『土方さん、火ィ貸して下せェ』
 そう告げた子供の声に土方はぎょっとして振り返った。明るい色の髪をした子供がまん丸な目で自分を見上げている。その両手に抱えられたものを見て、先程の台詞に合点がいった。きっとこれは近藤の計らいに違いない。
『土方さん、火』
 振り返って後、返事もせずに目を細めた土方を咎めるように、子供は催促してくる。
 解った解った、だから慌てるな。火だけあっても仕方ねェだろう。
 土方はそう言って、花火を手にした子供の背に掌を寄せた。




(あ……、夢?)
 耳に入ってくる雑音に土方はぼんやりと覚醒した。目の前に座卓の足が見える。ああ、寝ちまってたか、と未だ靄のかかる頭で思った。夕餉の後、ひとり部屋でくつろいでいるうちにいつの間にか眠っていたらしい。
(うるせぇ……)
 雑音の出所は庭であるらしかった。低音のざわめきが眠りの邪魔をする。何をやっているんだあいつら。文句を言ってやりたいが、眠気が勝る。土方がそうやって夢と現の間をまどろんでいた時――突然カン高い笛の音が空気を切り裂いた。反射的に目を覚ました土方に、勢いよく障子を突き破って何かが飛んでくる。
「うぉわァァァ!!!」
 何が起こったのか理解できぬまま、土方は堪らず悲鳴を上げた。



 スバーン! と。壊れるのではないかという勢いで、穴だらけになった障子は開けられた。桟に叩きつけられた音に反応し、一同の視線が集まる。
 果たしてそこには、障子を開け放った男が幽鬼のように立っていた。今にもゆらり、と怒りのオーラが立ちのぼるのが見えそうだ。纏っている着物が少し乱れている。余程慌てたのだろう。さもありなん、と庭に出ていた男達は思った。

「起きましたかィ土方さん」
「総悟ォ……!!」
 誰もが声をかけられない様子の土方に対し、沖田だけはけろりとした顔で話しかける。土方は鬼の形相で低く呻いた。犯人はこいつだ。予想通りだ。というか、沖田以外にこんなふざけた真似をする奴が真選組に存在するなど思いたくない。
「何の真似だてめェ!!」
 怒り心頭といった風情で土方は吠えた。当たり前だ。うとうととまどろんでいるところに、よりにもよってロケット花火など撃ち込まれたのだから。怒らないほうがどうかしている。
 それなのに、沖田は反省した様子もない。謝る素振りも見受けられない。それどころか。
「起きたならとっとと降りて来やせェ、皆とっくに準備OKですぜ。あとは土方さんだけでさァ」
 と、しれっとした顔で誘う始末。
「上等だてめー! 今すぐブッた斬る!」
 刀を掴んで裸足のまま庭に降りようとした土方に
「なんだィまだ寝惚けてんのかィ」
 と、沖田は身を翻してしゃがみ込んだ。その手にはライターが握られていて、土方の足がピタリと止まる。
「……オイ、お前それ何だ」
「え? 見て解りやせんか? ライターでしょ」
「そうじゃねーよ! その! 足下の奴だよ!」
 土方は焦り顔で喚いた。それに沖田は「ああ」とわざとらしく声をあげると、
「覚悟して下せェ。今度は音だけでなく火薬つきでさァ」
 当たったら破裂しやすぜ、と言って、ライターの炎を近づけようとする。目標は地面にずらりと並べられたロケット花火の隊列だ。ご丁寧に鳥獣威嚇用のための発射台にセットしてあるものだから、上に飛ばずに横に飛ぶといった代物だった。それが土方の方を向いているのだから堪らない。
「待て待て待て待てェェ!!!」
「土方さんが聞き分けないのが悪ィんでさァ」
「何だその理屈!! って、ロケット花火は人に向けて撃つもんじゃねェって習わなかったかァ!!」
「おや。アンタ人だったのかィ? こいつァ驚いた。俺ァてっきり鬼だと思ってやしたぜ」
「そりゃァてめーのことだこの鬼ッ子がァ!!」
「やっぱやっちまおう」
「やめろコラァァァ!!」
 半ば悲鳴のように土方が叫ぶ。いざ点火、となった瞬間。
「総悟、何やってんだ。ロケット花火は人に向けちゃいかんだろう」
 突然割り込んだ近藤の声に、沖田は背後をふり仰ぎ、土方の視線もそちらへと動いた。近藤は青いバケツを両手に下げて、歩いてくる。
「局長、水なら俺達が汲みに行ったのに」
「オーウ、いいってことよ。それより全員揃ったのか」
「あとは副長だけです」
「そうか。おいトシ、何やってんだ。早く来いよ……ってどうしたんだお前ェ?」
 そこで初めて近藤は土方を見て、乱れた髪やら着物やら、手にした刀やら裸足の足に、素っ頓狂な声を上げた。
 はあ、とため息をついて土方は脱力する。戦意喪失だ。それに呼応するように沖田も手に持っていたライターを仕舞った。




