モモスモモ






 冷蔵庫を開けたらそこは桃の国だった。



 パタン、と無言で扉を閉めた土方は、制服のポケットから煙草を取り出して火をつけた。上向き加減でふう、とゆっくり煙を吐き出して一服する。ああ、そうだ。俺は茶が飲みたかったんだ。冷蔵庫に冷えた麦茶が入っているはずだから。本当はビールが良いけれど、まだ勤務中だから我慢我慢。
「副長、どうかしましたか?」
 良く知った声に振り返ってみれば、山崎が立っていた。今し方見た光景をいちいち説明するのも面倒で、土方はただ「別に」と答える。てめェは何しに来たよ、と問うた後で、その質問は間が抜けていると気付いた。冷蔵庫の前に来ているのだから、中身に用があるに決まっているではないか。案の定山崎は答えに困っていた。狼狽える山崎などじっと見ていたところで仕方がないので、土方は道を空けてやる。「あ、すんません」と少しホッとした様子で隣を通り過ぎた山崎が冷蔵庫を開けた。ちらりと覗き見た中はやはり桃がびっしりと入っていて、土方は遠い気持ちになったが、山崎は何の疑問も持たずにいくつか取り出して腕に抱えた。そして、
「副長もいかがですか?」
 と問うてくる。土方は山崎の両手に抱えられた桃を見た。大振りの白桃だ。
「どうしたんだ、それ」
 逆に問われて山崎は腕の中のものに目を落とした。ああ、これは――と嬉しそうに話し始める。この桃は、近藤局長が貰ってきたものだと。
「へェ……」
 これも近藤の人徳というものか。でなければこんなに――悠に真選組隊士全員に行き渡るほどの数を――貰えるはずもない。土方は素直に感心する。感心したついでに、ほんのすこしだけ鬼の副長の顔が綻んだ。
「ふ、副長も食べませんか。俺剥きますよ!」
 何やら慌てた様子の山崎は桃を一旦流しに並べ、水道の蛇口を捻った。桃を洗い終わり、皿を用意して包丁を取りだしたところで、土方が「オイ」と呼び止める。
「はい? 何ですか副長」
「お前、それ全部剥くのか」
「あ。はい、そうですよ?」
「ンなもん一々切る必要ねェだろうが。皮くらい手で剥きゃいいんだよ」
「え……でも、汁が垂れるでしょ?」
 ――そんなの気にするような連中かよ。そう言い返すと山崎はまだ少し迷っていたようだったが、副長がいいならかまいませんけど……、と大皿の上に桃を乗せ、皆の元へと戻っていった。




「ゲ、副長!」
「誰だ今『ゲッ』って言った奴ァ!」
 桃の匂いが充満する部屋に入った途端上がった声に土方は眦をつり上げた。大体こいつらは副長に対する尊敬の念が足りない――と思ったが、桃にかじりつくいかつい男達を見ていたらそんなこともどうでもよくなった。
 山崎の前に空いたスペースを見つけて、土方はどかっと座り込む。
「副長、剥きましょうか?」
「いらねェ、自分でやる」
 山崎の申し出を断った土方は、皿の上に残された桃を掴んで剥き始めた。よく熟れている桃は、皮を剥くのも楽なものだ。するすると剥ける皮の下から、みずみずしい果肉が現れる。甘ったるいが爽やかな果物の香りに食欲が刺激され、白くて柔い果肉に歯を立てると、じわりと果汁が滴った。それを零さないよう舌で舐めながら囓る。局長が貰ったという桃は、よく冷えている上甘みも格別で相当旨かった。
 ふと、視線を感じて目を上げたら、山崎が呆けた顔をしてこちらを見ていた。
「オイ」
 汁、垂れてるぞ――と注意してやると、山崎はあっと声を上げて自分の手元に目を落とした。危うく桃を握りつぶすところだ。
「ス、スンマセン」
「ぼーっとしてんじゃねェよ」
 土方は呆れたように言って、再び桃を囓る。うっ、と山崎が呻いた。
「なんだ、どーした」
「い、いえ……なんでも……」
 要領を得ない山崎に、もともとが気の長い方ではない土方は次第に苛々してくる。てめェはっきりしやがれこの野郎ォ、と凄むと、山崎は益々おろおろと挙動不審になる。煮え切らない態度にうんざりした土方は、山崎を無視することにして、残り半分となった桃に歯を立てた。

