ーカ








 教室に入ってきた男の姿に、土方は思わず声を上げそうになった。だがそれをぐっと堪えて、号令と共に立ち上がり、他の生徒と同じく授業開始の挨拶をして着席する。教壇に立つやる気の無さそうな――死んだ魚のような――目をした男が、怠そうに授業を始めるのを見ていたら、苛々はすぐに募っていった。非常識にも程があるだろう、と思うが、今更誰もあの男を正すような真似はしない。皆あの男のペースに慣れてしまっているのだ。腹立たしい。大体、初めて見た時から気に入らなかったのだ。
 あの男――土方のクラスを受け持っている、坂田銀時という教師のことは。


『はァい、じゃ今日から俺のことは「銀八先生」って呼ぶよーに』
 初顔合わせの自己紹介。担任の挨拶からしてこれだ。学園ドラマの主人公に憧れて、と抜かしていたが、それにしてはこの男は目が死にすぎている。
(くだらねェ)
 表面上はあくまでも無表情を取り繕いながら、土方は心の中で教壇に立つ男への評価を辛辣に下した。だらしなく着崩した服装も、覇気のない声も、どうしてこんな男が教師などやっているのかと思うような酷さで。『銀八先生』の渾名の元になったドラマをかかさず見ていた土方は、それだけで担任への印象は最悪なものとなった。こんな最低な教師、必要最低限のことだけ関わっていればいい。そう思っていたのに。



『あれ? 見ーちゃった』
『!!』
 人の気配に聡い自分が、いつの間にか背後を取られていた。こんなこと、幼なじみの沖田にしかあり得なかったことだ。しかも間の悪いことに、土方はその時煙草を口に銜えていた。
 他の生徒が登校してくるより少し前の朝の一時。屋上になど誰が登ってくるものか。そこは土方にとってささやかな休憩場所だった。もう少し早く来れば、運動部の朝練が見られる。
 銜えた煙草を処理することも忘れ、目の前の男を凝視していた土方に、咎めるようなことは何も言わず、銀時はすいっと腕を伸ばして土方の唇に挟まれていた煙草を取り上げた。「あ、」と小さく上がった声に、答えたのはのんびりとした声。
『優等生かと思ってたのになァ』
 生徒の喫煙など、教師に見つかれば停学処分は免れないだろう。よりによってこんな男に見つかるとは。土方は自分の迂闊さを呪った。普段は表に出さない、凶暴な瞳で銀時を睨み付ける。だがこのふざけた教師は、そんな土方に『んな恐い顔するなって』と軽口を叩いたかと思うと、次の瞬間信じられない行動に出た。
『……ッ! 先生!?』
『ん? あ〜久しぶりに煙草なんて吸うなァ』
 なんと目の前の教師は、土方から取り上げた煙草を自らの口に銜えて吸ったのである。予想外の行動に目を丸くした土方に満足げな笑みを浮かべ、銀時は手を伸ばして土方の眉間に触れた。
『そうそう、そういう顔のが可愛いぜ』
 とん、とん、と眉間をつつかれ。我に返った土方は『ふざけるな!』と手を振り払った。





「そんなに気に入らなかった?」
 一日の授業が終わり、銀時の机がある準備室。他の教師はもう帰ったか出払っているかで、室内には土方とふたりしかいない。だからというわけではないが、土方の口には煙草がある。
 あの日からさりげなく始まった教師の喫煙。それも、土方と同じ銘柄で。初めて顔を合わせた時、この男から煙草の匂いなどしなかったことを、覚えているのは土方だけだろう。
 生徒の喫煙を黙認したところで教師には何のメリットもないはずなのに、この男は何も言わない。今朝も、今も。それどころか――。
 すっと伸びた手が土方から煙草を奪う。銀時が煙草を口にした瞬間、開く部屋の扉。
「あ、坂田先生いらっしゃったんですか」
「ええ、何かご用ですか?」
 他の教師と白々しく会話をする銀時を睨み付ければ、余裕めいた笑みを返される。今朝と同じシチュエーション。ただ場所が違っただけで。


「てめェ何考えてんだ」
 忘れ物を取りに来ただけだという教師が出ていき、しばらくしてから土方は口を開いた。
「ん〜?」
「すっ惚けんな! 一限目のアレだ!」
「……ああ。アレね、アレ」
 銜え煙草で始めた授業のことかと思い至って、銀時はにやにやと笑みを浮かべた。
「そんなに気に入らなかったんだ?」
 一旦煙草を口から外し、銀時は舌を出して見せる。
「ものすごくペロペロしてたの。間接キスだもんな」
「ッ!!」
 土方は返す言葉を失う。踵を返して部屋を出ていこうとしたら「オーイ、これもういいの?」と声がかけられた。
「いらねェ!」
 銀時の指に挟まった煙草に目をくれ、土方は吐き捨てるように言った。勿体ないと思う気持ちも無いではないが、間接キスなどとふざけたことを言われるよりはずっといい。
「あ、そうだ」
「あ?」
 扉を閉める瞬間、大事なことを忘れていたと言われて、土方は立ち止まった。
「匂い。突っ込まれたら――」
「てめェと一緒に居たからだって言っとくんだろ」
「それもいいけど」
「ああ?」
 俺にキスされましたって言いなよ、と言ってにやけた笑いを浮かべた担任に。
「死ね!」
 とありったけの呪詛を込めた言葉を投げつけ、土方は乱暴に扉を閉めた。
 


 
 




040723
銀八先生×生徒土方
こんなかんじでいかがでしょう。

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