 赤や青、橙に緑といった様々な色をした炎の花が暗闇に咲き誇っている。火花が弾ける様は幻想的で美しく、じっと見ていても飽きない光景だ。近藤の隣に並んだ土方は光の供宴を眺めながら、花火ではなく己の煙草に火をつけた。
「ってか、いい年した男が花火に夢中とはな」
 呆れたような声音だが、人の心という物はいくつになっても闇に浮かぶ光に魅入られるものだ。土方も口ではああ言っても、その実、隊士達が戯れる花火に目を奪われていた。隣の近藤が笑う気配がする。
「なんだよ」
 照れ隠しに睨みつければ、近藤も花火に魅入った様子で笑みを浮かべていた。
「なァ、懐かしいだろトシ」
「……ああ」
 炎の花が咲き乱れる光景。火薬の匂い。無理矢理たたき起こされる前に見た夢がそうだったと思い返す。まだ小さかった沖田を喜ばせようと、夏になれば近藤が花火を買ってきていたのだ。その頃住んでいたのはこんな広い屯所ではなく、近藤の芋道場だったが、それでもあの場所は自分たちの城だった。懐かしさに土方の表情も緩む。
 その沖田も、今はおとなしくしゃがみこんで花火を楽しんでいる。他の隊士と違って色の付いた炎を出す美しいものではなく、黒い玉状のものに、火をつけるとうねうねと蛇のように動き出すといったおかしな代物であったが、楽しんでいるらしい。
 あいつも昔はロケット花火を人に向けるような憎たらしい奴じゃなかったのに。 と、土方は沖田を見ながら――さっき見た夢の続きを思い出す。
 ああ、今はあんなだが、あの頃はあいつも可愛かったなあ。



『わーわー、土方さん、見て下せェ』
『って、総悟! 解ったから花火俺に向けてんじゃねえよ! 危ねェだろコラ!』
『わーわー』
『なんで追いかけてくんだよオイ!!』
『土方さん土方さん』
『だからお前あっちいけって!』
『着物が焦げてまさァ』
『誰のせいだと思ってやがる!!』



「……」
「ん? トシ、どうした?」
「いや……」
 思い出すのは美しい思い出ばかりではなかった。そうだ、昔からあいつはああいう奴だったと土方はげんなりした。そんな土方に近藤は「トシも花火やってこいよ」と促す。
「俺はいいって。それよりアンタやれよ」
「ん〜? 俺は別に……ってコラ! 花火振り回すんじゃねェぞ!」
 すいません! と謝る隊士の声に近藤は腕を組み立ったまま白い歯を見せた。その足下には水を張ったバケツ。ああ、これだからこの男は。それなら俺もアンタの隣にいるに決まってんだろーが、と土方はひっそりと笑んだ。

「局長ォ、副長〜、最後くらい一緒にやりましょうよ〜」
 一通り遊び終えた者達が、こっちこっちと近藤らを手招きする。皆子供に戻ったような晴れやかな顔をしていて、これが本当に武装警察かと思うような無邪気さだ。
 早く早くと促され、土方も近藤と顔を見合わせた。どちらともなく頷いて「今行く」と返事を返す。
「やっぱ締めはこれでしょ」
「副長どうぞ」
 といって一本の線香花火を手渡してきたのは山崎だった。それを受け取れば、誰かが懐中電灯で手元を照らす。指に触れる紙縒は本当に懐かしい感触がした。
 土方は蝋燭の前にかがんで、小さな花火に火を灯す。
 シュッ、と微かな点火音がして、暗闇に丸い火の玉が浮かぶ。一瞬の沈黙の後、パチパチと火花が散った。打ち上げ花火や、くるくると色が変化する手持ち花火のような派手さはない。だが、儚くも美しい幻燈に土方は暫しの間酔いしれた。
 火花は次第に強さを緩め、しなやかに垂れ下がったかと思うと、ぽとりと命を散らした。ふ、と息をついた土方は、静けさに顔を上げる。
「……お前ら何やってんだ?」
 土方が声をかけると、周囲の空気が慌てたように動き始める。土方の隣で近藤が「あ!」と声を上げていた。どうやらこちらも火玉が落ちたらしい。土方は苦笑し、花火の燃えかすを水中に投げ入れると、煙草を吸うために数歩後ろに下がった。皆がしゃがみ込んで、線香花火を楽しむ様を眺めながら煙を吐き出す。
「土方さん」
「うわ!」
 いつの間にか隣に立っていた沖田に驚いて、土方は声を上げる。
「火ィ貸して下せェ」
 夢で見たのと同じ台詞に土方は僅かに目を見開いたが、沖田はそれに気づいたかどうか。今目の前にいる背も手足も伸びて子供から大人へと成長した青年と、記憶に残る子供の姿を重ね合わせ、今更ながら不思議なものを感じた。
「土方さん、火」
 しゃがみこんだ沖田が足下から催促してくる。見上げてくる瞳は、あの頃のままだ。感情の読みにくいところも、存外綺麗な目をしているところも。
「お前あっちでやれよ」
 そう言いつつも、土方はため息と共にその膝を折った。沖田が満足そうに手にした線香花火を向けてくる。懐から取りだしたライターで注意深く点火してやれば、小さな音と共に燃えた火の玉が赤く。続けて散った火花にふたりの顔がゆらゆらと照らされる。炎の華が咲けば目は自然とそちらへと吸い寄せられた。



 沖田は火花の散る音だけ耳にしながら、目は隣の男へと向ける。花火の光に照らされた横顔が、いつもと違って柔和で。
 ――ここがいいんでさァ。
 と。線香花火が燃え尽きる前に、沖田はひっそりと心の中で呟いた。






040908


「今度はネズミ花火にしやしょう」
「……」 (何が?)


花火はライターで火をつけてはいけません。
ロケット花火は人に向けて撃ってはいけません。

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