでも思ってんですかィ」
 それは無いとさっき証明したでしょーに、と沖田が小馬鹿にした口調で喋る。いや、嵐など起きはしない。そんなことは解っている。だが下手をすると土方にとっては嵐よりもタチが悪いことが起きるかもしれない。
「いいから消せ! そんでとっとと出てけ」
「冷たいお人だ。この寒空の下に幼気な部下を放り出すつもりですかィ」
「てめーの布団にでも潜ってろ!」
「なァ土方さん。何をそんなに焦ってんですかィ」
 ぎくりと土方の肩が強張った。誰が焦ってんだよアホかてめーは。
 そんな土方の様子を沖田は「ふぅん」と気のない様子で眺めて――おもむろに手燭を手に取った。燃え続ける赤い蝋燭。垂れた蝋まで当たり前だが赤い。沖田が手燭を手にしたことで土方は一層緊張を強くした。
「なァ土方さん」
「なんだよ」
「この蝋燭、綺麗でしょ」
 なんと答えたものだろうか。土方が窮していると、それでもお構いなしに沖田は口を開いた。土方が恐れていた、爆弾発言を。

「土方さんの肌に垂らしたら、きっと映えますぜ」
 だからヤらせて下せェ。
 きっぱりと言い切った沖田に、
「てめーやっぱりそのつもりかァァァ!!!」
 土方は絶叫で答える。
「大丈夫ですぜちゃんと低温タイプだから」
「そういう問題じゃねェ!!」
 あくまでも行為を成そうとする沖田と、それに力一杯抵抗する土方。
「チッ、ロープも持ってくりゃ良かった」
 と恐ろしいことを口にする沖田を見ながら土方は心の中で叫んでいた。




 こいつは人魚なんて可愛いもんじゃねえよ近藤さん!




 こいつはやっぱり――サディスティック星の王子だ!







041024


なんかもう色々とすみません。
馬鹿なのは私です。

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