「そんなエロい顔して桃食べんで下せェよ土方さん」
 突如降って湧いたとんでもない台詞に、土方は思いっきりむせた。
「グッゲホッ……って総悟! てめッ」
「土方さんがエロ顔晒して桃食ってるから山崎だって困ってんじゃねェですかィ」
 なァ、山崎――と沖田が同意を求めれば、山崎は「うぇっ!?」っと潰れた悲鳴をあげて沖田と土方の顔を見比べ、困り果てていた。
「やまざきィ……てめェ……」
「ヒッ」
 ここで退いてはいつもと同じく土方の八つ当たり対象決定だ。だが、それを上手く操るのが沖田である。
「一度鏡で自分の顔見てみたらどうなんだィ。刑法第175条違反で逮捕されちまっても知りませんぜ」
「俺の顔は猥褻物かァ!!!」
 人の顔を捕まえて猥褻物陳列罪とはよくいえたものだ。土方が即座に反応すると沖田はつまらなそうに、
「おや、知ってましたかィ」
 と言った。
「てめーこそ、そういうくだらねェことばっか覚えてんじゃねェ」
 相手にしてられるかってんだ! と土方は早く残った桃を片づけてしまおうと口を開け――。
「オイ……何の真似だ」
 と低く唸った。
「折角だから土方さんがエロい顔して桃食うところを観察しようと思いましてねィ。どうぞ食べて下せェよ。俺も今晩のオカズにするかもしれやせんが」
 山崎の隣。土方の向かいに腰掛けた沖田は頬杖突いて観察体勢に入っている。馬鹿な台詞の意味など考えたくもないが、食べる様をじっと見られるのは落ち着かない。
 土方は少し考えて、体を横にしてみた。
「それはそれで土方さんの赤い舌が見えてエロいですぜ」
「ならどーしろってんだコラァ!」
「手間のかかるお人だなァ」
 どれ、と沖田が腰を上げた。目の前の机に手をついて、体を乗り出す。沖田の意図に気付いた土方は、再三のやりとりで疲れたせいもあったのだろう。素直に桃を差しだしてやる。
「結局てめェが喰いてェだけじゃねーか」
「……ま、どう思ってくれてもイイですがね」
 それ以外に何の意味が有るんだよ、と思った土方の目が、悪戯をしかける時の沖田の目とかち合った。だがその丸い目はすぐに伏せられて、沖田はあーんと口を開け、柔らかな果実に食らいついた。





 ――畜生、あの餓鬼!
 蛇口を捻りすぎたのも気にせず、土方はばしゃばしゃと派手な音をたてながら洗面所で手を洗っていた。結局――沖田は体を伸ばした体勢で、土方が差しだした桃を自分の手を使わずに食べきった。必要以上に時間をかけ、明らかな意図を持って桃を食べた後、仕上げとばかりに見せた上目遣いと、ぺろりと出した赤い舌。
『とまあ、こんな感じでしたかねィ』
 涼しい顔をしてそんなことを言う沖田に、残った桃の種を叩きつけてやりたい衝動をぐっと堪え――土方は手を洗ってくるといってその場を辞した。とにかく一刻も早く、指に着いた甘ったるい香りと、舐められた舌の感触を消し去ってしまいたい。
 躍起になって手を擦りあわせていた土方は、ふと正面の鏡に目を向けた。目つきの悪い男が、苛立たしげな顔をして映っている。
「……別に、普通の顔だよなァ」
 呟いた声音が存外に自信の失せた声だったので、土方は自分で自分に腹を立てながら、一層強く手を擦りあわせた。
 
 
 




040718
山崎→土方と沖田×土方


桃よりスモモのほうがよりエロいですぜ。食べませんかィ?
山崎、斬れ。
(切れ、じゃないんですか!)

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