いいからって眠らせろ






 だからいい加減に寝かせてくれ!



 土方は心の中で切実に叫んだ。というのもここ数日碌に眠れない日々が続いていたせいだ。
 過激攘夷派テロリスト共が動く――突然入ったその情報に、楽しい喧嘩の予感を感じたのは三日前。標的とされたのが天人の大使館だというから、精々派手に吹っ飛ばされろよと徹マンしながら待ち続けた三日間。一応仮眠はとれる状態であったにも関わらず、沖田に邪魔されて気力体力奪われたのもきっちり三日間。こうなったら斬って斬って斬りまくってストレス解消してやると思ったのに、肝心のテロリストが現れず、真面目に働いて損した時間も三日間。
 俺の睡眠不足と欲求不満はどうしてくれんだコラ!
 目の下にくっきり浮かんだ隈は寝不足のため。さらに、いつもより目つきが凶悪なのはフラストレーションが解消されなかったため。真選組の制服を身につけていなければ、うっかり犯罪者だと思われそうな人相になっている。
 そんな誰も触れようとしない男に沖田だけは易々と近づいて、
「ホラホラ土方さん、眠いんならちょっとここで休憩して行きましょうや。ジェットバスもあるって書いてありやすぜ」
 と妖しげな雰囲気のホテルに腕を引っ張り連れていこうとする。
「誰が行くかァ!!」
 叫んだ拍子にクラッときた。ヤバイ。これは本格的にヤバイ。
 ああとにかく布団が恋しい。少しでも眠りたい。俺に休息をくれ。っていうか貰う。絶対に貰う。これは権利だ。生きていくために必ず必要なものだ。土方は鈍くなっていく思考の中、ずんずんと歩を進めた。こうなると殆ど睡眠への欲求という本能で動いているようなものである。



 屯所に帰り着き、出迎える隊士を無視しながら、スタスタと土方は進む。廊下の奥、目的の部屋の襖を思い切り開け放ち――開けたはいいが閉めるに至らなかったのは、理性が正常に働いていなかったためだろう――土方は漸く気を緩めた。



 ――ああ、やっと眠れる。
 


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 近藤は唖然とした面持ちで状況を理解しようと努めていた。
「……トシ?」
 呼びかける声もこの男にしては珍しく遠慮がちだ。
「トーシトシトシトシ」
 まるで猫か何かを呼んでいるようで、「プッ」と誰かが吹き出す。だが、それでも土方が答える気配はなく、近藤は「参ったなァ」と苦笑いした。
「お前何だよ、そんなに疲れてたのか?」
 近藤は土方の耳元で囁いた。腰と背中を支えた腕を解くことが出来ないので、どうしてもその位置でしか喋れない。なぜ解くことができないかというと、近藤が支えていないと土方は立っていられないだろうからで。なぜ土方を支えていないといけないかというと、信じられないことに彼は眠ってしまっているらしいので。
 ――つまり、土方が立ったまま近藤にもたれ掛かるようにして眠っているので。
 立ったまま眠るなんて、こんな器用な寝方をするとは思わなかった。というより、まさか寝るとは思わなかったのだ。近藤はつい先刻の出来事を思い返す。

 居るか? とも、邪魔するぜ、もなく突然開いた部屋の戸に顔を上げればそこにあるのは土方の姿。常にない行動だったが緊急事態ではないと空気の質から判断した近藤が、「オイオイどーしたトシ」と立ち上がって声をかける。なんだかくたびれて機嫌悪そうな土方の――近藤自身は恐いと思わないのだが、よく人から恐いと称される――目が、どこか定まらないのを訝しく思い、掌を振りながら「トシ」と声をかけたら。
「うぉ!」
 いきなり目の前の身体が後ろに傾いだので咄嗟に手を出した。支えた腰のかわりに背中がカクリと仰け反りそうになったので、また慌てて空いた方の手で背も支えてやる。抱き込むような形で身体を引き寄せ、ああ吃驚したどうしたんだトシ、と腕の中を窺えば、聞こえてきた返事は小さな寝息。まさか、と思った。
 だが確かに土方は眠ってしまっていたのだ。

 こうなると、機嫌悪そうに見えたのは、赤ん坊が眠くてむずがるのと似たようなものだったかもしれない。力の抜けた身体を支えてやりながら、さてこれからどうするかと考えていたところ、入口の方から「局長ォ」と情けない声があがった。
「……あの、副長どうしたんすか」
 お。と近藤はそちらを見やった。いつの間に集まってきたのか、隊士連中がピラミッドのように折り重なって局長室の様子を窺っている。皆、副長ご乱心の異常事態が気になって仕方ないのだろう。近藤は笑って大丈夫だ、と言った。
「オイ、誰かトシの部屋行って布団敷いてやってくれや。寝かせてやらねえと」
「俺行って来ます!」
 ぎゅうぎゅうのすし詰め状態の中から、誰かが素早く抜け出した。後ろ姿は中肉中背且つ外ハネ髪で腰にミントンラケット。――山崎だ、と皆が思う。あいつ上手くやるなあ、と隊士連中が思った矢先。
「よっ」
 と、かけ声一つあげて、近藤が土方の身体を持ち上げた。
「!!」
 それを見て、その場にいた全員が驚愕した。中には顎が外れそうなほど口を開けている者もいる。
「ん? どーしたお前等。道空けてくれ」
 我らが局長はきょとんと首を傾げている。おかしいこととは微塵も思っていない、らしい。
 土方の身体を横抱きに抱いて――いわゆるお姫様抱っこである。それも自分より多少細身とはいえ、立派に成人した男性の身体を、である。しかし我らが局長は疑問に思わぬのか。その姿は堂々として清々しかった。それはもう羨ましいくらいに――。
 だから、その場にいた全員が、異議なしで道を空けた。



 近藤が通り過ぎる際に垣間見えた土方の寝顔は、疲れが若干見られるもののそれはそれは穏やかで満ち足りた顔であったので。
 少しして、土方の部屋から慌てふためいた様子で飛び出してきた山崎に、皆は「ご愁傷様」と思ったとか思わなかったとか。







040921


「人間極限になると欲望に忠実になるっていいやすぜ」
「何の話だ?」

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